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日本の競輪、その特殊性と、だからこその魅力についてを英国人記者が語る──『KEIRIN: 車輪の上のサムライ・ワールド』

この『KEIRIN: 車輪の上のサムライ・ワールド』は、英国人記者が語る日本の競輪論である。日本でどのように競輪が生まれ、育ち、危機を乗り越え、そして日本ならではの独特な魅力はどこにあるのか、それを一冊を通して語り尽くしていく。

なぜ英国人記者が日本の競輪を語っているんだと疑問に思うかもしれないが、その理由は簡単で、著者のジャスティン・マッカリーは日本研究で修士号を取得し、読売新聞で編集者や記者として活躍。その後ガーディアンに入社し日本特派員として活動する、日本在住歴が30年にも及び、同時に競輪の熱狂的ファンだからだ。

本書の「はじめに」は2017年に平塚競輪場で行われた日本競輪最高峰のレースKEIRINグランプリの描写からはじまるが、その熱量ある文章は競輪について何も知らない僕の「英国人記者が書いた競輪の本〜? そんなんほんとにおもしろいんか〜?」という懐疑的な態度をあらためさせるに十分なものであった。

 平塚のバンク上では、深谷が両腕をまえに伸ばし、空を見上げる。渡邉は、白い手袋をはめた親指とほか指先を合わせて輪を作って口元を包み込み、あたかも古代の石器から霊薬を飲むかのごとく背中を反らせる。(……)平原はサングラスを調節し、桑原は両腕を天に突き上げる。各々がスタートぎりぎりまでヘルメットやジャージの袖を何度も何度も調整しつづける。選手のふくらはぎにはベビーオイルがたっぷりと塗られて光っているが、それは落車時に素肌とアスファルトの摩擦を減らすための予防措置だ。この時点で、半分の選手がハンドルを握っている。(……)

競輪は後述する特殊性により「日本文化を見せてくれる入り口」にもなっていて、本書は競輪を通した日本文化論にもなっている。競輪の歴史からはじまって、競輪学校でどのようなことが教えられるのか。女子競輪の誕生と成長、さらには競輪用の自転車を作る職人たちにまで話題は及ぶ。選手らへのインタビューを通して競輪の深い魅力を探ると同時に、初歩的な戦術・戦略の解説も行われていくので、僕のように競輪についてほぼ知らない人にも(というかそういう人にこそ)オススメしたい一冊だ。

競輪の歴史

最初に競輪の歴史について少し触れておこう。日本の土に自転車のタイヤが最初に触れた瞬間は、1865年にアメリカから横浜に到着したものだった。当初はごく限られた富裕層が購入できるもので、日本で行われた最初のレース(1894年鎌倉)に参加できたのは日本在住のアメリカ人だけ。初めて日本人が参加するのは1897年のことだ。

だが、それは競輪と呼ばれているわけではない。競輪の創設者は倉重貞助と海老澤清の二人で、この二人はスポーツをとおして労働者階級層の家庭生活を豊かにする考えを共有していた。二人は戦後1947年に国際スポーツ株式会社を設立。その後当時の社会党系の総理大臣片山哲を含む国会議員への働きかけがあり、1948年には自転車競技法施行。その直後の1948年の11月20日、日本ではじめての競輪レースが福岡県の小倉競輪場で開催される──というのが、かなり省略したが、大まかな流れになる。

競輪の歴史は順風満帆だったわけではない。戦後に産声を上げ、荒っぽい男たちが集う公営ギャンブルの性質があいまってたびたび暴動などの騒動が起こり、そのたびに競輪は失われる危機に陥ってきた──が、そのあたりの詳細は本書に譲ろう。

競輪はたんなるスポーツではない。それは、日本の近代史上最悪の暗黒時代に産声を上げた、国家が認める公共の慈善活動なのだ。

日本の競輪の特殊性

次に競輪とは何なのかの話もしておこう。競輪は競艇・競馬、オートレースなどに並ぶ日本の公営競技のひとつで、選手が自転車を漕いで一着をかけて競い合う、個人競技である。それぐらいはさすがに僕も知っていたが、日本の「競輪」の特殊性は、それが単純な個人競技「ではない」ところにあることはよく知らなかった。

たとえば、日本の競輪の特徴のひとつに「ライン」がある。レース序盤の周回で、選手たちは(関東や九州など、主に同じ地区出身の選手同士で)一時的なチームを組んで走る。レースではだいたい2〜3人で構成される2〜4組のラインが組まれる。高速で走るので自転車は風の影響を強く受けることで知られるが、「先行」の選手(たいていは経験の浅い若手が務める)は先頭について、同じラインの(大抵は自分よりベテランの)残りの選手を続かせる。先行の選手は風の抵抗を受け、仲間を守るのだ。

2番手以降の選手はただ風をよけてもらってお気楽に走ってるわけではなくて後方から捲って追い抜こうとする選手を牽制・ブロックしたり、熾烈にポジション争いをする役割を担う。最初にこれを読んだときは「個人の結果を競い合ってるのになぜ若手だからという理由で損をする状態を受け入れるんだろう」と疑問を覚えたが、別に先頭だからといって力尽きてしまうわけでもなく、逃げ馬のようにに逃げ切って勝つのも競輪の醍醐味だという。『先行選手が全体力を振り絞ってレース中ずっとリードを保って勝つ、競輪においてそれ以上にスリリングな光景はないといっていい。』

最初は一番若手の後輩として、同じ地区・地域・県・競輪場出身の選手の風よけになるために頑張っていたとしても、数年もすれば最年少ではなくなり、やがてもっと若いほかの選手が盾になってくれる。競輪選手は場合によっては50代でもプロとして活躍できるので、キャリア初期に誰かを助けることで、いずれ自分にかえってくる。

年功序列による「先輩・後輩」関係が個人競技にまで持ち込まれるのは、日本の文化的習慣に特有のもので、単純に素晴らしいとして本書で語られているわけではない(諸刃の剣という表現も用いられる)。ただ、このラインがあることで競輪にさらなる予測不能性が生まれ、観戦していておもしろくなっているのは確かだ。

オーストラリア、メルボルン出身の自転車競技選手で、日本の競輪レースにも参加しているシェーン・パーキンスは、レース中にはライン同士の争い──自分たちの足を引っ張ろうとするラインの存在がいることから、自分の位置取りと、複数の相手チームがどこにいるのかを理解しないと勝てない──によってレースは複雑になり、圧倒的なスピードがあれば勝てるわけではないところが「競輪の美しさだ」と語る。

正しいポジションを取れば、まずまずの脚力の持ち主であれば誰でも勝つことができる。脚力がそれほど優れていなくても、競争力と人間性で勝負ができるということです。脚力があまり強くないのに勝つ選手がいるとすれば、それが精神的な勝負であり、レース展開を理解することが重要であるという証拠です。だからこそクリスは驚異的だった。競輪のレースで彼は、何もないところから魔法のように何かを生み出すことができたんです。

おわりに

本書を読み終えてからすぐにYouTubeで競輪のレース動画をいろいろ観ていたが、想像以上にレースは複雑だった。ポジション取りは熾烈で、ほんの一瞬の間にブラフもかましながら、時に接触もいとわずに激しく体を入れて(たびたび転倒する)ぶつかりあう。本書を読むかどうかはともかく、競輪を一度も観たことがなければ、一度観てみることをおすすめしたい。下記は昨年のKEIRINグランプリ動画だ。
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