基本読書

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トマ・ピケティ絶賛の"長篇小説"──『貧困の発明 経済学者の哀れな生活』

ピケティ絶賛と煽り文句のついている「貧困の発明」って本、おもしろそうな経済ノンフィクションだな〜〜と思ってよくみたら"長篇小説"であった。とはいえピケティが帯でファンタジィを絶賛することもないだろうから──と読んでみたら、本書は確かに経済に関連する小説作品ではあり、これがなかなかおもしろかった。

端的に紹介すれば、国連のプロジェクトにも関わる現役の経済学者が、貧困撲滅事業や国家的経済プロジェクトがいかにぐだぐだで、嘘と欲望にまみれ適当に運営されているのかを暴き出すブラック・ユーモアに満ちた風刺小説である。あくまでも"フィクション"であるとはいえ、著者の経歴を考えれば見聞きしてきたことが大いに反映されているのは間違いない。いわゆる普通の小説の楽しみ方とは異なるものの、経済エリートの悲哀みたいなものもじっくりと描き出されてなかなかな良いのだ。

著者はニューカレドニアの生まれで経済学者にして小説家。普段はパリの持続可能開発および国際協力研究所でグローバル・ガバナンス・プログラム(わけがわからん)を指揮しているらしい。具体的には農業開発援助を専門として、世界銀行やEUが出資するプロジェクトに関わっているようで、小説はたまたま1冊だけ書いてみたのかな? と思いきや本書が4冊目。小説作品として読んだ場合、プロット・構成に関してはグダグダの極みだと思うがそれなりにしっかりとした文章を書いている。

簡単なあらすじとか

物語の中心となるのは国連事務総長の特別顧問、経済学者のロドニーである。彼が専門とするのは貧困問題で、中でも主に貧困撲滅プロジェクトに邁進してきた。先程プロットはグダグダの極みと書いたが、本書のメインはこのロドニー氏がプロジェクトの遂行中に知り合った18才のベトナム人美女ヴィッキーと結婚し、あまりに価値観の違う彼女に振り回されて人生が滅茶苦茶になりつつ詐欺じみた"貧困の発明"を行うという、"エリート経済学者の日常物"的な物なのでぐだぐだなのが正解ともいえる。

ロドニー氏はヴィッキーにぞっこん惚れ込んで結婚したわけだが、二人の間には問題しかない。パーティからいなくなったヴィッキーをロドニーが探しに行ってみれば、彼に対してこっそりやっちゃいましょうよと誘いをかけてくる(が、ロドニーは暗に断る)。ロドニーは朝や夜も積極的にヤるよりも睡眠時間の確保や仕事を優先するので、ヴィッキーはどんどん不満がたまっていく。ヴィッキーはロドニーが帰ってくると毎晩家から出ていって泥酔し、ドラッグでハイになるしで生活は噛み合わない。

貧困の発明

ロドニーはそんな彼女を都会的な生活に馴染ませようと奮闘するが、同時に進行するのが彼の本業"貧困の撲滅"である。貧困者に対して集められた公的資金が投入されればプロジェクトの運営者には金が回るから、それが彼らのビジネスになる。ところが、本当に貧困が撲滅されてしまったら民間企業から1ドルだって金は集まらない。つまり、貧困の撲滅を掲げる人々は本当に貧困が撲滅されてしまったら困るのだ。

「貧しい人々がもっと必要なんだよ、ロドニー。絶対的貧困層が消滅したら、アメリカの貧困層がその代わりになる。だが、アレックスはそれを望んでいない。共和党も同じだ。アメリカに援助される貧しい人々はほかの国にいなければならないんだ」

貧しい人々を作りだせば作りだすほど貧困支援をビジネスにしている人間は裕福になる。その裕福さを維持し、増大させる為にさらなる貧しい人々を生み出す必要にかられることになる。まあ、虚業というか、虚しい仕事ではある。ロドニーがヴィッキーと結婚し、彼女の生活を支援するのも、心の痛みへの治療薬としての側面がある。

しかし、どうやって貧しい人々をつくりだすのか? 戦争でも起こすのか? といえばこれがそう難しいことではない。現在、世界的に貧困は明らかに減っているとの結果が出ているが、これは何で出ているのかといえば"とある統計"だ。つまり、"貧しい人々が増えるようなとある統計"を新たに構築すればいいだけの話である。

「一日に一ドル以下で暮らしている人は、購買力平価で貧しいということだ。仮に典型的な貧しい国の通貨をルピオテとしよう。為替市場で一ドルが一ルピオテだと想像してほしい。その国では一日一ルピオテで難なく暮らすことができる。ルピオテの購買力は、アメリカにおける相応額のドルの購買力よりはるかに高いからね。通貨の購買力を考えるなら、一ルピオテは一ドルに値しない。一・二あるいは一・四ドル。まあ年によって変わる。つまり通貨間の購買力平価を見直すことで、貧しい人々をつくることも、反対に消滅させることもできる。(……)」

ロドニーの悲劇は、こうした事態を簡単には割り切れないところにあるのだろう。貧困者は単なる金を引き出すための実験用ラットだと割り切れていれば心も痛まない。が、ロドニーには貧困を撲滅したい、人々を救いたいという確かな善といえる気持ちがある。それでもやっていることは適当な数値をでっちあげて貧困をつくりあげること、偉い人達への根回し、接待の連続で心はただひたすらに疲弊していく。

おわりに

本書の副題には「経済学者の哀れな生活」とあるが、まさにこの副題の通りに1冊まるっとかけて、多くの金を稼ぎ、名声を得ながらもまったく幸福になることができず、虚栄に落ちていく哀れな経済学者の姿を描き出していくのだ。読み終えて心が暖かくなるという感じの小説では全然なく、どちらかといえばきっとあまり大差のない現実を思いがっくりとくるが、それこそが本書のおもしろさ/価値といえるだろう。