基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

世界初のペンギン生物学者の南極探検を描く『南極探検とペンギン』から、命につけられた値段を考察する『命に〈価格〉をつけられるのか』までいろいろ紹介

はじめに

本の雑誌に書いているノンフィクションガイド連載の原稿(2021年7月)を転載します。今回は宇宙の知的生命探査についての一冊からペンギン本、統計に批評にと多彩──だけどわりと地味めな本が揃った月である。今月号(2021年10月号)もよろしく! 10月号のテーマは「定年後も本は読めるのか」というかなり切実なテーマだ。

本の雑誌 2021年7月号掲載

この宇宙に知的生命は我々しか存在しないのか。人は科学で、哲学で、宗教で、SFで、奇妙な説から真面目な説までこの問いについて検討してきたが、依然としてその答えは出ていない。だが、近年の科学技術の発展に伴いデータが揃ってきて、仮説もその精度を増してきた。キース・クーパー『彼らはどこにいるのか』は、地球外知的生命体探査にまつわる現在を、化学と生物学、進化研究と神経科学、惑星気候科学に人類学に──と、横断的に論じてみせた一冊である。

その中でも中心テーマになっていくのは、コンタクトのパラドックスと呼ばれる問いかけだ。たとえば、我々は地球外の知的生命と何とかコンタクトをとりたい。しかし、事はそう単純な話ではなく、ジレンマが存在する。たとえば、未知の生命と接触した結果、ウイルスが伝搬する可能性がある。技術供与が人類間のパワーバランスを崩壊させる可能性もある。何より、相手が利他的な行動をとる保証がどこにもない。

宇宙が静かなのは、捕食者に居場所を知られたくないからかもしれないのだ。そこで、本書では地球外生命が利他的な行動をとる可能性はあるのか、といったことを自然選択など様々な理論を援用しながら考察し、最終的にはすべての情報を統合し、「われわれはコンタクトを試みるべきか」という問いかけに、答えを提示してみせる。人間はここまで思考を広げることができるのか、と唖然とさせてくれる快作だ。

続いては、人類初の南極点到達の裏側と、世界初のペンギン生物学者の活躍を追ったロイド・スペンサー・デイヴィス『南極探検とペンギン』。一九一一年、アムンセン率いるノルウェー隊と、スコット率いるイギリス隊によって、人類初の南極点到達をめぐる戦いが繰り広げられていた。最終的にはアムンセン隊の勝利で終わるのだが、スコット隊は負けたうえ、南極点に向かったチーム五人が帰路で死亡する悲劇にみまわれてしまう。その最後も相まってスコットは英雄となったが、実はスコット隊には動物学者兼医師のレビックという知られていない凄い男もいた。

この男は南極点到達チームとは別働隊にいたので生還を果たすが、それでも南極で越冬するハメになり、自分たちで掘った真っ暗な雪洞で数ヶ月もの間極限の生活を強いられることになる。彼は南極で、ペンギンが同性愛にふける、強姦や不倫(ペンギンは一夫一婦だと考えられていた)を行うといった奔放な性行動を目撃し、知られざるペンギンの生態に一早く気づいた男でもあった。南極探検の影の英雄と、ペンギンの未知の生態について知ることができる、一粒で二度おいしいノンフィクションだ。

命に値段はつけられない、と言うけれど、実際には過失の際の保証金など、日々命に値段がつけられている。ハワード・スティーヴン・フリードマン『命に〈価格〉をつけられるのか』はそんな命の値段にせまる統計を扱った一冊だ。たとえば、九一一テロにて失われた人命に対して、被害者には異なる補償額が設定された。

たとえば、扶養家族一人に対して一〇万ドルが追加され、犠牲者の年齢や職業から予想収入を算出し、それを上乗せした。そうなると家事労働など賃金が発生しないケースはどうなるのか。働いていない子供は? 白人は黒人よりも収入が高く、差別の構造が補償額にも反映されてしまうなど、いくつもの問題点がある。本書は、生命保険や民事裁判など様々なケースでの人命の値段の計算方法をみながら、よりよい公平な形はないのかと思考をめぐらせていく。命の価値に無頓着でいると、自分の健康をリスクに晒すことになる。自衛のためにも重要な一冊だ。

我々は当たり前のように一〇〇を超える数を扱うことができるから、数とその操作は、あって当たり前の概念と能力だと思ってしまう。しかし世界には数の概念がない言語も存在し、そうした言語を操る人々は三以上の数の認識が曖昧であることがわかっている。ケイレブ・エヴェレット『数の発明』は、そうした数と人類の関わりについて書かれた一冊だ。著者はまさに数字を持たないピダハン語を操る少数民族について書かれた文化人類学ノンフィクションの傑作『ピダハン』の著者の息子で、幼少期から父親の研究に同行してきた生粋の文化人類学者である。

数の概念はいつ、どのような形で人に生まれるのかを解き明かし、言語人類学だけではなく、犬やネズミに数の感覚はあるのかを調べる動物行動学、数を認識する時人間の脳がどう反応するのかを問う大脳生理学まで幅広い分野を横断的に取り扱っていく。読むことで、数への認識が一変する力作だ。

最後に、批評入門の名著と名高い『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』の姉妹篇として刊行された、廣野由美子『小説読解入門 『ミドルマーチ』教養講義』(中公新書)をご紹介。本書では、一八七一年から七二年にかけて発表され、偉大なイギリス小説としてまず名前が上がる長篇小説『ミドルマーチ』を題材に、小説の読解を行うコツを幅広く見ていくことになる。

たとえば、「手紙」の章では、作中で手紙が用いられる場合、そこにはどのような効果が考えられるのか。クライマックスはどうあるべきなのか。一人称と三人称がもたらす効果の違いなど、小説における技法の数々が『ミドルマーチ』の内容と共に理解できる。一つの小説作品からどれほどの情報を引き出すことができるのかを教えてくれる一冊だ。