
- 作者: アンデシュ・ルースルンド,ベリエ・ヘルストレム,ヘレンハルメ美穂
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/02/23
- メディア: 文庫
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僕は今回が初読になる。正直、原著刊行(2004年)からは13年が経っているし、デビュー作ということもあって期待しないで読み始めたのが、これがめちゃくちゃおもしろくて最後まで一気に読み切った上に、自分(冬木)としては珍しいことに体調が悪くなるぐらいに作中へと入り込んでしまった。それぐらい徹底的に、作中の人物の心情へと同調させてくる、デビュー作にしてすでに円熟の技量が発揮されている。
簡単なあらすじ
プロットはシンプルなもので、二人の少女への性的暴行/殺人事件の犯人ベルント・ルンドが、犯行から4年の月日を経た現在、護送中に脱走。即座に調査を開始する警察だが、その行き先をたどる事ができず、ルンドはその抑えられぬ欲望を発散させるためすでに次なるターゲットを定めるため保育園へと足を向けていた──。残念ながら、これはヒーローの物語ではなく警察小説なので、事件は起こってしまう。
描写の凄まじさ
プロットが抜群に優れているわけではない。中盤から鮮明になる問題意識──"誰かに危害を与えるおそれのある犯罪者にたいして、一般市民が罰を下すことの是非"も、そう珍しいものではない。それでいて本書を特別な物にしているのは、その圧倒的な描写力である。物語は性犯罪者ルンドを追う警察、ルンドの新たな犠牲者となる少女の父親など無数の視点から展開するが、僅かに描かれる人物であってもえぐりこむように描写していくので、立体的に事件・物語が立ち上がってくるのだ。
それは描写それ自体の凄さなので引用する以外にはなかなか伝えきれないが(引用しはじめるとキリがないので控えておくが)、最初は読み進めていく度に性犯罪者に対しての憎しみがマシマシになるように描写されていく。冒頭、のちに犠牲者となる娘とその父親の日常を朗らかに、またどれだけ父親が娘を大切に思っているのか、娘がどのような子供なのかをこれでもかと描写してみせる。護送する道中では、護送担当者がワイセツ野郎を憎んでいる心情をその人生と経緯も含め端的に表現する。
それは刑務所の中にまでおよんでおり、犯罪者側の視点が豊富(ルンドの視点もある)なのも特徴のひとつ。ルースランドは『熊と踊れ』で題材にした事件の関係者と共同執筆したように、本書でもかつて服役囚でもあったベリエ・ヘルストレムと組んでおり、刑務所の中の精神状態(囚人たちは皆、恥辱や自己嫌悪の念を抱いており、自分たちよりさらに下のものを見下すために性犯罪者たちを極度に敵視し、刑務所内で執拗な暴行を加えたりするなど)、ルールなどがじっくりと描き出されていく。
描写に関しては特に犠牲者の父親(フレドリック)の描き方は秀逸なんてものではなく、同調しすぎて気分が悪くなるぐらいだ。絶望へと落ちていくのが心情描写というよりかは、行動で端的に、大仰に描くのではなくあくまでも淡々と描かれていく。
話が終わると、フレドリックは二人を抱きしめた。少年たちが去ったあと、マリーの死について語ったのはこれが初めてだったと気づいた。二人のためにそうせざるをえなかったのだ。説明してもなかなか納得してもらえず、ふたたび説明を繰り返す。悲しみについても話をした。まだ一度も泣いていないと言うと、二人はびっくりした様子でどうしてと問いかけてきた。そこで彼は正直に答えた。どうしてか分からないけど、そうなんだよ。どういうわけか人というものは、悲しみをいっぱい抱えているのに、それを外に出せないことがあるんだね。
正義の在り処を問う
こうしたフレドリックの心情にしっかりと寄り添うようにして展開したあと、物語の後半、フレドリックはいまだ野放しになっているルンドを止めるために奔走し、先に書いたように"私刑"をめぐる問題が浮かび上がってくることになる。スウェーデンは死刑制度のない国だ。どれだけひどい、多くの人間の憎悪を掻き立てるような犯罪を犯しても、最高で無期懲役。しかも刑期は短縮され出てくることも多い。
果たして──我が娘を殺され、野放しになっている犯罪者を法律に反して殺すため行動するのは"善"なのか? 一側面からすればそうだろう。野放しに出来ぬ悪を断罪する、ヒーローの物語だ。多くの市民がその行動を支持するに違いない。しかし法律の存在する社会の下にあってそれはただの私刑であり自分勝手な正義にすぎない。
仮に法律にのっとった場合、計画殺人には無期懲役が求刑されるが、それはルンドと同じ刑であり、つまるところ同じ罪ということなのか? 仮に彼の行動が"善"だとしたら、法律とは間違っているのか? 落とし所はどこにするべきなのか? などなど、正義の在り処を問う無数の問いがなされるが、決して安易な答えは提出されない。
おわりに
著者はあとがきで、小さな女の子の足の裏を舐め、その膣に金属を突き刺す、ベルント・ルンド。娘を亡くしそれでもなんとかして生きていかねばならない、フレドリック・ステファンソン──と一人一人キャラクタの名前を挙げて、その全員が"現実に存在している。"と断言している。『彼らは皆、どこかに、われわれのなかに、存在している。あまりにも不合理な彼ら。でっち上げることなど不可能だ。』
実際問題として残酷な行為を平然と出来てしまう性犯罪者はいるし、その家族もいるわけで、この言葉はまったく正しいのだろう。本書は問題意識自体はそれほど特別なものではない──特別なものではないが、著者らは登場人物の一人一人をありありと立体感を持って描き出すことで、のめり込まざるをえない作品に仕立て上げてみせた。10年ぶりの復刊とはいえ、いま読んでも抜群におもしろい警察小説である。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp