人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル (ハヤカワ文庫JA)
- 作者:竹田 人造
- 発売日: 2020/11/19
- メディア: Kindle版
大賞を逃しているわけなんで、何がその原因だったのかなと思いながら読んだのだけれども、いやーこれがおもしろい! 正直これで大賞がとれないとなっちゃあ、もう誰もこの賞に作品を送ってこないんじゃないの?? と思うような水準だ。選評読むとどういう判断で大賞から漏れたのか理解はできるのだけれども、単純におもしろいSF、おもしろい小説を読みたい、という観点なら太鼓判を押せる作品だ。
借金のカタにマフィアにとらわれ臓器を売り飛ばされそうになっていたAIエンジニア三ノ瀬と、彼を土壇場で救った裏社会業の男五嶋のタッグで、AI技術のハッキングを軸とした金品強奪事件が描かれていく本作は、ハードなソフトウェア・エンジニアリングSFである。顔認識に自動運転など、現在日常の様々な領域でAI技術は用いられているが、それらは魔法でもなんでもなく現実に存在する技術なのであって、その背後にはロジックがあり、やりようによってそれを騙したり、利用したりできる。そうした技術的な部分が、技術用語をそれっぽくまぶして演出しているわけではなくきちんと作中の逆転/攻勢に関わってきて、きちんとした技術SFとして成立している。
描写をリアルにしていくと展開が地味になるものだが、本作の場合そうしたこともなく、ライバルであるAIエンジニアとのソフトウェア・バトルなど、技術を下地にしてかなりハッタリも効いた内容に仕上がっている。というわけで以下紹介してみよう。
現金強盗
最初に描かれていくのは三ノ瀬と五嶋の出会い、最初の仕事である現金輸送車の強盗だ。エンタメ小説として満点に近い本作だが、まず三ノ瀬と五嶋のタッグがいい。比較的真面目だがエンジニア根性が抑えられず、問題の発見とそれを突破するための仮説を思いついたら動き出さずにはいられない三ノ瀬と、軟派でへらへらしていてどんなときでも余裕を忘れない胡散臭さ全開のベテラン犯罪者のタッグというのは王道的で、似たタイプのバディがいくつも思い浮かぶが、それだけにおもしろい。
二人が狙うのは完全自動運転を認められた日本唯一の車両である《ホエール》だ。AIが運転し、AIが金庫を管理すれば、間違いは起こらないというわけだ。さらに、首都圏には武装ドローンの普及によって凶悪化した犯罪に対抗するため、首都圏ビッグデータ保全システムが存在していて、首都圏の10万台を超える監視カメラ映像を用いて統合的に人物を追跡する。また、ドローンが無人交番の各所に設置され、場合によっては軍用アサルトライフルの装備まで許可されている。ゆえに、現金輸送車を物理的実体で途中で襲ったり、荷物の積み下ろしを狙うというのはまず不可能なのだ。
技術に対抗するにはまた技術。用いられるのはハックとドローンだ。これをどうやって成し遂げるのか、という仮説立てと情報収集、技術検証がまず本作のおもしろい部分。深層学習は(画像や動画や文章や楽曲の)学習にあたって対象をラベル分けして認識するのだが、そこに人の目では見分けがつかないようなノイズを入れることで作為的にその判断を誤らせるAdversarial Exampleという技術がある。
上記はAdversarial Exampleの説明でよく用いられる画像だが、画像の対象がパンダだと57.7%の確度で判断していたところに、真ん中のノイズを加えた結果、人には違いがわからないが、右の画像がテナガザルとして認識されることを示している。これを悪用すれば、顔認識で別の画像でセキュリティを突破できてしまうことになる。
本来と異なるルートを辿らせることも、高速道路に見せかけ加速させることも出来る。ドローンのカメラで道を認識し、Adversarial Example生成器でルートを誤認するよう加工を施し、プロジェクターで投影する。実際の自動運転での深層SLAMはカメラ映像だけでなくミリ波リーダーやLiDARも使うのだが、ニューラルネットの画像偏重の傾向を考えれば、カメラ映像に介入するだけでも騙しきれる。それが僕の《ホエール》誘拐アイデアだった。
三ノ瀬はこの現実に存在する技術を用いて《ホエール》をハッキングするわけだが、それだけで逃げられるわけがない。車は追われ、行く手に妨害を置かれたら万事休すだ。なので、問題は動的経路選択に移り変わり、強化学習に話題は移っていく。
機械学習で何らかの出力を期待している場合は、普通は計算能力が高いほうが良い結果が出るものだ。そうしたハードウェア勝負、資金勝負になると国や都の資金力に単なる犯罪者集団が比肩できる理屈はない。そこをどう乗り越えるのか──といったところで、さらに犯罪者側には工夫が求められることになる。その解決も、もちろん技術的にきちんと描写されていくのだ。
技術者の話
おもしろいのが、三ノ瀬が徹底的に「技術者」として描かれていくところだ。典型的な才能ある技術者とは、地道な課題解決者である。たとえば、GithubとLinuxという世界を換えたシステムを二つも開発したリーナス・トーバルズは、あなたはビジョナリーなんですよね? と問われて、『私はエンジニアです。歩き回っては雲を見つめ、星を見上げ、「あそこに行きたいものだ」と言う人々と一緒にいるのはまったく問題ありません。でも私の方は地面を見ていて、目の前にある穴をどうにかしたいと思っています—落っこちる前に。私はそういう人間なんです。』*1と答えた。
穴を見つけ、それをどうやったら解決できるのかと頭の中でぐるぐると仮説を回し、思い立ったらすぐにコードを書き始めている。優れた技術者とはそういうもので、三ノ瀬もそのタイプだ。目の前に課題があって、自分にそれが解決できるかもしれない、と思ったら、それを試そうと動き始めている。そして、技術のおもしろいところはその成否が非常にわかりやすいところだ。期待していた値がきちんと出るのか、出ないのか。そして、その書き方はより簡潔でわかりやすく、メモリやCPUの使用を抑えられているか。それだけであり、三ノ瀬は技術者としての意地をはっていく。
五嶋の言うことは正論だ。僕だってそう思う。今から僕がやろうとしていることは、誤りだ。純粋で統計的な知性ならば、決してしない選択だ。けれど。
「そんな話はどうでもいいんです」
「何?」
「立場でも、善悪でも、損得でもない。僕は今、技術の話をしているんです」
おわりに
第二話はマネロンが行われているカジノが舞台となってライバルも登場し、と話数が進んでいくにつれ派手になっていくので、ここまででおもしろそう、と思った人は是非手にとってもらいたい。オープンソースソフトウェアが誰しもに開かれているように、技術は国家機関にも犯罪者にも平等に開かれている。そうしたソフトウェア・エンジニアリングの自由さとおもしろさが存分に詰め込まれた一冊だ。いやあ、この路線をもっと突き詰めてほしいねえ。宇宙の採掘事業を相手にとったハッキングとか。