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世界をディストピアに変えてしまった時間航行士の奮闘を描く時間SF──『時空のゆりかご』

時空のゆりかご (ハヤカワ文庫SF)

時空のゆりかご (ハヤカワ文庫SF)

本書『時空のゆりかご』は著者エラン・マスタイのデビュー作にして、”ユートピアだった世界”を”くそみたいな世界”──我々が暮らすこの世界のことだが──に変えてしまった時間航行士の、時空を超えた奮闘を描くスマートな時間SFだ。過去を変えることで未来も変わってしまうという使い古された時間SFのアイディアを扱いながらも新しい道、読み味を開拓しており、驚くほど新鮮に読める作品である。

デビュー作とはいえ、著者は『アローン・イン・ザ・ダーク』や『もしも君に恋したら。』などの脚本を手がける手練の脚本家。本書も時間SFにありがちなそこそこ複雑な構造・構成をとり、メタ的な要素までありながらも抜群に読みやすく、ネタ的には本格的なSFながらもナイーブな男の葛藤や人生につきものの家族との軋轢、生きる意味を問い直し、無数の人生を追体験していく文芸的な作品に仕上がっている。*1

簡単にあらすじとか

さて、一人の時間航行士トム・バレンがしでかした事態によって世界はユートピアからディストピアへと一転直下してしまったわけだけれども、いきなり我々の住む世界がくそみたいな世界だと言われても納得がいかない。それでは、彼のいうところの”この現実以前のユートピア的世界とは、いったいどんな場所だったのか?”

彼がいうところの本来の”2016年”では、人類は無尽蔵のエネルギィを手に入れ、瞬間移動も背負式飛行装置も光線銃も宇宙旅行もできるようになっていた。なぜならその歴史では1965年に、ライオネル・ゲートレイダーが自転や公転によって回転し続ける惑星からエネルギィを得る「ゲートレイダー・エンジン」を発明し、我々のよく知る歴史からあらゆる状況が変わったのだ。衣食住は保証され誰も面倒な労働に従事する必要はない。主人公であるトム・バレンはパッとしない日々を送っているが、時間航行技術を発明した偉大なる父のもとで時間航行者としての訓練を積んでいる。

父親と彼の関係はお世辞にもいいとはいえず、まるで碇ゲンドウ司令官とシンジ君のそれである。そんなある日、彼はひょんなことから同僚の時間航行士にして、愛する女性ペネロピーを失ってしまい、その直接的な原因となった父親に対する怒りと彼女ができなかったことを成し遂げるために、ひとりで勝手に人類初の時間航行へと挑んでしまう。飛ぶ場所は「ゲートレイダー・エンジン」の誕生した65年の夏だ。

当然ながらその時代、彼の存在は想定されていないファクターだ。彼が現れたこと、それどころか彼が実験の瞬間にゲートレイダーらに見られてしまったせいで、実験は失敗し夢のエネルギィは開発される機会を逸してしまう。あとは我々のよく知る世界へ一直線。トム・バレンだった男は目を覚ますとジョン・バレンになっており、存在しなかったはずの妹がいて、死んだはずの母は生きており、ゲンドウみたいだった父親はちょっと変なところもあるが家族と普通に会話をするようになっている。

使い古されているが新しい道

そのうえ失ったはずのペネロピーまで(ぜんぜん別の人生を送りながら)生きており、速攻で口説き落としてラブラブになり──と、”ユートピアだった頃より幸せそのものじゃねえか”感満載なのだが、それはそれとして彼はまじめに罪の意識に苛まれ、”歴史をもとあった場所に戻さなければ”と苦悩と苦闘を開始することになる。

 だが、ぼくもやはり受け入れられない。グレタを、両親を、ぼくの人生のこのバージョンを。ジョンの意識を抑えこみ、封じこめ、彼の人生という骨子を呼応性している人々にジョンが感じる愛情を飲み込んでしまわなければならない。なぜならこの世界は、じめついていて汚らわしくておぞましいしろもので、ぼくはここにはいられないからだ。なんとかして時間線をもとに戻し、全員をぼくたちが迎えるべき未来へと戻せる方法を見つけなければならない。それができるのはぼくだけだ。

過去を変えることで未来まで変わってしまうネタや、時間旅行者がもとの世界に戻したいと願って奮闘するけどがんばればがんばるほど期待とズレた結果が返ってきてしまう──というのは時間SFではあるあるすぎるんだけど、”僕の人生はむしろこっちのほうがいいんだけど、もとの世界はユートピアだったのだから、何十億もの人類の幸福のためにも戻さないと”という動機のタイプははじめて読んだなと思った(忘れているだけかもしれないけど)。なにしろ人類のためなので動機も重い。

しかし同時に、彼のそうした考えもまた自分勝手なものだ。彼が戻したがっているもとの”ユートピア”も、結局は技術偏重の未来にすぎないし、この世界では幸いにして生まれたけれども、もとの世界では生まれていない彼の妹グレタなどは、勝手な行動で自分を消されちゃたまったものではない。『「どんな現実にしろ、わたしは自分が存在してるほうを選ぶ」とグレタ。「わたしが存在してるほうを支持して、してないほうを否定するわ」』このディストピアな現実で生きるうちに、トム・バレンはどのような人生を生きるべきなのかを、もう一度考え直していくことになる。

ほか細かい所

脚本家であることも関係しているのか、会話全般がウィットに富んでおり、時に含蓄があり、読んでいて「おー」と思わず頷いてしまう箇所が多くある。たとえば妹のグレタは基本的に口が悪く『おにいちゃんの話のいわゆるユートピアは、基本的に変わりばえのしないゴミなの。』など容赦がないし、ジョン・バレンは著名な建築家なのだが、その立場を突然引き継いだトムは自分の世界でみてきた建築をそのまま再現し「僕は天才なんかじゃない。ただのパクリ屋だ」と母親に漏らしてみせる。

それに対して母親は『「みんなそう感じるのよ。わたしが学生を教えはじめたとき、そう感じなかったと思うの? 最初の本を書いたときに。学部長になったときに。みんな、詐欺をしているような気分になるものなの。それが人生の秘密なのよ』と語る。このあとにもまだ母親の台詞が続くのだけど、それがまたいいんだよね。さらには実はこの小説自体がジョン・バレンによって書かれている──というメタ要素もあったり、ネタとしては古典的でも、手法や演出は盛られた小説でもある。

ヴォネガットみ

本書の原題は『ALL OUR WRONG TODAYS』(「すべてが間違った今日」)というのだけれども邦題が『時空のゆりかご』となっているのはカート・ヴォネガットの代表作の一つ『猫のゆりかご』が関係している。本書の中にも具体的に書名が出て来るのと、イメージが重なる部分がある他、著者はヴォネガットの作品の中では『猫のゆりかご』に加えて『スローターハウス5』が特に影響を与えたと答えているそうだ。

非常に視覚的な作品で、短い章立てで区切っていくスタイル、繰り返し作中に過去のあらすじが書かれていき、いろいろな意味でうまいなあと感じさせる一作だ。ちなみに、映画化権も取得され、さっそく著者が脚本を書いているんだとか。最近はほんと映画化権が取得されるのがはやいよね。

合わせて読みたい

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)

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*1:ここでいう文芸的とは人間の内面や関係を深く掘り下げていく小説ぐらいの意味