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なぜギャンブルにハマってしまうのか──『デザインされたギャンブル依存症』

デザインされたギャンブル依存症

デザインされたギャンブル依存症

  • 作者: ナターシャ・ダウ・シュール,日暮雅通
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2018/06/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ギャンブル依存というと「依存するほうが悪い。とっととやめればいいんだから」と思う人もいるかもしれないが、実態としては丁寧にデザインされたカジノ、またギャンブル・ゲームというのは、人をどこまでも合理的にやめるにやめられない状態へと叩き込んでいく仕組みがある。本書は主にラスヴェガスのギャンブル・マシンを通してそうした仕組みを解き明かし、また依存症者への詳細なインタビューを通し、ハメる側、ハメられた側の実体を描き出していくギャンブル・ノンフィクションである。

原書刊行は2012年のうえ、出てくる話の事例は著者の取材時期のせいなのかなんなのか2000年前後、2008年前後の物が多く、さらなる進展が進んでいるであろう現代的な視点からみると、事例として古臭さを感じるところはあるけれども、技術的な変遷を丹念に描き出しておりなかなかおもしろい一冊だ。『ギャンブル体験は、かつてはプレイヤーが単一の図柄がライン上にそろうかどうかに所定の金額を賭けるという比較的単純なものだったが、今のマシン・ギャンブリングは、確率、賭け金額、特殊効果の無限のように思われる組み合わせから選択するところからスタートする。』

第一部「デザイン」でカジノ経営者がその環境(椅子、証明、音楽の配置など)をどう計画しコントロールしているのかについて。第二部「フィードバック」では、ギャンブル産業が、ギャンブルにさらに没頭させるためにどのように技術を発展させていったのかを。第三部「依存症」では、依存症になったギャンブラーへの詳細なインタビューを行い、第四部「順応」ではリスク管理、法整備のあり方についての議論が行われて締めとなる。ほぼ600ページで、それぞれがっつり読み応えのある大著である。

ざっと紹介する

第一部でされるカジノのインテリアデザイン論は興味深くて、ギャンブラーは基本的に広々としたスペースを嫌い、入り組んで、密集した構造を好むからカジノはすっとは全体が見通せない入り組んだ構造になっているのだいう。証明と音は光すぎ、大きすぎては絶対にダメで、暗めでなければならない──というが、日本のパチスロ店とかを思い浮かべると全然真逆だよなあ。整然と台が並び、この世の遊技場で恐らくもっともうるさく、またぎんぎらぎんに明るい空間じゃあなかろうか<パチンコ店って

技術面での解説は期待していたよりは多くなかったがおもしろいものばかり。たとえばスロットでディスプレイされるリール(パチスロの図柄が書かれている部分のこと)に関係なくゲームの確率をコントロールする〈バーチャルリール・マッピング〉と呼ばれる技術は1982年に特許が取得されているが、これがなかなかエグい。ディスプレイされるリールのコマは1リールあたり空欄11と図柄11の合計22個なのだが、バーチャル・リールのコマはデザイナーが好きなだけ増やすことが可能である。

スロットをやらないし最初説明がよくわからなかったのだが、ようはいくらでも増やせるバーチャル・リールは現実に表示されているリール上のコマに好きなように対応させることができ確率をいいように制御できるのである。『実際のリールとバーチャルリールの均衡を崩したことで、マシンメーカーはゲームの結果をこれまでよりずっと正確にコントロールできるようになり、さらには巨額のジャックポットを約束しつつ、その数字上の確率を最低限にまで抑えられるようになった』技術的には大したことないが、実在のリールに縛られていた時代からすると革新的なものだっただろう。

さらには、バーチャルリールの割当をジャックポットの図柄(7とか)の真上か真下の空欄スペースに多く割り当てることによって、偶然よりもはるかに高い確率で”ニアミス”感を演出することができる。もちろん、全然惜しくなんかないわけだ。

人間の行動を科学する

ギャンブル・マシンのデザインの話を読んでいておもしろいのはデザイナーはみな「いかにして客により多くの金を使ってもらえるか」を考えることで人間行動の深い分析へと繋がっていくところにある。たとえば、プレイヤーは基本的に、対極に二通りのタイプ」がいるという。大きくかけて勝ちを狙いにいくタイプと、エスケープ・プレイヤーと呼ばれる大当たりを狙わずに着々と積み重ねる勝ちを喜ぶタイプだ。

プレイヤーのデータはゲームだけから収集されるものではなく、隙間なく敷き詰められた監視カメラ、カードを携行しているプレイヤの移動情報などありとあらゆる情報を集め分析を行っていく。訪れた曜日、回数、自己申告による好みと実際にプレイしているゲームの違い、今規制されているのかどうかわからないが、少なくとも本書では名前も顔写真も載った詳細なギャンブラーのデータが紹介されていたりする。店舗ごとのIDカードなどを持っていない場合でも、ゲームに備えられた内蔵カメラがプレイヤーの姿を撮影して、「身元不明者」ファイルを作成し名前などの情報は得られないまでも継続的かつ連続性をもってデータを収集できるようにする例もあるという。

そうした情報を集めた後は、顧客価値を算出し個別のマーケティング・アルゴリズムを走らせる(嫌気がさしそうになると、食事の優待券などを渡しにいって楽しい経験をさせて帰らす)などの形で活用されるわけだが、そこまでされるとある程度そうした裏の仕組みを知らないとハマりこむのもしょうがないよなあと思ってしまう。

おわりに

ギャンブラーたち自体の分析である第三部(『人は不確実な状態を望み、そこに入っていくが、決着はつねに念頭にある。実際、確実性と確信を求める情熱が強すぎるあまり、人はおのれの安全を試すために何度も何度も不確実な状態に入らなければならないと感じる……。』)と、責任に関するポップアップ・メッセージ、確率の提示、ギャンブラーの行動追跡ソフトウェアによる警告システムなど、リスクマネジメント手法の考察が並ぶ第四部も、ギャンブル依存症について考えるには外せない視点だ。

本書ではカジノ、それもラスヴェガスに絞ったテーマになっているが、ソシャゲのガチャなんかも仕組みこそ違えど依存症に近い”ハマらせ”方をさせてくるし、ゲームデザインで脳をハックし、それを利益に変える仕組み(これ自体が依存性的に機能するのが皮肉なところだが)自体を、もっと手広く分析してもらいたいところでもある。