基本読書

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存在しないものを奪い返す──『兄弟の血』

兄弟の血―熊と踊れII 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

兄弟の血―熊と踊れII 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 作者: アンデシュルースルンド,ステファントゥンベリ,ヘレンハルメ美穂,鵜田良江
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/09/19
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る
兄弟の血―熊と踊れII 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

兄弟の血―熊と踊れII 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

  • 作者: アンデシュルースルンド,ステファントゥンベリ,ヘレンハルメ美穂,鵜田良江
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/09/19
  • メディア: 文庫
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本書『兄弟の血』は2016年の「家族」と「暴力」について、銀行強盗を扱った北欧ミステリとして話題になった『熊と踊れ』の直接的な続篇にあたる。とはいえ、本作については一般的な意味の「続篇」とは毛色が違う。というのも、前作で描かれていく類例のない銀行強盗事件は、スウェーデンで実際に起こった事件をモチーフとしており、なおかつ著者のひとりであるステファン・トゥンベリは、作中でも中心的に描かれていく、実行犯の兄弟たちと実の兄弟(ただし犯罪には参加せず)だったのだ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
作中で描かれていく兄弟間の愛と憎悪が入り混じったような特殊な関係性の描き方、犯罪のディティールの書き込みの素晴らしさなど、『熊と踊れ』を素晴らしい作品としているいくつもの点にそうした「座組」のおもしろさが関与しているのは明白だろう。そのため、「続篇」という形で、現実には存在しない事件をまた二人(もうひとりは『制裁』などのアンデシュ・ルースランド)で書く意味があるのかと、本作に対しては懐疑的な目を持って読み始めたわけだけれども、これが大変におもしろい。

今回である意味「現実」という枷から解き放たれたともいえ、よりフィクショナルな、「史上最大の奇襲」、また『熊と踊れ』を踏まえた「存在しないものを奪う」という犯罪コンセプトが成立するようになった。破滅へと一直線に向かっていく各登場人物の関係性といい、「『熊と踊れ』はこれを書くための踏み台だったのでは」と思ってしまうぐらいに、熱量が弾けているのだ。いやあ、感服いたしました。

全体的に紹介する

物語としては、刑期を終え出所してきたドゥヴニヤック三兄弟の長男レオが、獄中で出会ったもう一人の長男にして、共通の敵を持つ犯罪者──サム・ブロンクスと史上最大の奇襲計画を練り上げ、出所した瞬間から父を、母を、兄弟たちを巻き込みながらスウェーデンに波乱を巻き起こしていく──といったあたりが大筋の流れである。冒頭からしてそれまでの関係性・事件を踏まえたテンションが持続しており、レオ君にしても、出所直後にも関わらずやってやるやってやるぞと盛り上がっている。

 これからは、ふたたび時間を利用するのだ。時間の一部となる。秒数を、呼吸の数を、身体で感じる。あの塀に開いた大きな鉄格子の門を抜けたあとに、自分がなにをするつもりかは、もうはっきりとわかっている。
 奪い返すのだ。
 存在しないものを奪う。

そんなテンション爆上がりで出所してきたレオを出迎えるのは、先に娑婆に出ていて変わってしまったレオの父親や兄弟たちだ。父親は悪癖だった酒をきっぱりと立ち、弟たちもみなまともな仕事を始めている。刑務所にいた時間は、家族の間に大きな隙間を開けている。『「おれが変われるなら、おまえだって変われる」』と父親は繰り返す。一家の事実上の支柱であるレオが変わり、犯罪から手を引いてまっとうな道で家族を率いていってくれるなら、すべてはよくなるのだと父親は繰り返し説得する。

だが、二人の考え方は致命的にズレている。過去を失敗だと悔い、だからこそ「変わる」ことが善なのだと信じて疑わない父親に対して、レオはそうは考えていない。変われるかどうかなど彼には関係がない。なぜなら彼は過去から変わる必要がないからだ。ミスをしてつかまったのは確かだが、これはそれをやると決めてやったのだ。

「なあ、レオ……おれと同じ失敗を繰り返すことはないんだぞ。変わることはだれにでもできる。おれにだってできたんだからな! 意志の力を使うんだ。どんなに邪魔が入ってもな。覚えてるか? ガキのころに教えてやっただろう。熊と踊ること。あれと同じだ」
「親父──おれはな、銀行強盗をやったんだ。飲んだくれてたわけじゃない。銀行強盗ってのはな、やろうと決めてやるもんだ。しっかり計画して、リスクを最小限まで減らせば……飲んだくれるのは、あんたみたいに、現実の世界でうまくやっていけない人間のやることだ」

変わってしまった家族と、一人変わらずに自分の道を進み続けるレオ。今回もレオの目的はとある大量の金を得てトンズラすることなのだが、それだけではない。『存在しないものを奪う。そのため、史上最大の奇襲をかける。同時に、弟たちと自分を刑務所にぶちこんだ、あのクソ刑事を打ち負かす。そして、姿を消すのだ。永遠に。』レオが出所してから発生する各地の事件との関係性に気づいたヨン・ブロンクスも事件調査に本格的に参戦し、否が応でも状況はヒートアップしていくことになる。

はたして、「存在しないものを奪う」とは一体なにを意味しているのか? レオが立てた計画の全貌は? が明らかになった瞬間は「うわーー」と転げ回るようなおもしろさがあった。これはさすがにフィクションでなければかけん! と思いつつも、事件自体には相変わらず恐ろしく現実感がある。続篇物ならではのおもしろさであり、『熊と踊れ』から読むことを推奨するが、『兄弟の血』から遡ってもいいだろう。

文体のおもしろさ

前作からそうだったか覚えてないのだが、今回気に入ったのは文体が同語の繰り返しを印象深い形で練り込んでくること。先の『「おれが変われるなら、おまえだって変われる」』もそうだが、後半のキイフレーズ『「おまえがおれの兄貴を巻きこむなら、おれはおまえの弟をまきこんでやる」』もそうだ。他にも、ある名シーン『レオは泣いたことがなかった。そんなことができたためしはなかった。が、それでもいまは、泣いていた。』など、リズム&テンポよく同語を反復することで強調を重ねる。

他にも、特に終盤に素晴らしい台詞回しが何箇所もあるのだけれども、さすがに次々と引用するのはやめておこう。ヨン・ブロンクスの同僚のエリサ・クエスタなんか、暴力に狂っていくヨンの傍らで恐ろしいほどの執念深さで誰も彼もを追い詰めていくので、めちゃくちゃカッコいいんだよなぁ……。『「ヨン──もう一度言いますよ。わたしの捜査システムの第三の山には、”逃げられると思うなよ”という名前がついてます」 彼女の瞳。熱く燃えている。』とかね、読んでて心底から震え上がる。

おわりに

はい。犯罪小説として珠玉の出来なのではないだろうか。しかし、現実に関係者らがたくさん生きているのに(そのうえ自分の兄弟だし)よくこんなもんを書くよな。