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世界を少しでも自由な場所へと変えていく、プログラマ主人公の連作短篇集──『ハロー・ワールド』

【Amazon.co.jp限定】ハロー・ワールド(特典: オリジナルショートストーリー データ配信)

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hello worldというのはプログラマにとっては特別な言葉である。

新しい言語(RubyやJavaなどのこと)を学ぶとき、新しいライブラリを試す時、まず最初にその言語の特性を把握するために実行するのが、この”hello world”を何らかの形でシステム上で表示させることだからだ。terminalという黒い画面の中で"hello world"と標準出力させたり、html上で表示させたり様々だが、プログラマは新しい世界に入っていくたびに”hello world”していくわけなのである。

で、藤井太洋『ハロー・ワールド』である。藤井さん自身もともとソフトウェア開発会社勤務で、技術に明るく、Webプログラマが主人公の物語を多く書いてきたが、本作も当然のようにその列に加わる。主人公である文椎泰洋は、最初こそ特に専門を持たないが、とにかくちゃんと手を動かして物を作れる人間であり、インターネットに自由をもたらすという強くしっかりとした思想を持って行動していくうちに、世界で起こる様々な(主に”自由の侵害”に端を発する)問題に巻き込まれていく。

時代設定としては数年先の至近未来が舞台となっており、SFといえばSFだが、作中の技術・出来事は現実でも容易に起こり得ることで、現代小説といってなんら差し支えない。実際、読みながらプログラマ同士の会話の”らしさ”に、Qiitaやはてなブログに体験談として載っていてもおかしくなさそうだよなあと親近感が湧いてくるぐらいだ(僕もプログラマなので)。そんなわけで本業がプログラマの人にも「プログラマ小説」としておすすめだし、そうでない人にもそこそこ丁寧に説明が入るような構成になっているので、プログラマの生態を知りながら楽しめる作品である。

さて、本作は同じ主人公を追う、5作からなる連作短編集の形をとっているので、以下ざっと紹介してみよう。

ざっと紹介する

トップは表題作にもなっている「ハロー・ワールド」。ベンチャー企業の〈エッジ〉に勤める文椎泰洋は、アプリの開発講座に通って付け焼刃的に身に着けた技術でiPhone用の広告ブロックアプリを制作するが、それがなぜかインドネシア版だけが異常に売れ始めて──と開発者たちが気づいてから、検証を進めるうちにインドネシア政府によって、”人々の自由”が脅かされている事態に気づいていくことになる。

Web、アプリケーションの世界で仕事をしていると世界を相手に商売ができるのがひとつの魅力だが、本作も日本にいながらにして”なぜインドネシアなのか”、”インドネシアのどの地域でこのアプリが流行っているのか”、”それはなぜか”をA/BテストやユーザのIPアドレスの調査を調べて明らかにすることができる。技術的な理屈が、専門的になりすぎない範囲できっちりと描かれていくのも安心感が高い。

続くのは、年刊日本SF傑作選の表題作でもある「行き先は特異点」。グーグルの自動運転車、アマゾンのドローン配送など無数の"近未来テクノロジー"が小さなバグによって一斉に狂ってしまった特異な状況を描いていく。ラスト付近、とある理由で大挙して押し寄せるドローンの絵的な爽快感が最高だ。「何でも屋」を自称する文椎泰洋だが、短篇ごとにまったく違った技術(スマホアプリ、ドローン、仮想通貨などなど)や、国の文化を扱っていくのも短篇の彩りとしてはおもしろいところ。藤井さん自身が世界を飛び回っていることもあって、描かれていく世界はとても広い。

三作目は舞台をタイのバンコクへ移し、文椎泰洋が今度は政治的なデモに巻き込まれてしまう「五色革命」。武装した学生のデモ隊に、彼の会社の製品であるドローンの〈メガネウラ〉を取り上げられ、ドローンによるデモの生中継に協力させられるうちにとんでもないことに〈メガネウラ〉が利用されてしまう。四作目「巨像の肩に乗って」では、2020年にツイッター社が情報監視を受け入れて中国でサービスを開始した”事件”をきっかけとして、文椎泰洋がマストドンをベースにした新しい秘匿通信アプリケーション〈オクスペッカー〉を作り上げることで一躍インターネットの自由を守るヒーローとなっていく。『インターネットは自由でなきゃならない』、『「インターネットに自由を残します」』だが、その一方で権力はその自由をこそ嫌う。

そこまで技術力の高くない、普通のプログラマだった文椎は、いつしか権力と対立する存在になっていってしまう。締めを飾る、描き下ろし作の「めぐみの雨が降る」では、とある事情によって日本を出て暮らしている文椎が半ば脅されるようにして、中国で新しい仕組みを持った仮想通貨をプログラムすることになる。単なる投機先として見られがちな仮想通貨だが、そこで用いられている技術は本来もっと良いこと、世界を違った方向へ変えていくことに使えるものだ。最終的に作られる仮想通貨の仕組みはまた非常によく練られていて、本作全体の中でも特に好きな一篇である。

5篇すべてに通底しているのは、プログラマがせっせと動かすのは基本的に自分の指、パソコンのキーボードといった極小の範囲に限ったものだが、場合によってはそれで世界をよりよいものへと変えていく、一変させることもできるのだ(もちろん、その逆も簡単に出来てしまう)──という、ある種の希望のようなものである。

おわりに

とまあ、そんな感じのプログラマ小説です。この記事ではそこまで立ち入ってないけど、ドローンの映像制御だったり〈オクスペッカー〉の仕組みだったりが作中ではしっかりと解説されていくので、そういった技術的な部分も読みどころ。一点だけケチをつけるとするならば、JavaScriptとかHTMLとかの単語が頻出するのに全部縦書きになっていて違和感が半端ないことだが笑、小説で横書きは大冒険だからこれはもう仕方がないことだろう。