基本読書

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恒星間宇宙船で起こる密室大量殺人事件──『六つの航跡』

六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)

六つの航跡〈上〉 (創元SF文庫)

六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)

六つの航跡〈下〉 (創元SF文庫)

宇宙船、それも地球から遠く離れた場所を航行する恒星間宇宙船で起こる殺人事件は、なかなかに乙なものである。電波も途絶え人の行き来もできなくなった雪山や孤島よりも自然に外部との通信途絶、また登場人物の限定が行える(何百光年も離れていれば通信など届きようがないしね)。恒星間宇宙船は殺人にうってつけの舞台だ。

なので、宇宙船という密室状況下で起こる殺人事件を描く作品自体は数多く存在するのだが、このムア・ラファティ『六つの航跡』の凄いところは舞台設定の派手さにある。まず中心人物の一人であるマリア・アリーナは恒星間移民船ドルミーレ号の中で2493年に”クローン室で”目を覚ますのだが、眼の前には血が流れ唯一目を覚ましていた自分たち乗組員が全員死亡していた──という驚愕の状況からはじまるのだ。

この世界ではクローンが当たり前のように行われているが、無尽蔵の増殖を防ぐために一人の人間のクローンは一回につき一体、元の人間の記憶や精神を写し取った”マインドマップ”は最新の一体のみにしか認めないなど、厳重なルールが敷かれている。そのため、(前世代の自分が死に)新たなクローン体として覚醒したマリアおよび他彼女と同じようにクローン室から生成され出てきた移民船の管理・操縦にあたっていた乗組員の5人は、何者かによって殺されたり、首を吊って自殺している前世代の自分の凄惨な死体を見ることになるのだ。いったい、なぜ殺されてしまったのか?

「なぜ乗員たちは殺されたのか、なぜ重力発生装置はオフになっていたのか、なぜ船長だけ殺されなかったのか、なぜ俺は自殺し、自殺するまえにブーツを片方脱いだのか──」ヒロがたたみかけた。「全部まとめて、君の疑問のリストに加えておいてくれ。とはいえ、たとえすべての答がわかったところで、俺たちが最悪の状況におかれていることに、変わりはないと思うけどね」

記憶が引き継がれていればなぜそんなことが起こったのかすぐにわかりそうなものだが、なぜか彼女たちのマインドマップには船に乗り込んだ当時の記憶しか残っておらず、それから宇宙船の中で過ごしていたはずの25年の間、何が起こって乗組員が死亡する事態になったのか、推測する他ない状況である。地球とはもちろん連絡などとれず、舞台は完全なるクローズドサークル、はたして、誰が殺したのか──。

物語の冒頭には、「クローンの作製と管理に関する国際法附則」として、アイザック・アシモフのロボット三原則を思い起こさせるクローン作製に関する7つのルールが示され、それがミステリィ的にはロジックの基礎となる。無論、元のロボット三原則が作中でルールの裏をかかれたり、厳密に適用するとどのような問題が起こるのかを描き出していくように、本作でもまたそのルールはさまざまな試練、テストに晒されるのだが、それがまたSFミステリサスペンス的にはおもしろいところである。

乗組員たちの過去

通常何世代にもわたる宇宙移民船の乗組員たちは地球でも優秀な人達であるケースが多いと思うが、ドルミーレ号では事情が違う。まっとうな経歴を持った人間を乗せると費用が高いという、かなりバカげた理由で刑期を務めなければならない犯罪者たちが、無罪放免と引き換えにのせられているのだ。みんな、移民先に到着することで過去を払拭することができることを条件にしているので6人の乗組員はまったく仲が良いわけではなく、秘密を抱えお互いがどんな犯罪者なのかも知らないでいる。

凶悪な殺人鬼が乗っているかもしれないし、凄腕のハッカーが乗っているかもしれないし、騙されて乗った人間もいるかもしれないし、何らかの”別の目的”を持って乗り込んできた不穏分子がいるかもしれない──しかも、空白の帰還が25年もあるせいで、全員を皆殺しにしたのは”自分かもしれない”のだ。そうやって、お互いがお互いを疑いあいながら、物語は彼らが目を覚ましてからどう事態に対処していくのかという移民船パートと、彼らがどのような過去と経緯を持ってこの船に乗り込んできたのかという過去回想パートを交互に挟んで進行していくことになる。

正直、一人の過去と”この世界では技術的に何ができるのか”という、ミステリでいうところのルールの追加が明かされるたびにどんどん6人全員の因縁、関係性が深く・複雑になっていき、すべてが明かされる最終盤に至っては地獄じみたカオス状態になっていて、もうどうにでもしてくれーという気分になってくる。そもそも全員死亡の初期状態からして無茶苦茶で、当然そこに至る過程も無茶苦茶になるのであった。とはいえ、かなり強引にでも理屈はちゃんと通っていて、そこがまた凄い。

おわりに

この魅力的な舞台設定を用意するための、そこに至るための導線がガバガバだったりするのだが、そのざっくりさ加減も含めて「これをやるぞぉ! うおおおお」と突っ走っていくようなおもしろさがあって好ましいところである。