雛口依子(ひなぐちよりこ)の最低な落下とやけくそキャノンボール
- 作者: 呉勝浩
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2018/09/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
簡単に説明してしまえば、主に2017年を舞台にした現代物で、とある連続殺人事件に巻き込まれた女子二人が、謎まみれの事件の背後に何があったのかを追っていく過程で、女子二人のうちの一人である雛口依子のおぞましい人生、そしてやけくそなキャノンボールが描かれていく──と、タイトルを絡ませながら紹介するとそんな感じになるけれども、この作品のおもしろさ、異常さは簡単に説明できるものではない。
2012年、兄の話
そもそものことの発端からすると、まず重要な起点となったのは2012年のこと。
父、母、兄、そして自分の4人家族で暮らしている雛口依子だが、家庭環境は最悪。父は働いているんだか働いていないんだかわからず、借金まみれで、母もぱっと見まともだが言動も行動もどこかイかれてる。とはいえ、とりわけイカれているのは25歳の兄である。全人類おれの手下って感じで、偉そうで、わがままで、それだけじゃなくとにかく手当たり次第誰でも暴力をふるう悪夢のような人間であった。
「誰でも良かった」と殺人犯が告白するも、実際には女子供など腕力で屈服させられる相手しか狙わないケースが多いというが、この兄もそんなケースなのかといえば、そうではない。徹底的な平等主義に貫かれ、誰であろうとも見境がなかったという。
兄が特化していたのはただ一つ、暴力だ。
教師、生徒、子ども、年金受給者、見知らぬ通行人からボクサーに空手家、はてはヤクザに景観まで、兄の暴力は徹底した平等主義に貫かれ、見境がなかった。その上、完璧主義だった。一度はじめた暴力は、完膚なきまでに相手を痛めつけるか、自分がやられて動けなくなるまで止まらない。そんなポリシーは、金をもらったって要らないと、わたしは思う。
当然、家族にも拳は飛んできた。平等に、完璧に、容赦なく。
やべーやつじゃん! 病院にいれなよ! と思うが実際に幾度も病院にいれ、カウンセリングも受けさせているがカウンセラーをボコボコにするのであっけなく少年院にいれられ、そこで殺すか殺されればいいと家族が祈るのも虚しく一年経って普通に戻ってきてしまう。家族は暗澹たる気持ちになるが、なぜか(おそらく自殺だろうと判断された)兄が突然高い部屋から飛び降りるという事件が起き、その後奇跡的に一命をとりとめるも植物状態になり、一家に平穏が訪れる。だが、兄は突如として目を覚まし、同時に完全に過去の記憶と暴力衝動を失ったのがこの2012年なのである。
2016年、とある金髪の女子と出会う。
物語はそこで時間が飛んで続くは2016年3月。雛口依子はボーリング場に通っている。そこで出会ったのが、浦部葵という、雛口依子が巻き込まれたとされる凄惨な殺人事件の加害者とされる男の妹である。その事件の概要を説明すると、現場となったのは千葉県印西市の住宅。そこで猟銃の乱射事件があり、未成年者を含む3名が顔や胸を撃たれ死亡、2名が重軽傷を負い、犯人と思われる男(浦部葵の兄)はその場で猟銃を使い自殺したとみられ、雛口依子はその事件に巻き込まれ、生還したのだ。
浦部葵は雛口依子を誘ってメシを食いながら、本を書きたいのだと語る。何しろ凄惨な事件の加害者の妹であり、家族全体が意気消沈しそれどころか世間的な汚名も最悪であり、賠償金も半端ない額でとにかく金がない。だから、被害者遺族という特権的な立ち位置を利用して、金ががっぽがっぽ儲かるであろうバカ売れのルポタージュを書きたいのだというのである『「加害者の家族と、被害者の姐さん。二人でこの事件を掘り下げるルポを書きましょうや」』。いやいや、という感じだが、この浦部葵、被害者家族のもとに凸撃取材を繰り返し弁護士に激怒され、それでまるで悪びれることがないなど、イカれた人間ばかりのこの物語の中でも、屈指の狂人の一人である。
とはいえ──狂人で、利己的な目的ばかりをまるでカモフラージュのようにして口にする彼女だが、その心の中では兄がそんなことをするはずがないという強い確信があり、真実を探求しようという強烈な意思に基づいて調査を進めていく。『「コンプレックスの塊みてえな人間だったんです。ガキのころ、女みてえな野郎だといじめられてたらしくてね、それを両親のせいだと恨んでね。無駄に男らしさにこだわりだして、そのくせ料理と裁縫が得意だってんだから笑えます」』『まあ、でも──と、葵ちゃんはいう。「悪い奴じゃなかったっすよ」』
徐々に不穏さが増していく。
ふーん、女子二人で事件を解決するんだろうな〜〜、でも交互に語られていく兄の方の話はいったいどんな関係があるんだろう、と疑問に思いながら読んでいくと、序盤に浮かんでいたいくつかの「違和感」が明確な実態を伴って読者にたいして襲いかかってくることになる。たとえば、依子とその家族が繰り返しいう「あの人は駄目になった」という言葉。兄の復活をきっかけとして、お前たちはこの先、大変な目に遭う、それは決してふつうのことじゃなく異常なことなんだと意味深なことと、全て裏側の模様が異なる自作のトランプとかいう意味不明なものを残して失踪した父親。
話は戻って2013年、兄が突然の蘇りを果たし、父親が失踪を果たした直後に雛口一家は色川さんという叔父さんの家に居候させてもらうことになる。ふーん、そういうこともあるんだな、と思いながら読んでいくし、最初は特に違和感もないのだが、だんだんその異常さが際立っていく。たとえば、叔父さんの家の子どもである時郎くんは19歳なのだが、叔父さんに言われてなぜか依子と一緒に風呂に入り、それを依子も特段不思議にも思っていない。はよ結婚しうようやあ、と時郎くんに言われても「決めるのは叔父さんだからねえ」と返すばかり。要は自分の意思などはなから考慮にいれず、ただただ叔父さんの言うなりになって、19歳の親戚の息子との結婚も、その他もろもろの生活上の奉仕も、そういうものだと受け入れてしまっているのだ。
色川の伯父さんは、困っている人を見捨てておけない性格で、いろいろ問題のある人たちを住まわせてはご飯を食べさせ、おつとめを与えてくれる。父も母も、「色川さんは素晴らしい人だ、あの人のおかげで救われた」と繰り返していた。厳しい人だし、ちょっと疲れるところもあるけれど、わたしだって伯父さんに感謝していた。三角屋根の家の生活は、おおむね幸福だった。
兄が台無しにするまでは。
読者からすれば(記憶を失って常識人になった兄も)何もかもがおかしい状況だが、この物語は雛口依子の一人称であり、まっとうな判断力を持っていて、知識も持っていて、ネットにも触れているはずなのに、自分のおかれた状況を「異常」と判断できない、そのズレた描写の数々に、こちらの背筋が凍りついていく。いったい、この色川の家族はなんなのだ? そして、雛口依子はこの異常を異常と認識していないまま、どこまで落下してしまうのか? 一人称の主体がこちらとあまりにも異質な価値観を持っていると、ただただ恐怖を感じるのだということをはじめて知った。
おわりに
幸いなのは、浦部葵と出会った2016年の依子は過去の自分を異常だと認識していることである。浦部葵との茶番じみたルポタージュの調査を続けるうちに、同時にそうした依子の過去も明らかになっていかざるをえず、彼女が自分を異常だと認識した転換点、そしてあの事件の場所で本当は何が起こったのか、そして落ちるところまで落ちた彼女のやけくそなキャノンボールがはじまるのだ。運命に立ち向かうために。
「ちくしょうって、思ったんです。ちくしょうって」
どこまでも重い話を軽やかに、されど威力は重さのままに筆致していく依子の語り、絶望的状況下で依子が(そして彼女と大差のない境遇にいる、名脇役リツカが)生きるよすがとするのが、三流のオヤジ雑誌に載っている低俗な連載小説「毒母VSメンヘラ娘」であることの尊さとか、とにかく素晴らしいところはいくらでも挙げられるのだが、いったんここでやめておこう。