基本読書

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第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作にして、刺さる人にはこれ以上なく深く刺さる物語──『ここはすべての夜明けまえ』

この『ここはすべての夜明けまえ』は、第11回ハヤカワSFコンテストの特別賞を受賞したSF中篇(もしくは短めの長篇といえるかぐらい)だ。特別賞は長さが短めだったり一点突破の魅力があったりで受賞する作品が多いが(たとえば過去事例で代表的なのといえば草野原々の「最後にして最初のアイドル」など)、本作も「刺さる人にはこれ以上なく深く刺さる」、2100年代を舞台にした、問題まみれの家族の物語だ。

とある理由からひらがなだらけの文章で物語が始まるので面食らうのだが、設定開示の順番は心地よく、すぐに作中世界へと入り込んでいくことができる。単行本になる前からゲラが配られたりSFマガジンに全文掲載されたりしていたのでエモいエモいと評判だけは聞いていたのだけど、実際に読んでみたらたしかにこれはエモーショナルな物語だ。しかし、ただ感動させよう、感動させようという気持ちがはやる素人臭さの残る感じではなく、テクニカルにじわじわとエモい空気を醸成していて、デビュー作にもかかわらずシンプルにうまいなあとその技巧にまず感動する作品だった。

あらすじなど

物語は次の一文からはじまる。『二一二三年十月一日ここは九州地方の山おくもうだれもいない場所、いまからわたしがはなすのは、わたしのかぞくの話です。』漢字がまばらにしか使われていないし、文章もおかしいが、どうやら語り手は100年以上前に「ゆう合手じゅつ」を受け、意識を引き継いだロボット的な存在になり、1990年代からこの2123年までを生きてきた人物であることがすぐに明らかになる。

その語り手がとつぜん「家族の話」を語りはじめたのは、もうすでに亡くなってしまっている父親から家族のことを書いてほしいと過去に頼まれたからなのだという。融合手術(今後はこの表記で)を受けたのは家族の中では語り手だけで、その家族は当然時間経過にともない一人またひとりと死んでいくわけだから、最後に残ったお前がその記録をとれ、というわけだ。家族はまず父親と母親。そしてこうにいちゃん、まりねえちゃん、さやねえちゃん、最後に、語り手の恋人であった「シンちゃん」。

シンちゃんはさやねえちゃんの子どもで、語り手にとっての甥っ子でもあったのだという──。その時点で問題が感じられるが、はたしてこの家族には何があったのか。なぜ語り手は家族の中でただ一人だけ融合手術を受け、さらには姉の子どもと恋人になるに至ったのか。家族はなぜ、死んでいったのか、修理も受けていないようにみえる語り手は、はたしていつまで言葉を発することができるのか? そうした謎が明らかになるにつれ、次第にこの世界の背景、歴史もまた明らかになっていく。最初、語り手の家のまわりにはだれもおらず、人類がどうなっているのかもわからないのだ。

なぜ融合手術を受けたのか。

語り手はなぜ融合手術を受けたのかといえば、愉快な話があるわけではない。そもそもが生きるのに苦労していて、何を食べても飲んでも極度の胃下垂によって胃に溜まりトイレで吐いてしまう。夜も眠れず、何度も昼夜逆転を繰り返し学校に満足に行くこともできない状況だったのだ。働くことも当然できないわけだが父親からはお金はあるから働かなくていいよ、安心していいよ──と保護してもらっている。

とはいえ、それでめでたしめでたし、とはならない。語り手は夫婦にとって最後の子どもであり、その出産タイミングで出血が激しく母親は亡くなっている(1997年)。当時一番上の兄は18歳、長女は15歳。年の差のある兄姉であり、はなから語り手は兄たちから「母の命を奪った子ども」として、敵視とまではいかずとも、良い捉え方はされていなかった。ろくに働くこともできない体質。母の命を奪って生まれた存在。兄姉たちからの敵意。融合手術を受けたくなる気持ちもわかる、つらい人生だ。

 それでたべるのもねるのもいやな生活が十才ごろから二十代のぜん半までつづくとさすがにうつっぽく死にたくなっていろいろありけっきょくゆう合手じゅつをうけることになるんだけど、ふとおもいだしたからボーカロイドのはなしがしたいです。まどの外があかるくなってきたからいまはいわゆる夜明けまえ、でも夕やけみたいに空が赤くそまり、いまはほんとうのところ朝なのか夕方なのかわからなくなるけしきをまえにするとわたしのあたまはアスノヨゾラ哨戒班を自どうさい生します、メモリからとりだしてさい生するまでもなくもうなん百回なん千回なん万回ときいてきたからなにもしなくてもきこえます。(p9)

刺さる人には刺さる

上記を読んでもらえればわかるが、1997年生まれの語り手はその人生の語りの中で、ときおり自分が体験してきたコンテンツの話を挿入する。たとえば「アスノヨゾラ哨戒班」はOrangestar作曲のボーカロイドを用いたオリジナル楽曲で、YouTubeに投稿されたのは2015年の1月12日。そこから月日は流れ、2024年現在YouTubeで5477万回再生と圧倒的な再生数を誇る。2015年に投稿された時語り手は17歳。
www.youtube.com
多感な時期にドンピシャのタイミングといえる。融合手術を受けた後も語り手の人生は基本的におつらいことばかりなのだが、それが読んでいても苦しさ一辺倒に陥らないのは、そもそも語り手の感情が平坦なことと、こうした「生きていてよかったあれやこれや」の話があるからだ。『IAというボーカロイド、音声合成ソフトウェアがうたうこの曲はわたしの心らしきもののまんなかをうち、歌詞もメロディもぜんぶぜんぶいい、すごくよすぎてずっときいていたい、三分もないとてもみじかい曲だけどきいていたらおもたいからだがういてどこまでもとおくにいけそうなかんじがする、』

最初に「刺さる人には刺さる」と書いたのは、こうした「ある時代」を明確に感じさせる要素が意図的に随所に挿入されているからだ。2015年でいうと、ボーカロイドだけではなく、将棋の電脳戦FINALの話題があったりする。同年代に近い人ほど深く刺さるのは間違いない(著者の生年は本書の裏によると1992年生まれ)。

SFとしても良い

ここまでの紹介部分だけ読むとあまりSFっぽさは感じられないかもしれないが、きちんとSFとしてもおもしろい。後半の話は省略するが、たとえば「自発的幇助自死法に基づく安楽死措置」といわれる安楽死措置が存在、それをめぐる議論であったり、融合手術を勧めていた父が、(語り手が)実際にその手術を経て冷たい身体になるとすっかり人間あつかいしてくれなくなって──と、「身体のマシン化」や「安楽死」が合法的に行えるようになった未来のディティールを見事に描き出している。

おわりに

無論後半にはSF的にももっといろんな展開があって──と、122pしかない中篇程度の作品なので内容の紹介はこんなところにしておこう。読み始めたらさらっと読めるはずだが、読後感はずっしりと重い。最初に書いた「姉の子どものシンちゃん」とのロマンス的な要素もあり、最後は愛とは、愛情とは何かと問うことになる。

現状今年一番といってもいいレベルの日本SFの注目作なので、興味があったらぜひ読んでみてね。