基本読書

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日本で行われた大量無差別殺人事件、他者を犠牲に生き延びた少女は「悪」なのか──『スワン』

スワン

スワン

異常な傑作『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』で呉勝浩の名を衝撃と共に知った僕だが(それがどのような衝撃だったかは前書いた記事を読んでほしい)、同著者の最新巻のこの『スワン』でもう一度度肝を抜かれることになった。「理不尽に降りかかる悲劇を、いかに乗り越えていくのか」という『雛口依子〜』で描かれたテーマが、ここではより拡大された形で描かれていく。これは本当に凄い!
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

衝撃の冒頭について

まず冒頭から衝撃的である。何やら怪しげな会話をするハイエースに乗った三人組(ヴァン、サント、ガスとお互いを呼び合っている)が新宿まで車で一時間の典型的なベッドタウン湖名川に存在する、スワンと呼ばれるショッピングモールへと向かっている。それだけなら普通の話だが、彼らは自分たちで設計し3Dプリンタで作り上げたお手製の模造拳銃を何十個も所持しており、それで「ただ人を殺そう」としているのだ。人で賑わうショッピングモールへ乗り込み、無差別に。日本刀も持って。

その時点で冒頭5%とかの話で、「ええ!? いくらなんでも展開が急すぎない!?」と(僕が)慌てているうちにあっという間に三人組はショッピングモールへと乗り込んで、ドンドンと銃を撃って(お手製なので、二発しか撃てない使い捨ての拳銃だ)、次々と人を殺し始めてしまう。

 エスカレーターがある吹き抜けはガラス天井になっていて、やわらかな光が差し込んでいた。そこを通り過ぎるたび、得もいわれぬ崇高な気持ちになった。
 コツン、コツン、大丈夫ですよ、ドン、ドン、嫌っ、やめて、お願い、ドン、ドン、ぽいっ、ドン、ガチッ、ちぇっ、ぽいっ。
 通路の正面から走ってきたカップルが、佑月を見て足を止めた。馬鹿じゃないの?なんで足を止めるんだ?そのままのスピードで駆けてこられるほうが弾を当てにくいのに。

無論、無限に殺し続けることなんてできない。拳銃の数には限界があり、時間がかかるが警察だってやってくる。彼らもそれは十分にわかっていて、20人以上を殺したタイミングで各自はそれぞれの人生にケリをつける。結果として残るのは理不尽に、ただそこに居合わせただけで死んだ21人の人々と、精神に多大なトラウマを負った生存者たち。ハイエースにのってやってきた3人組がいったいどのような動機でそんな事を起こしたのか、人間を恐ろしく憎んでいること以外ははまったくわからない。

一体何が起こっていたのか?

あまりにも呆気なく事件は終わり、この先なんの話があるんだ……? と思いながら読み進めていくと、この事件を生き延びた5人の男女が徳下という弁護士の男に呼び寄せられることになる。なんでも、吉村菊乃という高齢の女性が不可解な死に方をしていた件についての真相を解き明かしたい、そのために真実を語ってほしいという。

たとえば、吉村菊乃は最初最上階のスカイラウンジにいたはずなのに、事件発生後1階のエレベータ乗り場に移動しており、そこに乗り込もうとしたところで撃ち殺されていた。他にも、スカイラウンジで大量殺戮された人間たちの中で唯一前と後ろから撃ち殺されていた少年の謎など、いくつかの謎が提示され、5人の当時の体験談を通して、その日「本当にあったこと」の全体像が立ち上がってくることになる。

探り合いのゲーム

しかし生き残ったのは何も集められた5人のみということではない。なぜ、この5人が選ばれたのか。呼び寄せられた一人は、片岡いずみという16歳の少女で、ある意味もっとも悲惨な生存者だ。彼女はスカイラウンジで事実上の人質にされ、「殺す相手をお前が決めろ」と迫られ、彼女が見たものが次々と殺されていった。

その中には(辛くも一命をとりとめたが)彼女の同級生もおり、その彼女の母親の証言を通して、いずみは「自分が助かるために他人を売った悪そのもの」とインターネットやメディアから大バッシングを受けている。他、3人の男性と1人の女性がいるが、みなそれぞれの理由からこの対話の中で「嘘」をついている。はたして、彼らはなぜ「嘘」をついているのか? 隠している「謎」は何なのか? と、未曾有の殺戮事件の描写から一転、嘘つきどもの探り合いのゲームが始まることになる。

片岡いずみも最初は哀れな犠牲者にすぎないが、いくつかの「嘘」をついていることが明らかになり、はたして、「悪」は誰なのか? そもそも、何が「悪」なのか? がわからなくなってくるが──わかりやすい、単純な回答は明らかに間違いだ。

チャイコフスキーの『白鳥の湖』、世間の悪意

なぜ3人組はそんな破滅的な行動にでないといけなかったのかなんて、誰もが納得するような明快な理由があるわけがない。それはもっとドロドロに溶け合ったもので、理不尽で救いがないものなのだ。しかし、多くの人々に伝わるのは、そうした複雑な世界の様相ではなく、黒か白かといった単純なメッセージなのである。

非常に単純な形で、生存者らが強烈なバッシングにあう様が本作では描かれていくが、そのおぞましさ、「ありそう感」は相当なものだ。たとえば、事件現場となったスワンの警備員であった山路は、犯人から逃走したとみなされ、事件収束直後に家族あてに『命拾いした』というメッセージを送った意味について記者会見で質問され、苦笑のような泣き笑いのような顔をしてしまったことで強烈に叩かれた。そこにどのような感情があったかなんて、当人にしかわからない。そもそも自身も身体を撃たれながら命からがら逃げ延びた男が、家族に送ったメッセージにすぎないのだ。

他者を犠牲にして生き残ったとみなされたいずみは、病院の屋上でほんのわずかな息抜きとして踊っていた(バレエをずっとやっていたのだ)ところを激写され、壮絶な批判を受ける。余裕綽々ですね、楽しそうですね、犯人に気に入られていたから、彼女だけは事件現場でも余裕だったんじゃないか──などなど。彼女の気持ちはとても一言では言い表せない嵐が吹き荒れているのに、みな彼女の心情を、「悪」なのか「悲劇のヒロイン」なのかと容易く、わかりやすい形で判定しようとする。

「なんで」
 恐怖がよみがえった。彼の騒動を後追いで知り、次はわたしだと感じたときの恐怖。じっさいに追いまわされた記憶、おびただしい数の陰口。
「なんでこんなに、悪意があふれているんですか?」

『わかってる。通じない。こちら側の言い分は通じない。彼らにとって事件は客席から眺める「物語」で、山路は「登場人物」で、記者会見は「場面」だった。表情やしゃべり方は「お芝居」とみなされ、カメラのフラッシュは「演出」だった。そしてこの「物語」は、観客が望むとおりに「改変」される。』そうしたテーマ性が、書名である『スワン』、チャイコフスキーの『白鳥の湖』と密接に絡まり合っていく。

おわりに

犯人たちがすでに死んでしまっているこの事件に落とし前をつけるにはどうしたらいいのだろうか? 理不尽な悲劇のある人生をこのさき生きていくために? 悪とは何かを問いながら、人生に起こり得る理不尽そのものとの闘争を描き出し、同時にそれらすべてがからみあったミステリィ的な解決がラストで鮮やかに収束していく一作で、呉勝浩の最前線の代表作にして傑作である、といっていいだろう。

雛口依子(ひなぐちよりこ)の最低な落下とやけくそキャノンボール

雛口依子(ひなぐちよりこ)の最低な落下とやけくそキャノンボール