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女性のみ、一日に喋れる語数が百語までに制限された社会を描くディストピアSF──『声の物語』

声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)

声の物語 (新ハヤカワ・SF・シリーズ)

クリスティーナ・ダルチャーの2018年に刊行されたばかりのデビュー長篇『声の物語』は、記事名にもいれたように、女性が一日に発話可能な語数が100語以下に制限され、女性の権利が大きく制限されたアメリカを描くディストピアSFである。

正直、最初にそのあらすじを読んだ時「そんなバカな笑」と笑ってしまった。一体何がどうしたら女性が100語しか喋れない社会がやってくるわけ? と。だが、語り手となる女性ジーン・マクレランも、かつてはそうして「そんなことになるわけがない」と最悪の想像を笑い飛ばし、選挙にも行かず、見えている危機に対処してこなかった人物として描かれており、「そんなバカな笑」と”笑い飛ばしているあいだに”、状況が大きく変わっていく様を、説得力を持って本書は丹念に描き出していく。

物語のスタート地点は、女性たちから声が奪われてから約1年後。子どもが4人もいるジーン・マクレランは元認知言語学者だが、序盤はこの変わってしまったアメリカ社会での生活が淡々と描かれていく。たとえば息子の中でも特に長男は社会の空気にすっかり流され女性蔑視的な価値観を宿し(女はすぐヒステリーを起こすといい、女にある仕事をさせて、男に他の仕事をさせるほうが生物学的に理にかなっていると言い出したり)、言葉を発することもできぬまま夫婦の営みが行なわれる空虚な時間であったり、物心付く前から100語制限がついてしまい、すっかり喋ることをはなからやめてしまった幼い娘であったり、カウンターの数字が最低だった子にはプレゼントが贈られる学校──などなど、絶望的ともいえるこの世界の日常が綴られていく。

それと交互に語られていくのが、まだ女性たちがそうした状況に陥る前の話である。ジーン・マクレランの大学院時代の友人にはジャッキーという活動的な女性がおり、彼女は大学院時代からしょっちゅうデモに行き、選挙にいこうとジーンに対して呼びかける。それに対してジーンの答えはいつも同じだ。『「無理、忙しいから」』。ジャッキーははそれでも語り続けることをやめないが、ジーンはそれをジョークのようにとらえているし、何なら邪魔なおせっかいだと考えている。ジャッキーから渡されたディストピア小説を手にとっても、ジーンの姿勢はかたくなで崩れることはない。

 わたしは本を手にとった。「これって小説よね? わたしは小説なんか読まないってば」本当だった。一週間に五百ページの学術論文を読まなくてはいけないのだ。フィクションに割く時間はなかった。
「裏表紙だけでも読みなよ」
 読んだ。「こんなことは起こらない。決して。女たちが黙ってはいない」
「今はまだ、簡単にそう言える」

すぐ隣の人間がディストピアを作り出す恐怖

だが、状況は刻一刻と移り変わり、上院にいた21人の女性議員が15人になるなど、その数が数が年々減っていく。少し減った、ぐらいではジーンの危機感は醸成されない。『「正直言って、ジャッコ、ちょっとヒステリックになってない?」』と彼女は疑問を呈す。『「だって、だれかがこのへんでヒステリックにならないと」』とジャッキーが返す。実際、そこは分水嶺だった。その後15年間で女性議員はゼロになり、フェミニズムがユダヤ教・キリスト教的価値観を破壊するという子どもへの教育が行われ、と次第に極右的原理主義的価値観が蔓延していくことになる。

「声が奪われた社会」というと単なる荒唐無稽な話にすぎないが、こうした漸次的変化が語られていくと、茹でガエル理論的に「本当にこのようなことは起こり得るのかもしれない」と恐怖心が沸き起こってくる。それに加えて、ジーンの家族(長男であったり、中立的な思想を持つはずの夫であったり)も10年20年といった月日の中で、次第にそうした思想に染まっていってしまい、「ずっと上層に位置する権力者」による押しつけによってディストピアになるのではなく、すぐそばにいる親しい誰かが源泉となって、ディストピアへと移り変わっていく恐ろしさがここにはある。

で、その後物語としては、大統領の兄がスキー中の事故によって左脳後部にダメージを受け、言語機能への障害が予想されるのだが、その治療に一流の専門家としてジーンが加わることになり──と、この国の背後で進行するより大きな陰謀が明らかになっていく。そのへんの筆致は(わりとおもしろいけど)そこまでうまくもないし、長々と語られる不倫パートにはウンザリさせられる面もあるので紹介としては割愛。

おわりに

さぁ、これまで褒めてきたことにまったく嘘偽りはないが、それはそれとして100語しか喋れないように制限するってのはやはり設定としては極端すぎるよなあと個人的にノレないところもある。声を奪われた女性という象徴的にはおもしろいからそれはまあいいにしても、終盤のネタもなあ……といろいろ言いたいところもあるけれども、現代に語られるべきディストピアSFであるという点は間違いないところだ。世界中の女に強力な電流を放つ力が宿り、男と女の力関係が完全に逆転した世界を描くナオミ・オルダーマン『パワー』と合わせて読むとおもしろいと思う。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp