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現実とは何かが不明確になった社会を描く、森博嗣によるSF新シリーズ開幕篇──『それでもデミアンは一人なのか?』

森博嗣によって講談社タイガで刊行されていた、人間の生殖行為による子どもがほとんど生まれなくなった社会を描き出すWシリーズが昨年完結したばかりだが、その事実上の続篇となるシリーズがこの『それでもデミアンは一人なのか?』から始まるWWシリーズである。とはいえ、1作完結路線は本作でも変わらず、基本的な人間関係、用語などは本書でもその都度説明されるので、ここから読み始めてもそう問題ないだろう。前作と合わせて、森作品の中では明確にSFを指向したシリーズだ。

WWシリーズはどこをみているのか

『彼女は一人で歩くのか?』から始まるWシリーズは、人に似せ人工的に作られた有機生命体であるウォーカロンと、人間の差異を決定づける解析方法を構築している研究者ハギリの視点を通して、生と死、人間と非人間、そうした明確に今の我々の社会では区別されている物の、境界のあやふやさを描き出していくような作品だった。

では、続くこのWWシリーズはどうなのかといえば、無論まだ一冊目を読んだだけなのでなんともいえない。いえないが、あえて推測すると、こちらはさらにそのさきに進んだ、イメージが膨らんだ後の話──人間とウォーカロンに差異があるのだとしたら、ウォーカロン、あるいはそれに端を発する人工の生命体がその差を取り込み、飲み込んでいくことは可能なのか? できたとしたら、人と電子上に生まれた生命体であるトランスファ、ウォーカロンの三者は、どのような社会を紡ぎ出していくのだろうか? を描き出していくのではないだろうか。ま、現時点での推測に過ぎないが。

WシリーズとWWシリーズのSFとしての醍醐味

この両シリーズが描き出してく世界のSF的におもしろいポイントのひとつは、現代の数世紀後を舞台にしているが、人間の技術・発展というのが一時的なのか永続的なのかは判明していないとはいえかなりの部分遅滞してしまっているということ。また同時に、人間が自身らの生殖行為によって子どもが産めなくなったこと、また自分たちの寿命を飛躍的に伸ばしたことが合わさって、ウォーカロンや電子上に根を張るトランスファーらにジワジワと数の面でも知能面でも押され始めている、つまりはゆるやかな種族交代の最中にあるという世界の描き方、それ自体がおもしろいのだ。

で、このWWシリーズは前作からそう日が空いているわけではないので、世界の状況がそう大きく変わっているわけではないのだけれども、比較的大きな変化のひとつは電子空間での動向を可視化するようなシステムが発展したことが挙げられる。たとえば、Wシリーズは基本的には現実をベースに展開してきた物語だったが、本作ではVR空間でのやりとりが増えている。現実が、人間が、より電子的な存在に近づいているように、作中の質感、空気感みたいなものが大きく変わってきているようだ。

 現代の現実は、限りなく電子の露に覆われ、白っぽく霞んでいるように見える。現実が見えにくくなっているのではなく、現実とは何かが不明確になっていて、今この目で見えているもの、自分の手で触れているもの、そしてここで生きている自分の肉体が、まるでただの作り物の人形で、自分の存在とは別のオブジェクトである、と感じさせる麻酔的効果を漂わせたバックグラウンドが、それ自体も漠然と存在しているのだ。

人間はバーチャルな世界に溶け込み、出産も行えず(ただし、問題は特定した)種族として後退しつつあるとはいえ、「人間性」の後退はまた別の話だ。人間ではないもの、人間が作ったものが人間以上に人間らしくなり、「新しい人間」として生きる世の中が訪れつつある。そこで行われているのは人間性の刷新、人間概念の混交であって、決して後退というべきものではないのかもしれない──と、そのようにつらつらと人間概念について考え込んでしまうようなあシリーズなのである。以下あらすじ。

あらすじ的な

前作読者からするとハギリは? ウグイは!? 主人公続投なの? というのが気になるところだろうが、それは読んでのお楽しみとしておこう。物語冒頭、楽器職人としてドイツで暮らすグアトという名の男性のもとへ、極秘に開発されたプロトタイプであるという戦闘用ウォーカロンのデミアンが訪れ、彼に「エジプトで、ロイディという名のロボットを輸送しましたね?」と問いかける。デミアンは金髪で青い目で、とコテコテの見た目をしているがそれだけでなく武器としてはカタナを持っている!

一悶着あったあとなぜか同タイミングでグアトの住居を襲った謎の三人を斬り捨てて逃げ去るデミアンだが、無論わけが分からぬことばかり。ロイディとは何なのか? 何のために探しているのか? なぜグアトがロイディに関与していたことを知っているのか? また、デミアンは普通のタイプのウォーカロンではなかったが、彼はなんなのか? と疑問が噴出するが、グアトと彼の妻であるロジがその事件の調査をする過程で、ロイディとデミアンの関係性、またその事実がもたらす「あらたな人間/ウォーカロン/トランスファ」のかたち、が明らかになっていくことになる。そうした議論がただのSF、哲学的議論で終わるのではなく、作中で発生するある大きな謎へのミステリィ的な解決になっている点も、このシリーズらしく素晴らしい点だ。

百年シリーズとの関わり

「ロイディ」という名前が出てきたことに、『女王の百年密室』から始まる百年シリーズ読者は驚いたかもしれない。というのも、このシリーズは明確に百年シリーズと同一の世界観を有しており、(百年シリーズで主役を張った)ミチルやロイディのその後がどうなったのかもはっきりと示されているのだ。そして、本作の英題「Still Does Demian Have Only One Brain?」を読んだら、ロイディが持っていたメカニカルな特性が本作のコア部分に密接に関わっていることもわかるかもしれない。

正直、百年シリーズから語られてきたひとつの設定が、ここでこうして見事に接続され花が開くとは、とゾクゾクする部分があった。実質的には百年シリーズの続篇ともいえる本作なので、かつて好きだった人たちも、ここから読み始めてもいいのではなかろうか。無論、SFとしてここから読みはじめてもOKだ。
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