- 作者: 彩瀬まる
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2019/08/08
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
中心となるのは埜渡徹也(のわたり・てつや)という男性作家と、その妻の流生きの二人である。彼は妻の流生(るい)とのことをフィクションとして描いた『涙』でヒットを飛ばして一躍有名になったのだが、ある時、その流生が草木の種を食べてしまったことをきっかけに、体から発芽してしまう。最初、物語は埜渡の担当編集瀬木口の視点から展開していくので、実際に発芽している流生を見て「なんじゃこりゃあ!」と死ぬほど驚くのだが(当たり前だ)、流生は病院には行きたくない、救急車を呼ばれたら舌を噛み切ると言うし、埜渡自身もそんなこと言われたらしょうがない、という感じなので、次第にまあ、異常だけど夫婦の問題だしな……を手をひくことになる。
とはいえ、さすがに人間からどんどん発芽し、森になっていくのをただ見ているのは非人道的である──のはもっともなのだが、埜渡から送られてきたあらたな小説はまさにその森に変化していく流生のことを雄弁に語った小説で、その出来がまた最高傑作だったことから、積極的に見てみぬふりへと加担することになってしまう。「夫婦の問題だから」という完全不干渉から、「原稿をもらうために」の不干渉、それも知っているうえで隠しているのだからほとんど犯罪に加担しているようなものだ。
森があふれる
一個人がただ木になるんじゃなくて、それがどんどん世界を侵食し、「森があふれていく」のがぐっとくる。絵面としてだけではなく象徴的にもおもしろくて、流生は埜渡とのかかわり合いにおいて圧倒的に「語り」の能力で負けているんだよね。自分の意見がうまくいえないし、その間に埜渡が「こういうことだろう」みたいに要約すると、少しズレててもそれを訂正するのにも面倒で、それを通してしまうとちょっとずつコミュニケーションの不全感が高まっていってしまう。で、その不全感が最高潮に高まったある時、流生は森になってしまうが、それは「うまく語れないだけで、彼女の内面の世界はこんなにも豊かに広がっている」というようにも読める。
物語はどんどん視点の主を変えながら展開していくのだけれども、視点人物は誰しも妻や夫とのコミュニケーションのうまくいかなさと偏見を抱えている。たとえば瀬木口の後任としてやってきた女性編集は、「涙」の作中で笑って体を差し出す涙を現実の流生と混同して、自分が小説に赤裸々に書かれることを許したのだと思っている。
だけど実際にはそうであるとは限らない。いやでいやでしょうがないかもしれないし、そもそも同一視するのは根本的におかしいかもしれない。なぜそう思い込んでしまったのかと言えば、男性をサポートするためにその身を犠牲にすることが「女らしく」感じられたからだ、と女性編集は語るのである。本書では視点を次々と変えながらこうした男らしさ、女らしさの各人に存在する規範・偏見をあぶり出していく。
おわりに
森になってしまった流生を、埜渡はかたくなに見ようとせず、森にも入らない。彼はずっと、他者の内面に踏み込まない冷静な観察者であったわけだが、それでは見えてこないものがある。ついに自分の視点が回ってきたとき、彼はスランプに陥っていて、小説を書くためにも森へと立ち入ることを決意するわけだが──、森の中で行われる自分自身、そして流生とのやりとりはやっぱり噛み合っていないのだけれども、そこからはたしかに「対話」が始まりかけている。