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BIを導入したら本当に人は働かなくなるのか?──『みんなにお金を配ったら──ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?』

みんなにお金を配ったらー―ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?

みんなにお金を配ったらー―ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?

ベーシックインカムという、最低限所得保障の考え方がこの世に存在する。簡単に説明すれば、一月3万なり10万なりを、制限をつけず全国民に配布しちゃいましょう、という考え方である。「え、毎月10万貰えたらメッチャ嬉しい、やったー!」と気分が沸いてくるが、実際には利点に関しても欠点に関しても様々な議論がある。

BIの想定される利点と欠点

たとえば、そもそも財源をどうするんだ、という問題がある。また、全国民に配分するということは、金持ちにも同様に配るわけなので、貧困者を狙い撃ちにしたほうがもっと効果的なんじゃない? 説もある。他にも、毎月10万も(仮に)もらえたとしたら、人々は働かなくなるのではないか。勤労精神を失った人間は堕落していくのではないか、という考えもある。まあ、どれも反論としてはもっともな話である。

一方でそれら想定される不利益を上回る利点も当然存在する。たとえば、現状我々の社会で叫ばれまくっているAIやロボットの活躍で人間の労働が置き換えられて、労働者それ自体がいらなくなるのではないか、という技術的失業への対策である。労働者がいらなくなるのであれば、働かなくても(最低限は)生きていけるようにすればいいじゃない、ということだ。もうひとつ、今高所得国で大きな問題になっていることのひとつに、深刻な格差がある。経済成長をしても富めるのはすでに資産を持っている人たちで、着の身着のままの労働者たちには、ほぼその恩恵が与えられない。

だが、もしBIが導入されて毎月確実に10万が手に入るのであれば、低い時給で重労働の劣悪な仕事につく必要がない直接的な恩恵が即座に現れる。我々はクソッタレな仕事にノーを突きつけることができるようになり、そうした仕事の賃金は新たな適正値まで上昇せざるを得ない。また先進国であっても、貯金も何もなく、余裕のない生活を送っている人は何万人も存在していて、突然の病気や突然の失職から、なし崩し的に極貧生活に突入するようなリスクを毎月10万円のBIは低減してくれる。

保障を受けるときに必要な長ったらしい書類、審査といったものも、それらがすべてBIに集約されることで簡略化され「保障を受ける」という負い目もなく(だって、すべての人間が受け取るのだから)ただ受け取ることができるようになる。

と、そうした利点があるわけなのである。本書『みんなにお金を配ったら』は、こうしたベーシックインカムについて、すでに世界の各地で大なり小なりの実験が行われているので、そこで得られた知見などを元に、上記で取り上げた利点や欠点を、BIは乗り越え、本当に利益をもたらすことができるのか──を確認していく一冊である。ちなみに、結論自体は最初の段階で既に出ている。圧倒的な肯定だ。

 こうしたプロセスを経て、今のわたしは確信している。UBIは、政策としての実現性が問われる具体的な提案であると同時に、一つの価値理念でもあるのだ。この構想は、全員一律、無条件、インクルージョン、シンプルさといった原則を掲げながら、すべての人間は経済への参加と、選択の自由と、困窮に苦しまない人生を享受するに値する存在なのだと訴えている。政府にはそれらを享受させる力があるし、実際にそう選択していくべきなのだ──月額1000ドルの給付という形になるにせよ、ならないにせよ。

働かなくなるんじゃないの?

BI絡みで目にする機会が多い反論はこの「働かなくなるんじゃないの?」というものだ。10万も与えたら、それだけで生活するのは難しいにしても、これまで普通に働いていた人がほとんど働かなくなって社会が回らなくなるんじゃないの? というわけである。もっともな話に思えるが、実際には異なった結果が出ている。

たとえば、2010年、イラン政府は石油や食糧に関する補助を打ち切って、市民に直接お金を送るプログラムをスタートさせた。この時も労働をしない物乞いを育てるのではないか、などの議論がおこったが、2人の経済学者が納税記録などのデータを包括的に調査したところ、1.貧困が軽減し、2.不平等が緩和され、3.労働供給料を削減したエビデンスは確認されなかった という。これと同じ結論は、北米で行われている無条件現金給付プログラムのデータ、アラスカでのデータ(アラスカの石油排出の利益が市民に無条件に配られる)でも同様の結論が導き出されている。

とはいえ、いき過ぎると働かなくなるようだ。サウジアラビアの王族たちは小学校にあまり通わず、運動もしないという。ミネソタのネイティブアメリカンの部族は、実入りの良いカジノを運営していて、カジノの利益から住民に分配がなされているが、12年に報じられた時点でその金額は毎月8万4000ドル。部族の代表者は、「ここでは99.2%が無職です」と語っている。そら8万4000ドルももらったら働かんわ。

BIは人を自由にする。

本書ではこのあと、実際のBI導入事例を紹介していくが、そこで導き出されていく結論は概ねポジティブな物だ。BIは技術的失業への対策になりえるし、「BIが導入されることで、人は自分がやりたくない仕事をやらなくていいんだ」と思えるようになる。そうした思想的なパラダイムシフトも大きいが、重要なのは抜本的で「平等」な貧困層の底上げになる点。貧困層を狙い撃ちにする保障は、「誰が貧困層で、誰が貧困層でないのか」という峻別が必要とされるが、この正確な判定は困難だ。

本書でもアメリカの貧困層を例にとって、障害を認めてもらず、手続きもうまくいかず、なし崩し的にホームレス状態になってそこから這い上がることができなくなってしまった人などが紹介されていく。アメリカには様々な保障がある──非のない理由で働き口を失った人は失業保険が、赤ん坊に栄養を与えることが難しい親には女性・乳児・小児のためのプログラムが──それぞれ存在しているが、身体が健康で、扶養児童のいない大人は多くの州で何も手当がもらえない。大きな穴が空いている。

そういう人たちであってもたやすく──何らかの依存症になる、地元の経済が破綻する、泥棒にあう、大きな怪我をする──極度の貧困にはまりこむのだが、そうなったとき支援を得られないのである。また、これはアメリカで顕著な例だが、人種差別の問題がある。ヨーロッパ諸国のほとんどで19世紀か20世紀には国民全員をカバーする医療保険制度が構築されていたのに対して、アメリカでその整備が進まなかったのは多くの人が人種を分離する既存の仕組みを強化する方に力を入れてきたからだ。

その結果は人種別の主要な病気の罹患率、寿命と死亡率の差を見れば明らかだ。そうした差別は医療保険制度だけでなく福祉の給付受給にも及んでいる。ようは福祉における人種差別の廃絶にもBIは有効といえる、ということだ。

おわりに

そもそも財源はどうすんねんとかの話も本書ではしっかりとされていくので、細かいところは読んで確かめてもらいたい。よく、AIやロボットで失業者が増える、どうしたらいいんだみたいな議論がなされることもあるが、僕はそれ自体は自動化税を導入すれば済む話だろうと思っている。(自動化税だけに限らないが)問題はその配分方法で、ベーシックインカムは確かにその一つの選択肢であるように思える。

机上の空論ではない証拠に、今各所で実験的にBIを導入する都市が増えてきている。サンフランシスコから内陸側の都市ストックトンが住民に月500ドルを無条件で支給するとし、ハワイ州も導入の道を探り始めた。僕は最終的に人が誰も働かなくていい世界が実現することを望んでいるので、元よりBIには肯定的なのだけれども、批判的な人が読んでも(丁寧に反論しているので)おもしろい一冊であると思う。