しかし、仮にAIがそうした「社会を維持する」ための労働を肩代わりしてくれるのであれば、我々は働かなくても生きていくことができるようになるはずだ。「AIにできない仕事を人間がやるだけで、仕事はなくならない」という人もいるが、人間の能力をAIがあらゆる領域で上回るのであれば、その仮定も虚しくなる。
野崎まどによる最新長篇であるこの『タイタン』は、そんな仕事が必要なくなった世界における「仕事」とは何なのかを、社会を管理する超高度AIタイタンと人間の両側面から描き出してみせる一作だ。仕事とは何なのか、なんのために仕事をするのか、なぜ仕事をしないのか。生きることは仕事なのか。誰も使わないものを作るのは仕事なのか──そうした素朴な問いかけを重ねていくうちに、(野崎まど読者としては待ってましたと言わんばかりに)ラストにはシンプルな「仕事」の概念に到達し、そこまでの物語──「超高度AIのカウンセリング」を──見事にまとめあげてみせる。
シンプルで力強く、イメージは豊穣。ラスト10%に至るまで物語の結末は予測不能で、どこまで連れて行かれるのかというワクワクが持続する。野崎まどらしい作品である。コロナの真っ最中の刊行は、著者と版元にとっては痛いタイミングだが、ベーシックインカム的な最低保証を含めて「仕事」をあらためて考え直す必要に問われている現在にこそより響くという意味では、いま読まれるべき本でもあるといえる。
世界観とか
踏み込んだ紹介をしていくと、舞台は先に書いたように人類がほぼ仕事をする必要がなくなった2205年。社会は「タイタン」と呼ばれる統合処理AIが管理している。彼らが、掃除も、建築も、輸送も、すべてを効率的に行うので、「人が働かないほうが食べていける」社会が実現している。かつて仕事であったものは今ではもはやする必要がないので「趣味」として行われ、芸術や創作も自己満足の世界だ。
二二〇五年現在、あらゆる自律機械は世界十二地点に設置されたAI施設『知能拠点』に接続しながら活動している。知能拠点では大元となるタイタンAIが、百五十年前の設計通りに知恵を絞り続けている。
こうして全てのロボットが『タイタン』と繫がり、『タイタン』そのものとなった。
時代が進むに連れて言葉は同一化し。『タイタン』はAIの名称であると同時に、あらゆるロボットの総称となったのだった。
物語の中心となるのは、そんな世界で発達心理の論文を発表している趣味的な研究者の内匠成果だ。この時代にはもう医療は人間の手では行われていないのだけれども、分野としては「臨床心理士」に近い。ある時、そんな彼女のもとに、『知能拠点管理局第2知能拠点安全管理室室長』という肩書の人間──この世界にわずかに存在する「仕事をする人間」から、「仕事を頼みたい」というコンタクトが発生する。
それは脅しに近いもので、半ば強制的に連行された内匠成果が任されるのは、タイタンのうちの1基のメンテナンスだ。統合処理AIはまとめて「タイタン」と呼称されているが、世界を管理するために専門性を持ったAIが順次追加されていて、世界には異なる性能を持った12基のタイタンが存在する。そのうちの1基、知恵の神コイオスの名を与えられたタイタンの性能が低下していることが発覚。原因不明のその性能低下を修復するため、その「カウンセリング」を任されることになったのだ。
神になった人工知能
統合処理AIに神の名が割り振られているのは、偶然や気まぐれではないのだろう。
人間を遥かにこえた性能を誇る人工知能が世界を管理している以上、人工知能がある日突然壊れたり、人類にとって予想外の方向に向かって転がり始めても、人間にはもはや直すことができない。世界の運用と溶け合ってしまって手出しができなくなった人工知能は、もはや人類にとって自然の驚異と変わりがない。そうである以上、人間が科学的思考を身につける前と同様に、そこに「神」を見出すしかない。
だが──本作における「タイタン」は、その仕様上、動作原理自体はわからなくても実は「対話」が可能な存在であることが明らかになる。タイタンの超知能は、我々がすでに用いているような深層学習のような手法を用いているわけではなくて、純粋に巨大な脳──とてつもなく巨大で、その中を通る電気信号の速度を加速させた、「《ロボット》と《生物》」の中間のような構造によって生み出されているのだ。
つまり、実質的にはタイタンは巨大な人間であるともいえる。通常そこに人格や自意識といったものは存在しないわけだが、機能の低下という緊急事態、それによる世界の危機を防ぐためにコイオスに人格を与え、それをカウンセリングすることで問題を解決に導こうとする。そのためのカウンセラーとして内匠成果は選ばれたのだ。
生成されたばかりのコイオスの人格はほとんど幼児同然のもので、内匠成果の仕事はまず言葉や概念を教え、対話をスタートさせるところからだが、対話が成立していくうちに次第に「仕事とは何か」を繰り返し両者は問いかけていくことになる。タイタンは人類のために作られた存在だから、仕事をすることを宿命付けられている。だからこそ、仕事について悩む。彼にとって、人類にとって仕事とはなんなのか。
「《仕事》についてなんらかの疑問が生じた。それが膨らむに連れて自身の考えと現実の乖離が広がったのです。過去の症例論文によれば、『自分には仕事以外に無い』と認知していた人間が仕事で上手く行かなくなった時にうつ病となるケースが多数見られます。今回の症例はその類似例になります」
おわりに
タイタンが巨大な脳って大ネタバラしちゃっていいの? と思うかもしれないがこの情報は本書の20%未満で明かされるもので、その後にもう二段階ほど飛躍していくので、お楽しみに! AIが管理する未来社会を描き出すSF小説であると同時にお仕事小説でもあり(考えてみれば、近年の小説・アニメ含む野崎作品ってお仕事作品多いなあ)、「仕事とは何なのか」を解き明かす過程がコイオスの機能低下の原因にも繋がっていく、カウンセリング・ミステリィ小説でもある。
ちなみに今回、世界を複数の超高度AIが管理している設定、仕事についての話など非常に森博嗣みを感じる(森氏のWシリーズ的な発想に近い)内容であった。まあ、野崎まどにおける森博嗣の影響は昔から顕著だけど。
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