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天体物理学と宇宙戦争について──『宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス』

宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス 上

宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス 上

宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス 下

宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス 下

全地球測位、通信、監視、ナビゲーション、気象観測など、現代の社会や軍隊は衛星に大きく依存している。それはつまり衛星を攻撃する価値も高まっているということだ。宇宙はどこよりも高い戦略高地であり、そこをどのように支配するのか、あるいは他国の支配に抵抗するのか──というのは今非常に重要なトピックになっている。

たとえば、2007年の1月に中国は自国の老朽化した気象衛星にミサイルを当てて破壊した。この破壊行為で宇宙ごみが散らばって他国からの非難が続出したわけだが、同時に脅威として判明したのが、「中国はこの高度までの他国の衛星を自由に破壊することができる」という事実だ。『中国の破壊実験成功がもたらす影響は数々あるが、当然、見逃せないものが一つある。それは、同じ高度を周回するアメリカのスパイ衛星やミサイル防衛関連兵器が容易にターゲットになりえたということである。』

そんなところでこの『宇宙の地政学:科学者・軍事・武器ビジネス』は、天体物理学者である著者ニール・ドグラース・タイソンが解説する天体物理学と戦争の関係性についての本である。宇宙の地政学と邦題がついているが、原題は『ACCESSORY TO WAR』で、天体物理学と関連する占星術や望遠鏡が戦争に及ぼした影響から、現在の宇宙の支配権をめぐる各国の対応について解説していく内容になっている。

説明は情熱的かつ明快で、触れられるトピックは幅広く、多くの参考文献がついている信頼できる本だ。上巻がほぼ望遠鏡と占星術の話なので「ぜんぜん宇宙の地政学の話出てこないやん!」と思う人もいるかもしれないが、上巻も紀元前のギリシャで行われた占星術と戦争の関係性についての話から始まって、めっぽうおもしろい。

占星術と望遠鏡と戦争

たとえばコロンブスが新世界への四度目の旅を行ったとき、イスパニョーラ島の現地住民を脅迫するのに月食を利用したことがある。現地住民がコロンブスらに満足な分の食糧を供給しなかったせいで、コロンブスは部下の恨みをかっていた。そこで、イスパニョーラ島の現地住民に対してもし追加の食糧を我々に渡さねば神が月をお隠しになるぞと脅迫したのだ。月食はこの頃にはいつ起こるかは天体物理学で解明されていて、現地住民はそんなことを知らなかったから、この脅しは有効に機能した。

天体物理学と戦争の関係性において、その重要性を一度に引き上げたのはやはり望遠鏡だろう。遠距離のものを見るための補助器具が出てきたのはほんの四世紀まえのこと。メガネ職人がつくったものが最初期のものだとされているが、その後半年ほどたってこの道具について知ったガリレオが、それを改良し宇宙に向けてみたのだ。

無論望遠鏡は天体観測に革命をもたらしたが、同時に戦争も大きく変えた。通常見ることをできないものが見れるということは単純にそれまでの情報収集能力が格段に上昇することを意味するし、手旗信号などの視覚通信を用いることで実質的な情報通信速度の革命でもあったのだ。と、そんな感じで視覚通信の歴史、レンズの発展(補償光学)などなどの話が語られていくのが上巻のおおまかな内容である。

ハッブル宇宙望遠鏡の物語

下巻から本格的に宇宙の地政学ともいえる内容に踏み込んでいく。

いくつもおもしろいところはあるけれども、まず驚いたのはハッブル宇宙望遠鏡についての物語だ。ハッブル宇宙望遠鏡は地上600kmの軌道上を周回する望遠鏡だが、実はこれは1970年代から存在する、全長18メートルのキーホール衛星と呼ばれる軍事用の偵察衛星と姿かたちが似通っている。衛星だから似ることもあるでしょ、という問題ではなくて、ハッブルは明確にキーホール型の衛星のうちのひとつだったのだ。それが明らかになったのは、2011年に軍事機密の指定が解かれてからである。

それまではずっと国内でさえも秘密だったので、実はハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられてから遭遇したいくつかの問題は、すでに軍内部では把握していた問題だったというちょっとお間抜けな話もある。たとえばハッブルは打ち上げられてからまもなくして、ひどい振動を示すようになる。これは、96分ごとに地球を一周するゆえに、望遠鏡の一部が瞬時に100度以上も温度が急上昇することに起因していた。

問題が発生したばかりの頃、チームはその原因を把握していなかったのだが、軍の秘密の会合に呼び出されて問題について報告すると、たくさんの出席者が頷きながら聞いていたのだという。ここは読んでいて思わず笑ってしまった。いや教えてやれよ笑、と思うんだけど、機密だし、それ以外にも一応教えない理由もあったようだ。

会議のさなか、説明を続けながらも、怒りがこみ上げてきました。私はそのとき「なんてことだ、どうして教えてくれなかったんだ!」と叫びたい気持ちでした。なぜなら、出席者たちは明らかに──そのうちの何人かはキーホールの運用担当者でした──何年も前に、まさにこの問題に遭遇していたからです。

宇宙の地政学

宇宙は各国にとってあまりに価値がありすぎるが、それ故に宇宙の軍事化も避けられぬ。衛星を保有するものはそれを保護しなければならず、そのためには宇宙の軍事化は避けられないからだ。アメリカは長らく「制宙権」について言及しているし、中国はそうした他国の動きにたいして宇宙空間での動きに遅れることなく、安全保障上の脅威や課題に対処し、宇宙空間の安全保障を維持する、と宣言している。

軍事化が避けられないにしても、それを行使するか否かについては条約や対話によって制御できるかもしれない。本書では、そうした宇宙での安全保障上の歴史と現在について、また衛星を攻撃するためにどのような攻撃手段が想定されるのか(サイバー攻撃、レーザー、核爆弾など)、各国の宇宙関連予算、戦略について──など、広範に渡ってみていくことになる。近年では、やはり特に中国の躍進が目覚ましい。

ある中国軍将官が表現したとおり、中国は「国際的な戦略的競争における新たな戦略高地」に到達した。(…)中国の宇宙開発における目標は、技術的習熟をはるかに超えて、その先にある科学的探求段階に達している。二〇一六年から二〇三〇年にかけての中国の宇宙科学プログラムは、物質の起源と進化、そして太陽系と人間との関係という、二つの根源的な疑問に取り組もうとしている。中国科学院の公式刊行物に示されている「戦略的目標」は、「偉大な科学的発見と画期的な成果」だ。

おわりに

『歴史上、世界で軍事的、経済的に最も強大な力を持った国々は、宇宙のふるまいについて最も高度な知識のある科学者を有する国々と強く一致している。』というように、これからはさらに、宇宙についての知識と宇宙で活動するための能力(打ち上げ能力など)がその国に大きな力を与えるフェイズに変わっていくだろう。

正直言って宇宙での衝突がもたらすダメージはあまりにも大きく暗い気持ちが湧いてくるが、著者らはそのへんわりと楽観的である。天体物理学と宇宙戦争の関わり、その歴史と現在を迫真の筆致で魅せてくれた一冊であった。