- 作者:レザー・アスラン
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2020/02/10
- メディア: Kindle版
なぜ、神は今のような形で我々によって作り出されたのだろう? 我々は神をどのような理由で作り出したのだろう? 人類の生存上理にかなっていたからなのか? それとも、偶然に生まれえたのか? たとえば、ドイツの哲学者ルートヴィヒ・フォイエルバッハは、〈神〉概念が成功した理由は、『「ただ全人を自己のなかにになっている存在者だけがまた全人を満足させることができるのである」』と語った。
難しい言い回しで意図がとりづらいかもしれないが、「神なのに自分っぽいだめな要素があるからこそ魅力を感じる」的なことである。イスラームのような宗教では人間のイメージに限定されない〈神〉を信仰し、偶像崇拝の禁止が徹底されている。が、イスラームで禁止されているのは人間の姿をした神を描くことで、人間にたとえて考えることは禁止されておらず、人間の美徳や悪徳、感情や欠点の原因が〈神〉に起因していると思いたがる傾向が(他の宗教の信者と同じく)ある。つまるところ、人間が生み出した〈神〉概念には、宗教によらず普遍的な潮流があるようなのだ。
世界で知られているほとんどの宗教的伝承にもこうした特徴が中核にあるのは、神的存在を人格化せずにはいられない衝動が、人間の脳の働きにしっかり組み込まれているためであることがわかる。人間の進化の過程で生まれたこのような〈神〉の概念が、意識するかしないかにかかわらず、人間に似た〈神〉を必然的に形作って来たのである。
いつから神は生まれたのか?
さあ、しかしそうなってくると気になるのは「神が生まれたのはいつ頃なのだろう」という疑問である。生物・無機物を問わずすべてのものの中に魂が宿っているとするアミニズム的な信仰であれば早い時期からあったと思われているが、宗教がらみの人工的な遺物が見つかり始めるのは1万8千年前から1万6千年前の後期旧石器時代だ。
神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源
- 作者:E.フラー・トリー
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/09/27
- メディア: 単行本
化石として残っている装飾品から推測すると、ホモ・サピエンスにその認識の変化が起こったのは4万年前のホモ・サピエンスで、「自分が死ぬ」事実に直面し、恐怖から逃れるために「自分が死んだ後にも魂は生き続ける」という観念を生み出した。1万2千年前から7千年前にかけて、狩猟生活から農耕生活への移行が発生し、定住が始まることで死者を身近に埋葬し、祖先のことが意識にのぼることで、「祖先崇拝」がはじまった。そこから段階的に神々が出現したのではないかと語っている。
宗教活動が農耕を促したのか?
1万2000年ぐらい前から神概念が生まれはじめたんじゃね? という根拠になっている理由のひとつが、1万4000年前頃に建造されたギョべクリ・テペと呼ばれる最古の宗教神殿の存在である。このギョべクリ・テペではすでに人間を模した神のようなものを設置していて、その観点からも興味深いのだが、凄いのはこれを建造した時人類はまだ狩猟採集生活から農耕生活に移行していなかった時期だということだ。
ずっと人類社会は①農耕を発明し、②定住生活に移行したと考えていたが、実際には初期の農耕生活は脆弱で、家畜化や農耕的技術を覚えた後も人類は狩猟採集生活を続けていたことがわかってきた。一箇所に集まると伝染病が蔓延し、一度居を構えると悪天候などで作物が全滅するリスクもあり、周辺の狩猟採集民と比べて農耕民は身長が5センチも低かったぐらいなので、農耕生活なんか選ばなかったのである。その辺の話はジェームズ・C・スコット『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』に詳しいが、なぜ人間は狩猟から農耕への移行を起こしたのだろうか?
- 作者:ジェームズ・C・スコット
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2019/12/21
- メディア: 単行本
宗教の存在が農耕ー定住への移行を促し、恐らくはそれがまたきっかけとなって強固な宗教的基盤が生まれていった説はありそうである──が、『酔っぱらいの歴史』では同じくギョベクリ・テペで大量のアルコール飲料が作られていたことに注目して、「アルコールを飲みたかったことが農耕生活への移行を促したのでは?」ともいっていて、まあ、そうした複合的な要因が集まった結果なのかもしれない。
- 作者:マーク・フォーサイズ
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2018/12/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
信仰に進化的必然性はあったのか?
もう一つ気になるのが、信仰を持つことは人間の生存において有利に働いたのか否かである。無論宗教は我々が考えてもわからないことについての答えを与えてくれる。ただ、その安心は結果として種の存続の支えになるのだろうか。これについて、広く支持されてきた説明に、宗教は社会的な接着剤として機能してきたのだとする説がある。狩人は徒党を組むが、その延長線上で儀式や祝祭が行われるのだと。
だが、著者はこれについていくつかの点で反論してみせる。たとえば、宗教には本質的には結合力がなく、むしろ争いを生む力もあるということ。また、宗教は先史時代の共同社会の中ではそこまで強い力を持っていなかったということ。先史時代の人々は神やシンボルによって結びついていたのではなく、血縁によって結びついていたからだ。他にも、道徳観や利他的な精神を養うためだったのではないかなど様々な仮説があげられていくが、次々否定されていく(宗教は人類を平和にしたわけではない)。
結論として出てくるのは──『その答えは、宗教は人間の進化とは無関係である、となるとしか思えない。』『つまり、宗教は進化の過程でそれが有利に働くためのものではなく、何か他の既存の進化的適応のために偶然に生じた副産物であると。』というもので、これほど人類に広く流行っているものが、個々人生存を有利にするわけではないとする結論は個人的にはなかなか衝撃的なものがあった。
おわりに
と、ざっくりとではあるが紹介してみたがどうでしょうか。太古の昔からどのように人間の宗教的観点が変化していったのか。いつ頃に神が生まれ、人型を崇拝するようになり、それが現代のキリスト教やイスラームのような形になっていったのはなぜなのかが、脳科学、人類史、宗教史など様々な観点から問われていく、非常に読み応えのある本なので気になる人は手にとって見てね。