基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

監督作だけでなく脚本・原案作まで含めてタランティーノを解き明かそうとする評伝──『クエンティン・タランティーノ 映画に魂を売った男』

この『クエンティン・タランティーノ 映画に魂を売った男』はそのまんま、書名に入っているようにタランティーノについての評伝である。生い立ちからはじまって、どのような経緯でデビュー作である『レザボア・ドッグス』を撮るに至ったのか。

また、第二作『パルプ・フィクション』を経て超人気映画監督へと駆け上がり、彼がその時々でどのようなことを考え映画を撮ってきたのかを、大量の調査、インタビューによってまとめていく。構成的にはシンプルに時系列順、エピソードもすべて作品純に並んでいくので、本書刊行時の最新作である『ヘイトフル・エイト』と撮影中だった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の話で締められている。全文フルカラーで、どのどのページにもタランティーノが関わった映画のポスターや撮影中のショット、あるいは彼の愛した作品の写真が並べられているのもありがたい。

台詞の緊張感

僕はあまり熱心に映画を観る方ではないけれど、例外的にタランティーノの作品は(見れる分に関しては)ほとんど映画館で観ていて、熱狂的というほどではないにしても、かなり好きな監督といっていい。僕は彼の映画に存在するリズムが好きだ。

特に言葉のやりとり、お互いの価値観をぶつけあい、言葉が一往復するたびに爆発の予感が増していき、暴力が巻き起こってすべてが解放される、そのリズム感が大好きだ。本書では、そうした台詞、というか脚本がどのようにして作り上げられているのかについても各作品ごとによくフォーカスしていて、そのへんもありがたい。

イングロリアス・バスターズについての章では、緊張感について次のように語られている。『タランティーノの目指す緊張感は戦場の戦闘シーンのそれではなかった。「あんなクソみたいなのは退屈だ」。戦争映画によくあるあの手の不要フォーマットは、彼を退屈させるだけだった。そうではなく、人間同士の摩擦や衝突、「部屋の中で起こる出来事」でなければならない。』『ヘイトフル・エイト』もそうだが、閉鎖状況下での緊張感のコントロールが、タランティーノは抜群にうまいよね。

レザボア・ドッグスまで

タランティーノが生まれたのは1963年のこと、母親は当時まだ16歳で、未婚。親子関係は良好だったようで、映画好きの母親に連れられて映画館に連れられていっていたようだ。中でも母親の3人目の夫が本格的な映画中毒で、一日4回も映画を観まくっていた。幼少期に住んでいた場所にはカンフー映画やブラックスプロイテーション映画やホラー映画、アートハウス系の映画館ではフランス映画やイタリア映画がやっていて、ここでの日々が彼のその後のキャリアを形作っていったのは間違いない。

IQは160あったそうだが学校には馴染めずスポーツも嫌いで、授業に集中できない子供だった。頻繁にズル休みをして映画を観に行ったりしていたので、16歳の時ついに退学を決意。仕事をするならいいよと母親に迎え撃たれ、ポルノ映画館で(年齢を偽って)の仕事を始める。その後、俳優を志したり自分が大好きな監督たちに「今、ある本をまとめている」といってインタビューを申し込んで好き勝手聞きまくったり(出版のあてがあったわけではない。異常な行動力だ)、人生に映画が溢れている。

監督になる前に様々な仕事をしていたタランティーノだが、とりわけ話題になるのはレンタルビデオ店での仕事である。タランティーノはこの店に入っていってマネージャーと4時間以上もデ・パルマについて語り合い、『トップ・ガン』を借りに来た客にそれを思いとどまらせて代わりにゴダールの作品を借りさせて返すなどやりたい放題だったようだ。『タランティーノの人生について色々な人々と様々な形で話を聞いてきたが、どこで誰から話を聞いても、このビデオ・アーカイブスがアメリカで最もイカれたレンタルビデオ店だったらしいことだけは間違いなさそうだ。』

筋金入りの映画マニアが揃っていただけではなく、そこの店員は全員が脚本を執筆していたというから驚く。ただ、その中でもタランティーノの熱意はとりわけ高かった。この店をやめ、映画配給会社に潜り込んで関係者らとの知己を得、脚本を次々と完成させ、買い手も見つけ、いよいよ映画監督としての道を歩み始めることになる。

色々なエピソード

と、その後の各作品についてはぜひ読んで確かめてもらいたいが、タランティーノはとにかくインタビューの受け答えには自身の映画のような独特なキャッチフレーズであったりキメ台詞を用いることが多くその言葉の数々は読んでいてとても楽しい。

たとえば、『レザボア・ドッグス』とヒットした香港映画『友は風の彼方に』との類似性が指摘され、タランティーノは剽窃行為としてクロなのだろうか? という記事が掲載されると、タランティーノは『「俺はこれまで作られたすべての映画から盗んでいる」』と語ってみせたとか。普通そこまで堂々とは答えられんでしょう。

「タランティーノは引用しまくる」と自身の評判が高まれば、まるでそれを茶化すかのようにして『キル・ビル』で、軍団クレイジー88が着ている黒スーツが自作(『レザボア・ドッグス』)からの引用かと思わせておきながら実は『レザボア・ドッグス』を引用して黒スーツを使った日本の『バトル・ロワイヤル』からの引用だったというように、自身の引用さえも引用してみせるスタイルを見せつけていく。

おわりに

常に彼はかつて自分が通過してきた作品を、自分流に蘇らせる・アップデートするかのようにして作り続けてきたが、はたしてそうした作品すべてに共通する本質、中心点はどこにあるのか、といった点も本作では脚本のみの作品も含めた全作を通して見出そうと試みている。タランティーノ・ファンにとってはもちろん、あらすじをズラズラと頭から最後まで紹介するよな本ではないので、これから「なんか観てみようかな」という人は入門書的に読んでもいいだろう。愛に満ちた、素敵な一冊だった。