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親友を殺した実在の殺し屋を描き出す、Netflix映画原作──『アイリッシュマン』

アイリッシュマン(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

アイリッシュマン(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

この『アイリッシュマン』は、全米トラック運転組合の重鎮、ジミー・ホッファの暗殺の実行犯フランク・シーランという殺し屋について書かれた/本人の死の間際の独白をまとめた一冊である。原題は「I Heard You Paint Houses」(家にペンキを塗るは暗殺の意)だが、アイリッシュマンはシーランのあだ名であり、Netflixで公開される映画のタイトルでもある。小説っぽいが、純然たるノンフィクションだ。

ジミー・ホッファは何十億ドルもの金を動かすことができる労働組合組織のボスであり、一時期は大統領に次ぐ権力を持つ男とまで言われたことがあったほどの男のようだが、日本ではその知名度はあまり高くないだろう(少なくとも僕は知らなかった)。本書の原書も最初の刊行は2004年のことで、日本では邦訳すら出ていない。

僕は、『アイリッシュマン』の映画の出来が相当にいいらしいとすでに観た人の評判を聞きつけ、先に原作を読んでみたのだ。当時のアメリカ社会の話、ジミー・ホッファとその失踪事件が米国人にとってはあまりにも有名であるがゆえに若干感覚がついていかないところもあるのだけれども、1950年代から70年代にかけての、まだ今よりも無茶苦茶が許された時代の(そして、次第に許されなくなっていく時代の)裏社会と殺し屋たちの事情がフランク・シーランの悔恨と共に語られてぐっときた。

ジミー・ホッファ行方不明事件について

この本が刊行されるまで、ジミー・ホッファは突然の失踪という扱いで、FBIが相当時間と人数をかけて、容疑者も数人まで絞り込んでいたにも関わらず「完全なる真相究明」にまでは至っていなかった。その状況を大きくかえたのが、事件から30年近く経過してから刊行された、シーランの言葉を伝えるこの本だったのである。

さて、とはいえ事件の真相自体には特におもしろいところはない。権力の座に返り咲こうとしているジミー・ホッファがおり、一方でそれを快く思わぬ勢力もいて、ジミー・ホッファには何度も警告が送られたが一切その行動を改めることがなかったので、組織の殺し屋として働いてきたシーランがついにホッファ自身に向けられることになった──と、ざっと説明するとそれだけの話しといえばそれだけの話ではある。

シーランにとっては大恩人にあたるホッファを罠にはめ、まさに殺すその瞬間は、寂しい情景と彼(シーラン)の悔恨が折り重なった語りでぐっとくるものではあるのだが、それを除けば本書の読みどころはそれ以外の部分にある。たとえば、特に裏社会と繋がりのなかったシーランはいかにして裏社会に入り、殺しを請け負うことになったのか? いったいどのような手法で当時の殺しは行われていたのか? 殺し屋をやめたあと、彼は(80を過ぎている)何を考えているのか、どのような心境なのか。

そうした、1950年代から70年代を駆け抜けてきた殺し屋の視点からみる裏社会の実態が明らかになっていくのがまずおもしろい。彼が生まれたのは1920年のペンシルヴェニア。父親はアマチュア・ボクサーで、恐ろしい男であったらしい。シーランは、父親から野菜を盗みに近所の農家に派遣され、盗みを繰り返すのだが農家も散弾銃で応戦し彼は何度も尻にうまった散弾を母にとってもらっていたという。その後戦争があり、シーランは前線で過酷な日々を過ごす。この戦地での経験が彼の人を殺す感覚を決定的に養った──あるいは変えてしまったのは間違いがない部分だ。

戦争を五体満足で切り抜けた後は今で言うPTSDに悩まされながらブラブラと過ごすが、スーパーマーケットの運転手の仕事を見つけ、安定した収入を得ることが出来るようになる。輸送の際に肉をちょろまかして売りさばく日々だったが、そんなある日彼の人生を決定的に変えてしまう男ラッセル・ブファリーノと出会う。もともと道端で車が動かなくなっていたところを助けられたというだけの縁だったが、悪党どものたまり場ダウンタウンに出入りするうちに再会し、彼の仕事を手伝うようになる。

このラッセル・ブファリーノはギャング組織の中でも相当に大物だったらしい。最初はダウンタウンでちょっとした仕事を(金を返さないやつを脅したり、女絡みでだらしないやつを脅したり)こなすだけだったが、そうして次第に信頼が積み重ねられていった先に、ある時「殺し」の依頼が紛れ込んでくることになるのだ。殺しの場面はそこから幾度も語られていくのだが、プロの仕事とは一言でいえば失敗するはずがない局面まで敵を追い込み、証拠を残さないように殺すだけなので、かなり地味だ。

でもだからこそ成功するのだろう。

 仕事の秘訣を教わったときに知ったことだが、ボスや指導者は殺し屋を差しむける場合、しごくもっともな理由で標的の友人を使う。絶対にたしかなのは、その銃撃犯ならば人気のない場所で標的に近づけるということだ。そこまで確実ではないが、もし銃撃犯に不利な証拠が出たとしても、被害者の友人ならば、相手の家や車や体に痕跡が残っていた理由をいくらでも並べて、潔白を示すことができる。

そうして仕事を続けているある時、シーランの元へ「あちらこちらの家にペンキを塗っているそうだな」「この歴史の一翼を担いたいか?」と当時すでに大物だったジミー・ホッファから電話がかかってくる。それが彼らの関係性の始まりにして、同時に終わりの始まりでもあるのだった。「標的の友人を使う」という鉄則が、まさにジミー・ホッファのケースでも当てはまっているのが恐ろしくも悲しい。

おわりに

下巻で、年老いて車椅子に載ったラッセルに対してシーランがどこへ行くのかと問うと、「教会だ」、に続けて『「笑うな、わが友。おまえがおれの歳になったら、いま以上のことがわかる」』と答えてその通りになるシーン、最後の撮影時に『「おれは八十三年間、地獄のような日々を送り、何人かを叩きのめした。それがおれのしたことだ」』と語るシーンなど、終盤は年老いた彼らの寂寥感を感じさせる語りが多い。

まだ映画は観ていないが(netflixで配信が始まるのは11月27日)、本書を読んで&予告編を見ている限りでは相当おもしろそうだ。本書も、事件系ノンフィクションやミステリィ好きにはたまらないものがあるので、気になる人はぜひどうぞ。