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政府に頼らず、社会から隔絶したモルモン教原理主義者の世界観から、いかにして抜け出したのか──『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』

エデュケーション 大学は私の人生を変えた

エデュケーション 大学は私の人生を変えた

この『エデュケーション』(原題:Educated A Memoir)は、モルモン教原理主義者で、政府や病院といった公的な機関に一切頼らない父と母に育てられた一人の少女が、いかにして出生届を取得し(出生届すら出してなかったのだ)、大学に行き、自分がそれまで暮らしてきた世界と決別するのかを描き出していく、回想録である。

この本、アメリカで400万部だとか、ゲイツやオバマ絶賛、さらに本邦でもゲラ段階で各所の絶賛を浴びていて、とにかく凄まじい本らしいのはわかっていた。ただ、「大学は私の人生を変えた」と言われても、大学が人生を変えるのは当たり前だとしか思わず、いったい女の人が大学に行った話の何がそんなに凄いんだろう? 凄くなりようがなくない? と訝しみながら手にとったんだけど、読み始めてみればその凄さが一瞬で理解できた。とにかく、彼女が暮らしていた環境が普通じゃないのだ。

生存を危うくする信念のごった煮

何しろ、両親はモルモン教の原理主義者で、世界の終末に備える終末論者であり、いつか政府の手の者が自分たちを殺しにくると本気で信じていて、医療機関に一切信用を寄せない生存主義者である。また、異常に思い込み、信念が強く自分が「こうだ」と信じたことを疑わない傾向がある。病院に行けないせいか、数々のホメオパシーを信じて、太陽に当たれば病気は治ると信じて喉が腫れたら太陽にあてろという。

終末信仰にも様々なレベルがあるが、かなり本気で信じていたようだ。周りの人間にバカにされても銃と食料を溜め込み、1999年12月31日はイザヤ書を読みふけりながら眠りにつき、翌日何も起こらなかったことで、父親の魂は壊れたという。『父は、朝に見たときよりも、もっとちっぽけな存在に思えた。落胆した父の様子はあまりにも幼稚に見え、一瞬、どうしたら神はここまで父を否定できるのかと考えた。』

数多のホメオパシー信奉にモルモン教原理主義者に政府も医療機関も信用せずと、一つでも信じているだけで生存が極度に危うくなる信念を3つも4つも持っている家庭なので、序盤から人生がどちゃくそハードモードだ。しかも、一家総出で車などの廃材処理事業を営んでいて、爆発が起こって何人も指を失ったり、高いところから落ちて脳みそが見えたり、致死的な火傷を負ったりするような過酷な環境だったのだ。政府を敵視しているので公立の学校にも通わせてもらえず、子供たちはほとんど親としか接しないので、そのことに異常性も感じない。父親の意見が絶対なのだ。

どうやって教育にたどり着いたのか?

著者のタラ・ウェストーバーはアラバマ州生まれの7人兄姉の末っ子で、最終的には家庭学習のみでモルモン教が運営するアメリカのブリガム・ヤング大学に入学、その後成果を認められ、イギリスのケンブリッジ大学へと奨学金を得て海を超え、博士号を取得し学問の道を進むことになる。だが、どうやって大学に行けたのか。

きっかけになったのは、3番目の息子であるタイラーの存在だ。タイラーは少しだけ公立学校に通った期間があり、通えなくなった後も持っていたお金で三角関数の教科書を買い、自力で学習し続けた。彼は結局後にタラが行くことになるブリガム・ヤング大学に行くのだけど、これは近くに住んでいた(母方の)おばあさんとおじいさんの影響も大きいだろう。自分の孫たちに勉強をしろ、学校を行けという彼らの後押しがあり、さらにタイラーは父親の反対を押し切るだけの勉学への意欲があった。

タイラーは先に教育の恩恵を受けていた。そして、タラにもその道を進めたのだ。『タイラーは立ち上がった。「タラ、世界は目の前に広がっているよ。君のためにね」と彼は言った。「君の耳に自分の考えをふきこむ父さんから離れたら、世界は違って見えてくる」』さらに、彼女が外の世界に出ることについては、母親も後押しをしてくれた。頭も良かったのか、自宅学習のみでギリギリテストに通った彼女は大学に通えることになるのだけれども、そこで大きなショック受けることになる。

教育は何を変えるのか?

というより、世間から隔絶された世界で生きてきたのだから、ショックを受けて当たり前だ。風呂にもほとんど入らない。廃材の油臭い世界で危険と隣り合わせで、政府や医者は敵だと教えられて生きてきたのだ。彼女は大学にいってはじめて、自分たちが信じてきた宗教や常識が、他の人達と大きく隔たりのあるものだと感じた。

おもしろいのが、あまりにも常識から隔絶されていたので、ある種の社会や勉強の「コード」「文法」が彼女の中に存在しないエピソードだ。たとえば、彼女は最初のうち、まったく授業で点数が取れないので、大学の知人に西洋美術史のノートを参考にさせてもらえないかと頼んだ。そうすると、一緒に勉強をしてくれることになったのだが、そこで初めて「教科書を読むことが重要だ」という概念を知るのだ。

シラバスで教科書の50ページから85ページの範囲が試験範囲として割り当てられているとして、彼女は教科書の写真を見ただけで、文章は読んでいなかった。そもそも、それを教科書として認識していなかった。「与えられた試験範囲の教科書を読む」という、ただそれだけのことさえ彼女にはよくわかっていなかったのだ。

教育がもたらす効果を実感するのが、彼女が一度実家に戻ってきた時のエピソードにある。タラにたいして時折命を脅かすようなレベルの暴力的な態度をとるショーンが、タラの顔が真っ黒だったので、「ニガーが帰ってきた!」と呼んだ。だが、すでに彼女はアメリカ史の授業をすでに受けてきており、そこに侮蔑的なニュアンスがあることを知っているし、黒人が辿ってきた歴史も知っている。

私はものごとを知る道を歩みはじめ、兄、父、そして自分自身について、根本的ななにかに気づいた。私たちが故意でも偶然でもなく、無教養にもとづく教えを他人から与えられたことで、私たちの考えが形作られたことを理解したのだ。

変わらないもの

教育を受けたことで彼女は自分自身がたどってきた道、教育、そして父と母について、違和感を感じていくことになる。彼女を変えたのは教育だけではなく、周りの環境、人間たちがあってこそのものだろう。他者との比較によってはじめてズレがあることが明らかになり、それが、存在しなかった疑問を生み出す。

彼女は変わっていく。だがすべてが変わるわけじゃない。タイラーは家を出て結婚までしたが、子供に予防接種を受けさせるために、奥さんの何年もに渡る説得を受けなければいけなかった。教育を受けたからといって、それまで受けてきた価値観・世界観が一度に塗り替わるわけではないのだ。タラ自身、父と母を大学へ行った後も両親を思っており、イギリスにいっても、時折家に戻っている。その後決定的な決別が訪れるのだが、過去やそれまでの経歴を簡単に切り離せるものでもない。

幼少期の話は、彼女が何の疑いもなくモルモン教的、終末論的な考えや世界観を受け入れている様子が綴られていくのでゾッとするのだが、大学に行きはじめた後半部については、父親や母親が持つ狂気的な世界観(何しろ、彼女の母親はチャクラの使い手で、どれほど距離が離れていてもチャクラで治療をすると平然と言うのだ)と彼女が大学で身につけた世界観がせめぎ合っていて、小説のような味わいがあった。

教育から隔絶された人間が、教育を受けることによって何が起こるのか。それが、凄まじい体験と共に語られている。最初に「大学に行くだけの何がそんなに凄い話なんだ」と思ったが、読み終えてみればただただ凄いとしか言いようがない。