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映像だけではなく文章に関わる人にもおすすめしたい、「編集」の難しさと楽しさについての絶品!──『映像編集の技法 傑作を生み出す編集技師たちの仕事術』

『映像編集の技法』は映像編集技師であるスティーヴ・ハルフィッシュが、スターウォーズにシビル・ウォーなど大作映画から『ブレイキング・バッド』のようなドラマの担当まで、50人以上の映像編集者へのインタビューをまとめた一冊である。

映像編集といっても体験したことがないと想像しづらいだろう。たとえば、一本の映画では当然映像は一繋がりの一本しかないが、撮影時には何回も同じシーンも撮りなおし、カメラも複数台存在する。そうなったら、上がってきた映像や複数あるカットの中から、最適なものを選びとっていかなければならない。複数のテイクにいい演技が分散していたら、それをつなぎ合わせることもあるし、台詞の間をほんの一瞬切り詰めることで印象を大きく変えたり、映像の時間の流れをコントロールしたり──。

音楽のコントロールもこの編集段階で入れられるわけで、映画の最終的なおもしろさの大半は、この編集作業にかかっているといっても過言ではない。

『マッドマックス 怒りのデスロード』で編集をつとめたマーガレット・シクセルは、映画の編集について次のように語っている。『映像をつなぎ合わせることは誰にでもできるかもしれませんが、心を揺さぶるような世界を作り出せるかはまた別の話です。編集技師のしごとは、ほとんどのことが整えられた時点から始まりますが、そこからでも作品は変わっていきます。編集とは映画の最終的なリライトなのです。』

編集技師らへのインタビューも、50人以上の話がだらだらと並べられているわけではなくて、たとえば、どのように全体を組み立てるのか。映画のリズム、ペイシングを整えるのか、構成へのアプローチ、ストーリーを伝えるために気をつけていること──といったテーマごとにバラバラに証言が並べられている。これがまあ、大変におもしろいわけですよ。編集技師らが語る映画の裏側も興味深い事例ばかりだが、編集を進める際の困難や楽しさが、文章など他の分野の編集にも相通じる部分が多く、映像に限らない「編集」の本質に迫る本として、本当に素晴らしいのだ。

シーンへのアプローチ

おもしろかったトピックはいくつもあるのだけれども、最初に取り上げたいのはペイシングとリズムだ。単純にシーンをつなぎ合わせていっても映画にはならない。やはりそこには、音楽のように一定のリズムが必要だ。ここに関しては技法というよりもやはり感覚的な発言が多めになのだが、だからこそおもしろい部分ともいえる。

本書にはたくさんの技師へのインタビューが収録されているが、その利点は、こうしたリズムの問題一つとっても、アクションやコメディ、ドキュメンタリなど様々な題材・テーマからの意見が寄せられることだ。たとえば、『デッドプール』の編集をつとめたジュリアン・クラークは、「最高にかっこいい場面と、最高にかっこいいスタントをつなぎあわせて、躍動感あふれる場面を作り出すぞ」などと思ってそのとおりにやっても、出来上がったものは感情面で物足りないものになることが多いと語る。

キャラクタにも勝ったり負けたりといった浮き沈みがあって、変遷を経ていくものなのだから、音楽的な流れを持たせるためにシーンを入れ替えたり、キャラクタのリアクションをどれぐらい見せたいかなど、細かな調整を入れていく必要がある。『マグニフィセント・セブン』の撮影技師をつとめたジョン・ルフーアに西部劇のペイジングについて尋ねると、西部劇は「期待」の物語だというおもしろい答えがかえってくる。道のど真ん中で登場人物を戦わせることができて、観客はいつかその時がくることが絶対にわかっている。だから、西部劇では期待とともにそれを待つ時間を引き延ばすことができる。『観客はみんな待っている。ですから、その期待を先へ先へと送って、さあ始まるぞというところで、さらに先に送る。それが西部劇の特徴です。』

映像はほんの数秒のシーンがあるかないか、あるカットがどれだけ引き延ばされるのかで受け取り方が大きく異なってくるから、一秒単位で映像編集者らがどこまでも細かく追求していくのを読むのは本当におもしろい。『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(15)は、試写会時にシーンの冒頭2、3分間のテンポを早くしすぎて、見ている人たちがストーリーに引き込まれていないと感じたという。そこで、最初の二分間に6秒から7秒ほど加えたところ、次の試写では反応が大きく変わっていた(エディ・ハミルトン談)。試写を経て、その反応を確かめながら台詞が早すぎるとか、逆におそすぎると判断し、一秒未満の調整を繰り返していくものなのだ。

構成について

書評記事を書いていると、いつも構成が気にかかる。紹介する本のどの部分を抜き出すべきか。どのエピソードを紹介して、どのエピソードは紹介すべきではないのか。前提情報はどれだけ与えるべきか──など。同じことは当然、映画・ドラマの編集時にも起こる。最終的な成果物が脚本通りになることはまずないという。文章と、それを映像に仕上げた時では、出来上がるものはまったく別のものだからだ。

たとえば、火星に一人取り残された男が科学の力で奮闘する『オデッセイ』では、主人公が自分自身の傷の手術を行った後に起き上がって、「よし計算してみよう。食料はこれぐらいあるから、やらなくてはいけないのは……」と凄まじい速度で元気になって解決策を思いつく形になっていた。だが、元気になるのが早急すぎると感じた編集技師は、彼が精神的に立ち直り、状況を把握するためにはもう少し時間が必要だと判断し、後半の映像を再利用して手術シーンのあとに追加したのだという。

大抵の映画は最初の編集では公開版より長くなる。たとえば、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のファースト・アセンブリは2時間30分あったが、監督のJ・Jエイブラムスは2時間におさめたがった(最終的にはエンドクレジット含め135分)。当然そのためには削る必要があるわけだが、この時にも編集技師の実力が試される。同じような内容のシーンをできるだけ削り、全体構成の中で突出して長いシーンはならす必要もある。フォースの覚醒では、とりわけ冒頭の20分のシークエンスが長すぎて相当削ったという。また、素晴らしいシーンを繋いでいくだけでいいわけでもない。

ジョン・ルフィーアは、ある演技やテイクで表現した感情的な高まりが、映画全体の中で見て違和感を感じることはあるかと問われ次のように答えている。『しょっちゅうですよ。あるシーンの編集をするとします。ベストを尽くして面白いものに仕上げます。念入りに、パーティ料理のようにね。そして「なんて美しいシーンだろう。最高だ。気に入った」と考える。その翌日、別のシーンも同じように仕上げます。そしてある時点ですべてをつなげてみると「すばらしいシーンだらけだ。だが、もうお腹がいっぱいだ」と思うことになり、いくつかのシーンは取り除くことになります。』

おわりに

構成の話だけでもまだまだ取り上げたいエピソードはいっぱいあって、たとえばドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ボーダーライン』(15)では、冒頭で映画の原題「シカリオ」とはなにかについて字幕で説明しているのだが、なんでこんなことをしないといけなかったのは、もともと台詞で説明していた、そこそこ時間のある冒頭のシーンが映画の本筋・テーマから外れてしまっていると判断して外された結果であるとか。

フォースの覚醒では、ハリソン・フォードが骨折して撮影を中断しているうちに構成の大きな見直しを行って、冒頭の20分間でレイアとC-3POとR2-D2がみんな登場していたのを、これら旧作のキャラクタが登場する場面を分散させて映画の後半に持っていくことにした。『マッドマックス 怒りのデスロード』では、前三作のあらすじを冒頭で紹介しろという圧力もあったが、ナレーションや「幼い少女」の幻影を入れることでそうしたダサいことをやらずに自然に観客に過去を想起させる作りにしたなど。「いや、そらあかんやろ」みたいな悪手を、みな決死の努力で食い止めているものなんだなと、こうしたエピソード群を読んでいるとしみじみ実感させてくれる。

インタビュアー自身が現役の編集技師であって、やけに専門的で細かいところにつっこんでいってしまうところもあるが、だからこその現場の知恵が引き出せている部分も多く、全体を通して大変に知見に溢れた一冊である。500ページ近い大著だが、映像に興味がある人だけではなく文章に携わる人などにもおすすめしたい!