文章の元はIGN japanに『サイバーパンク2077』発売直前に寄稿した原稿だが、今はもうゲームも出ているので、それを踏まえた内容に全面的に加筆修正している。
もうすぐ全世界待望のゲーム『サイバーパンク2077』が発売される(もう発売された)。今回はこれに備えて、サイバーパンクとは何なのか、どのようなジャンルかを紹介し、『ニューロマンサー』から、昨今のサイバーパンク小説/映画/ゲームを横断的に紹介することで、『サイバーパンク2077』へ期待を繋げていきたい次第である。サイバーパンクとは何か
サイバーパンクとは何かといえば、語源的には生物と機械における制御と通信を一緒に扱う分野であるサイバネティクスと、パンクロックのパンクを合わせたもの。ブルース・ベスキという作家が1980年に発表した短篇小説のタイトルとして用いたのが初出だが、その後に、ウィリアム・ギブスンの記念碑的傑作『ニューロマンサー』が世に出て、ブルース・スターリングら他の(後にサイバーパンクと形容される世界の)書き手たちが現れ、作家のガードナー・ドゾワが彼らの新しい作風、思想のスタイルを表現する言葉として「サイバーパンク」をあてがったという経緯がある。
一種の「運動」に対して用いられた言葉であって、「こういうものがサイバーパンクである」という明確な定義があるわけではない。80年代に出てきたムーブメントだけあって、日本的な意匠、ドラッグ文化、ハッカーのアンダーグラウンド感、ヒップホップやスクラッチミュージックといった当時勢いのあった文化が多く取り入れられているのもサイバーパンクの特徴の一つ。ま、現状の用語の使われ方をみていると、『ブレードランナー』的な荒廃した世界に怪しげな日本語のネオンサインがあったら「サイバーパンクっぽいね」となるし、仮想世界が描かれていたり、サイボーグが出てきていたり意識をサーバ上にアップロードする要素が描かれていたら「サイバーパンクでいいっしょ」という雰囲気がある。そんな感じでも別にいいだろう。
ブルース・スターリングによって編まれた『ミラーシェード―サイバーパンク・アンソロジー』の序文では、サイバーパンクについて次のように語っている。今では絶版で中古価格もあがり手に入りにくい本でもあるのでちと長めに引用しておく。サイバーパンク作品の特徴は、その幻視の激しさにある。その作家たちは異様なもの、シュールなもの、以前は考えもつかなかったものを高く評価している。彼らは進んで──熱心なまでに──アイディアをつかみ、ひるむことなく、限界を超えてそれを展開させている。J・G・バラード──多くのサイバーパンクにとっては偶像視されている役割モデル──のように、しばしば感情を表にださず、ほとんど医学的なまでの客観性を用いる。それは科学から借り、古典的なパンクのショック志向を文学に応用した手法である、冷静なまでの客観的分析なのだ。
このヴィジョンの強烈さによって、強力な想像力の凝集がもたらされる。サイバーパンクはその印象的なディティールの利用、入念に構成された複雑さ、エクストラポレーションを日常生活の構造にまで積極的にひろげてゆくことなどで、幅ひろく知られている。〝ぎゅうぎゅうづめ〟の文章が好きなのだ。スピーディな、目のまわるような小説情報の爆発、感覚の過負荷が読者を、ハードロックの、〝ウォール・オブ・サウンド〟にあたる文学上の相似物の中に埋めてしまうのだ。
サイバーパンクはすでにSFの中に現れていた要素の、埋もれていたこともあるがつねに可能性にあふれている要素の、当然の延長なのである。サイバーパンクはSFジャンルの中から起こってきた。インヴェイジョンなどではなく、現代的リフォームなのだ。このゆえに、そのジャンル内にもたらした効果は急速で、強力だった。
何をいっているんだかよくわからない面もあるが、こういうテンションで語られるムーブメントだった、ということだ。こうした定義も映像作品やゲームにもサイバーパンクという言葉が使われるようになっていって、変化していくことになる。
ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』
- 作者:ウィリアム ギブスン
- 発売日: 2017/04/30
- メディア: Kindle版
電脳が中心となりテクノロジーは発展しているものの、犯罪がはびこり陰鬱な雰囲気を感じさせる、荒廃した未来世界を描き出していく作品だ。この作品が書かれた当時はサイバースペースという言葉が存在せず、言葉や概念を創造することからサイバーパンクの中心的なイメージを構築していった。2004年版の「Neuromancer」に寄せられた。ウォマックの解説の中では、ウィリアム・ギブスンにたいして次のように触れられている。『どの世代においても、アメリカの大衆心理には、一人のSF作家を認識するだけの余地がある。しばらくの間はブラッドベリがそこにいて、次にアシモフ、そして「スター・トレック/ウォーズを書いているあの人」がその立場だった。ギブソンはその役割をほとんど一気に超越した。』(訳は冬木)
この世界での人間は自身の身体を当たり前のように義体化し、企業の力は国を超えるほどに大きくなっている。高度なサイバネティック・インプラントを用いて他人の視覚をハッキングできる技術者や、人間の意識や言動をトレースして本人のように話せる疑似人格、主人公であるケイスは、現実よりも電脳世界である「マトリックス」で暮らす時間が長く、そこでの歓喜の為に生きているような人間であるなど、のちの『攻殻機動隊』、それからいうまでもなく『マトリックス』をはじめとしたサイバーパンク作品に受け継がれていく要素のほとんどは、すでにここに存在する。
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 (レンタル版)
- 発売日: 2016/08/05
- メディア: Prime Video
『マトリックス』(1999)でサイバーパンク的に重要なのは、「仮想世界で生きるか、過酷だがリアルな現実の世界で生きるのか」という問いかけだ。『これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう』と主人公のネオは問いかけられ、赤い薬を選ぶ。こうした、仮想と現実の対立、あるいはヴァーチャルなものとリアルなものが混交していく様(こっちも『Serial experiments Lain』など、描き出しているものは多数存在する)を描き出すことは、サイバーパンク作品では定番である。
ヴィジュアルについては『ブレードランナー』(1982)に触れざるを得ない。主に原作の要素だが人間と人造人間であるレプリカントの区別が容易にはつかなくなった荒廃した近未来を舞台に、人間に紛れ込んだレプリカントをブレードランナーとして狩る過程で、自分自身もレプリカントである可能性も浮かび上がってくる。この、「自分は人なのか、レプリカントなのか」という自己存在に関する決定的な疑問は、サイバーパンクではおなじみの、「人とは何なのか」という問いかけに繋がってくる。ネオンサインがきらめく陰気な近未来感のあるヴィジュアル・イメージや、デッカードが屋台で食事をとったり狭い家に帰ったりといった日常を通して近未来を描き出す演出手法は、現代の作品も依然として大きな影響下にある(刑事が消えた息子の行方を追ってビルに乗り込むSFホラー『Observer』とか)。今でもサイバーパンクでゲームと言うとほとんどこの『ブレードランナー』や『AKIRA』のイメージが中心になってしまうのは良いのやら悪いのやらという感じではあるが。デザイン的な観点でいうと、『サイバーパンク2077』はこうした歴史を踏まえつつも圧倒的な物量で新しい世界(特に、昼間の風景が実に印象的なのだ)を魅せていてよかった。
こうした作品たちから本質的な部分を抜き出すと、「テクノロジーによって変質していく人間」を描いているところになるだろう。仮想世界に生き、AIと融合し、身体を義体化し、といった時、人はどこまで人なのか。かつて『ブレードランナー』で描かれた未来像はとっくに過去のものになってしまったが、その問いかけ自体は、むしろAIやバイオテクノロジーの力が増し、サイボーグの存在が現実味をましつつある現代において、よりリアリティを持って現代のSFの中にも生き続けている。
サイバーパンクには一定の中心テーマがくり返し現れる。肉体の侵略というテーマだ。人工四肢、移植回路、美容整形手術、遺伝子改造。さらに強力なテーマが、精神の侵略だ。頭脳=コンピュータ・インタフェース、人工知能、神経科学──人間性を、自己の性質を根元から定義しなおす技術だ。
上記は再度ミラーシェードからの引用だが、この「精神の侵略」の中にはドラッグによる精神の変容が入っていることも興味深い。ドラッグもまた先進的なテクノロジーの産物であり、薬によって苦痛をとりさる、幸福感を高める、幻覚を見るといった行為もまたサイバーパンクの範疇に入ってくる。たとえば、ディックの「スキャナー・ダークリー」およびその忠実な映像化である同名映画もそんな一作だ。
この映画はロトスコープ技術(現実の俳優に演技をさせ、それをトレースしてアニメーションにする技法)で描かれている。現実の俳優をトレースしているので(主演はキアヌ)リアルなのだが、主人公は薬物中毒でもあって、徐々にそのリアルな世界に現実と判別つかない幻覚がまじり込んでくる。原作における主人公の「現実と幻覚が入り混じってわからなくなる恐怖」が見事に映像化されている、稀有な作品である。現代のサイバーパンク:映画とゲーム
現代のサイバーパンクはかつての問いを引き継ぎながらも、新しい趣向が凝らされている。たとえば、『ブレードランナー2049』(2017)では、前作の意匠や設定をアップデートしながら(ホログラムAIの彼女など)、海面上昇で沿岸部が失われ、内陸に後退した市街地が巨大な防波堤に囲まれ夏でも雪が降るロサンゼルスを舞台に、暗い陰鬱な空気が白い虚無感にとってかわった、新しいヴィジュアルに仕上げている。store.steampowered.com
近年になってもサイバーパンク・ゲームは作られ続けている。『Observer』も良いゲームだが、欠かせないのは、ベネズエラのチームによって作られた『VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action』(2016)だ。誰もが体を義体化できるようになった近未来。脳みそだけで生きている人間もいて、人々が体内にナノマシンを入れ、暴動が頻発するがゆえに監視社会化が著しいグリッチ・シティを舞台として、20代中盤の同性愛者でバーテンダーの女性ジルを主人公に、その日常を描き出していく。
サイボーグなどの道具立て自体は前時代から大きく変化しているわけではない。しかし、当然のように出てくる同性愛者たち、前向きに、楽しくセックス・ワークに勤しんでいる、幼女型のAIロボット。自分の(性的な面は有料で)私生活を365日配信している女性など、数々の要素に「現代性」が垣間みえる。ジル(プレイヤー)はバーで仕事をし、そこを訪れる人々の苦悩を聞き、時にうなずき、時に反発していくうちに、この腐ったサイバーパンク都市における”生活”が淡々と浮かび上がってくる。
また、本作はベネズエラに暮らしていた作者らがそこで経験してきた人生──あちこちで暴動が起こり、企業が機能しなくなり、といった過酷な日々の反映でもあって、ゲームであり、サイバーパンク作品でもあるが、同時にベネズエラの歴史とそこから地続きの現実を描き出す文学としても機能している傑作だ。
現代のサイバーパンク:小説
- 作者:陳 楸帆
- 発売日: 2020/01/23
- メディア: 新書
そのシリコン島にリサイクル技術の超大手企業が、自分たちの技術を用いてゴミ掃除を低汚染でより効率的にし、利益を分け合おうとやってくるのだが──という形で、ゴミ人ら底辺層と支配者層の戦い、これらの技術がもたらす先にある、生物と機械を超える新生命の誕生へと繋がっていく。おもしろいのが、宗族制度が依然としてビジネスの場で維持されている理由など、中国独特の商習慣が作中でよく描きこまれていること。そして、Googleや百度といった中国の先端テクノロジー企業に勤務してきた著者による、解像度の高い技術描写が展開することだ。
最後に、テーマから現代性を感じさせるサイバーパンクという観点から選ぶと、フランスの作家マルク・デュガンによる『透明性』(2019)がおもしろい。トランスパランス(透明性)という会社の元社長の女性とその12人の仲間たちが、世界の金融市場に前例のない攻撃をしかけ、全人類を新時代へと突入させることを画策する場面から始まるこの物語は、一言でいえば「不死とテクノロジー」をテーマにした物語だ。トランスパランスは全情報を本人が提供することで、将来のパートナーとの相性や仕事の相性を判断できるマッチングサイトなのだが、これを通して個人のデータを大量に取得することで、トランスパランスの元社長カッサンドルは一人の人間をソフトウェア上で完璧に再現する、つまり事実上の「不死」を達成したと発表する。彼女は新しく設立した会社エンドレスで、この技術を適用して不死を得るのは、アルゴリズムが「死後も生きるに値する」と判断した人物のみだと宣言したことで、世界中の人々はその資格を得るために、行動を変容させはじめる(環境に良い行動をとったり)。
これと対比的に描かれているのがGoogle社(実名で、ほぼ悪の企業として作中に登場する)だ。作中におけるGoogleは自分たちの身体を機械などに置き換えて生き延びようとするトランスヒューマニスト的な価値観の集団で、アルゴリズムによって選別されるカッサンドル案とは違って、一握りのエリートのみに永遠の命を保証しようとしている。誰しも不死を熱望し、それを得るためなら行動を変える。不死を保証してくれる技術を最初に手に入れたものは、新しい時代の神になるといえるだろう。
人工知能が自己フィードバックで改良を加速させることで、人工知能が人類に変わって文明と技術を一変させるようになるポイントを指すシンギュラリティ(技術的特異点)や、トランスヒューマニズムの思想が、テクノロジー面から不死を保証してくれるものとして、事実上の宗教のように機能している側面がある今、「新時代の神になるのは、どんなテクノロジーなのか(人格をデータ上に再現するのか、人体改変による達成なのか)」という問いかけは、現代的なものとして我々に迫ってくる。
そして『サイバーパンク2077』へ
と、そして現代最先端の『サイバーパンク2077』へと繋がってくるわけだけれども、一通りプレイした感想としては下記記事の通り。凄まじい物量とヴィジュアルからくる「自分自身がサイバーパンク世界で暴れまわる」ことができる、圧倒的な快感がある傑作だ。一方、ストーリー的にはサイバーパンクが持つジャンル性と超大作オープンワールドゲームが求める要素が衝突しているように感じた。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
『サイバーパンク2077』ではプレイヤーは自分の体や見た目を自由に変更し、さらには一人称視点で物語を進めていく「没入型」をとっているが、その主人公たるVはストーリー上明確な個性のある存在で、まるで自分のことのようには感じられない。「自分なりの選択」をとりたくても、Vの個性とコンフリクトしてしまうのだ。このあたりの接続はうまくいっているとは言い難い。また、サイバーパンク・テーマが持つある種の「行き止まり」が本作でもラストに待ち構えていて、それで終わり? まあそりゃしょうがないけど……感はどうしてもあった。というわけでストーリー的には僕の期待を超えるものにはならなかったが、素晴らしいゲームなのは間違いない。
おまけ。映画について
楽園追放 Expelled from Paradise【完全生産限定版】 [Blu-ray]
- 発売日: 2014/12/10
- メディア: Blu-ray
水島精二監督の『楽園追放 -Expelled from Paradise-』。こちらはロボット・バトル物でもあるんだけれども、2vs多のバトルがトラップを駆使して市街戦で繰り広げられるアクション・シーンが圧巻の出来。またサイバーパンク・テーマとしてもコンパクトにまとまっているのでサイバーパンク感を味わいたいならおすすめだ。ニール・ブロムカンプの『チャッピー』。開発されたばかりの人工知能ソフトウェアとそれを搭載したロボットがギャングの手に渡り、何も知らない純粋無垢な人工知能がギャングによって悪いことを学習し、犯罪に手を貸していく様が描かれていく。ヌンチャクや手裏剣でgood night!といいながら人間をぶちのめしていくロボットの絵面がめちゃくちゃおもしろい。SF的にもこの「知能がいきなり完璧な状態で現れるなんてありえないんだから、人工知能であっても幼児から始めるべきなんじゃないの??」という問いかけはテッド・チャンの「ソフトウェアオブジェクトのライフサイクル」を筆頭にいくつも書かれていて、SF的にも攻めたことをやっていた作品だ。
おまけのおまけ。サイバーパンクとキアヌ・リーブス
サイバーパンクとキアヌ・リーブス。動画出演の時に言ったのだが、キアヌ・リーブスはよくサイバーパンク映画に出ている。ウィリアム・ギブスン「記憶屋ジョニィ」の映画である『Johnny Memonic』の主演も、『マトリックス』も、『スキャナー・ダークリー』もキアヌ主演だし、『サイバーパンク2077』も主人公の相棒役はなんといってもこのキアヌ。『レプリカズ』とかいう映画にも出ていた。
キアヌ・リーブスはサイバーパンク顔なのか? 確かにシュッとしてて電脳感(?)はあるし薄汚れてるのもボロボロになっているのも似合うし、サイバーパンク感はあるといえばある。