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数千年におよぶ進化と文明の発展を重ねた蜘蛛と人類の邂逅が描かれる、進化のダイナミズムが詰め込まれたSF長篇──『時の子供たち』

この『時の子供たち』は、イギリスの作家エイドリアン・チャイコフスキーのSF長篇である。刊行は2015年で、2016年にアーサー・C・クラーク賞を受賞している。

それ以上の情報は何も持たず、刊行年的には少し古いこともあって期待するわけでもなく読み始めたのだけれども、いやはやこれには驚かされた。テラフォーミング先の惑星で、人類がばらまいたウイルスにより知性を獲得した蜘蛛の数千年に渡る世代交代史・進化の過程。そして、地球を脱出し第二の故郷を求めさまよう人類という二つの視点から物語は描き出されていく。テラフォーミング、独自に進化した蜘蛛、地球を失った人類、「異質なものとの遭遇」など、要素だけみるとクラシックなSFとも言えるのだが、蜘蛛視点の世界の書き込みが凄く、特異な読み味を感じさせる。

蜘蛛は蜘蛛なので当然人間とは異なる世界認識、技術、社会、文化を持ち、異なる葛藤や課題を抱えている。本作では執拗といえるほどにそうした「知性を持った蜘蛛の文明とその発展」が描き出されていき、その蜘蛛が人間と接触することによって、さらにその異質さが際立つ構成になっている。上下巻の長い本で、10〜20ページほどの短い章ごとに世代も変われば蜘蛛・人類の視点も切り替わっていくのでなかなかとっつきづらくもあるのだけれども、状況を把握できるようになってからはゲーム的に話が進むのもあって読みやすく、特に後半のスピード感は凄まじい。

世界観など。

物語は主に、人類がテラフォーミングを行った、地球から約20光年離れた惑星で展開する。そこでは惑星を地球環境に作り変える通常のテラフォーミングの他に、猿の知性を特殊なナノウイルスで進化させ、人類の後継となる種族を作り上げる予定だったが、実施直前に船内に潜んでいた反乱者の存在によって計画は大失敗してしまう。

計画の責任者であったドクター・カーンは失敗に対応して自身の意識をソフトウェアとしてアップロードし、軌道上の人工衛星で、救難信号を発しながらコールドスリープに入る。カーンは猿とナノウイルスの投入がうまくいったと考えているが、実際には全滅しており、代わりにナノウイルスの恩恵を受けたのは蜘蛛たち他の動物である。物語はその後、進化を続けていく蜘蛛と、カーンの救難信号を受けてかけつけた宇宙船ギルガメッシュの面々という、二つの視点から描き出されていくことになる。

宇宙船ギルガメッシュは救難信号を受けて近寄ってきたわけだが、それはカーンを救助するためではなく、自分たちが助かるためだ。地球では戦争が激化し、人が住める環境ではなくなったので、ギルガメッシュの乗組員は船内でコールドスリープを駆使しながら、20光年の距離を2000年かけてこの惑星へとやってきたのである。

一方、蜘蛛らは2000年の時をかけてじわりじわりと発展を続けている。

じわじわと成長していく蜘蛛の描写がおもしろい!

正直、人類パートは飛び抜けておもしろいというわけではなく、本作の魅力の大半は蜘蛛側のパートにある。蜘蛛パートは主に、「ポーシャ」と名乗るハエトリ蜘蛛に密着して語られていくが、この蜘蛛は最初は体長わずか8ミリ、脳の神経細胞は人間の1千億とは程遠い、6万しか持っていない、まだまだ低知能な存在だ。

それでも、彼らは徐々に狩りの腕を上達させ、卵を産み、ナノウイルスに感染していることもあって、後の世代の蜘蛛たちは、体の大きさが倍、知能も大きく増大していく。最初はかすかな知性があるのみだが、次第に視覚と振動による独特の言語を生み出し、科学と呼べそうなものを生み出し、世界の理解を増していく。この、蜘蛛たちの神経細胞や文明が発展していくのが、civilizationやクッキークリッカー系のクリックで世界が発展していく系のゲームをプレイしているようでおもしろいのだ。

この発展を支える仕組みが、蜘蛛が〈理解〉と呼ぶ継承システムにある。蜘蛛たちは世代交代を繰り返すうちにある時〈理解〉を得ることがある。〈理解〉とはいわば知識のパッケージなのだが、これは人間が実験や研究を行って知識を増やしていくのとは異なって、遺伝子に組み込まれたものである。進化を促すウイルスが学習した行動様式を、遺伝的に継承可能な形に変換し、精子と卵子に転写することで、子孫はある日急に「ある知識」をひらめくのである。ロマサガシステムなのだ。

 このような仕組みは、初めはちぐはぐで、不完全で、ときには命取りになることもあったが、世代を重ねてより効率的なウイルス株が広がるにつれて信頼性が高まった。ポーシャはこれまでに多くのことを学んできたが、その一部は生まれつき持っていたり、成長する中で手に入れたりしたものだった。生まれたばかりの子蜘蛛でも狩りや忍び足や跳躍や糸吐きができるのと同じように、ポーシャは生まれてから何度か脱皮するうちに言語を生得のものとして理解し祖先たちの暮らしの断片に接することができるようになった。
 それはいまとなっては遠い過去となった。ポーシャの民が有史以前から有していたひとつの機能だった。だが、最近では、彼女らはナノウイルスの強化能力を活用するすべを学んでいた──ウイルスが逆に彼女らを活用しているように。

〈理解〉によって、蜘蛛には突如革命的な発明や発想をするものがあらわれ、そのたびに文明は加速していく。理解が引き継がれる総量には限界があり、より有用性の高い理解を引き継がなければならず、そのため優れた理解は経済価値が認められ、別々の血筋で伝わっている奥義としての理解をお互いに交換していく。このあたりのリソースが限られていてやりくりしないといけないのもゲームっぽいところだ。

蜘蛛たちのドラマ

蜘蛛の社会パートには、発展以外にも様々なドラマがある。蜘蛛以外の種族との戦争、蟻の群れを計算機のように扱う手法の発見、致死的な疾病が流行し、「免疫」の概念を〈理解〉する過程。蜘蛛の社会は雌が圧倒的に優位で、雄は虫けらのような存在だが、蜘蛛の中でも特別な〈理解〉を得た雄が、雄の地位向上のために立ち上がるパートや、糸を用いた特殊建造物の描写など、蜘蛛社会ならではの描写も数多い。

体長8ミリの蜘蛛からはじまって、自力で計算機を生み出し、軌道上を回る人工衛星の存在に気が付き、蜘蛛以外の知性の存在、自分が存在する意味に思いを馳せる。わたしたちはいったいなぜここにいるのか? 世界の仕組みはどうなっているのか? と。そうした進化と発展のダイナミズムが、本作にはたっぷり詰め込まれている。

おわりに

ギルガメッシュパートは、第二の地球にしようとこの蜘蛛の惑星に来た後、ソフトウェアとなったカーンに人工衛星から攻撃を受けて長い膠着状態に陥るのだが、いつかは降りねば死んでしまう。はたしてその先にあるのは蜘蛛と人間の戦争か、あるいは平和な接触なのか。蜘蛛と人間では使っている言語も生態も何もかもが異なり、お互いがお互いのことを理解の困難な異質なものとして探り合う過程が双方の視点から描かれていくので、ファーストコンタクト系の作品としても珠玉の出来。

文明発展や蜘蛛が世界を開拓していくさまは冒険小説としておもしろく、蟻や蜘蛛たちとの戦争の描写は戦術面がしっかり描かれていて戦争SFとしての魅力もあり──と一言では表せない魅力の詰まった、大好きな作品である。ぜひ楽しんで欲しい!

余談

本筋から外れておもしろかったのが、数千年におよぶ物語で世代交代を繰り返していく種をどうわかりやすく描くのか、という工夫にある。たとえば、蜘蛛パートはポーシャと名乗る蜘蛛に密着していくのだが、蜘蛛なのですぐに死に、世代交代してしまう。だが、世代が変わるごとに名前が変わったらめちゃくちゃ読みづらいと考えたのだろう。本作では、ポーシャの血統に連なり、その個性を継承している蜘蛛をみなポーシャと呼称していて、いつの時代もポーシャはポーシャとして語られていく。

蜘蛛パートには他にも幾人もの登場蜘蛛が出てくるが、そいつらも全員名前を継承していくので、表向きは主要の蜘蛛は3〜4体しか出てこない。これは世代交代を前提として数千年の物語を紡ぐにあたって読者のストレスを軽減させる良い仕組みだ。人間はどうなのよ、とおもうかもしれないが、人間はコールドスリープして数千年の時を超えるので、基本的にはずっと同じ人物が継続して出てくるわけである。