基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

森博嗣による、Xシリーズに続く、浮気調査に明け暮れるリアルめの「探偵もの」──『歌の終わりは海 Song End Sea』

精神的なダメージを負いながらも地道でたいして儲かるわけでもない探偵事務所での仕事に明け暮れるうちにその傷が癒えていく主人公小川令子の生き様が描かれていった『イナイ×イナイ』からはじまるXシリーズ。この『歌の終わりは海』は、そのXシリーズから時系列を引き継いで小川令子&加部谷恵美の二人を中心に展開するシリーズの番外編である。読者の反響次第ではシリーズ化する可能性もあるとか。

『歌の終わりは海』と同じ立ち位置のシリーズ番外編としては『馬鹿と嘘の弓』という作品も昨年出ているのだが(こちらは興を削がない形で内容について触れられる気がしなかったので記事にもしていない)、森博嗣の新境地というか、生と死の曖昧な境界をそのまま「わからないもの」として扱いながら、ミステリィ的にはド正面から描き出していて、テクニカルで素晴らしい出来であった。サクッと読みやすくもあり、今から森博嗣を読み始めます、と言う人に手渡してみてもいいぐらいの作品だ。

で、そうなると続く『歌の終わりは海』もトリッキィな作品になるのかなと読み始めたのだけど、こちらは比較的にXシリーズの雰囲気を引き継いだ作品である。相変わらず小川と加部谷は探偵業を営んでいて、こんな仕事をしていて、将来的にスケールするわけもブレイクするわけもないし、いったい未来なんてあるのだろうか、でも苦しいわけでもなく、仕事があるだけマシか……みたいな、割と多くの人が現実的に抱えていそうな停滞の悩みが小川&加部谷二人の視点から語られていく。

探偵の地味さ

本作でおもしろいのは、まず探偵の仕事の地味な描写にある。現実の探偵業でも多いのは浮気調査だというが、本作においても小川&加部谷の二人組はある著名な作詞家の男性の浮気調査をその妻から依頼され、張り込み&尾行を開始することになる。

その男性は60代で老年期に差し掛かっており、社交的なタイプではないので、そもそも家から出ることがほとんどない。小川と加部谷が交代で見張っても、家から出ないし、誰もこないし、たまに出ても犬の散歩をするぐらいで誰にも合わないので、依頼主に提供する情報も多くはない。金払いはいいが、このままでは依頼は打ち切られてしまうかもしれないし、それ以前の問題として方向性がない(浮気相手の目処、どこに行っているのか、本当に怪しいのかなど)ので、浮気調査としては大変な部類である。

とはいえXシリーズが始まった頃とは違って小川ももうベテランであり、加部谷もそれなりの経験者になっているので、もはやそれも慣れたものといった感じで、カメラを設置したり、いい感じに息を抜いたり、同業者と情報提供しあったりと、すっかりこなれてきている。長い間シリーズとキャラクタを追いかけている醍醐味の一つは、こうした細々とした変化を楽しめる点にあるといってもいいだろう(もちろん本作から読んで、時系列を逆向きやランダムに読んでいってもいい)。

そうした非常にリアルな探偵業の実体を描いているともいえる本作だが、二人が監視業務を続けていたある日、ちょうど作詞家の男性が外に出ていたタイミングで、同じ家に同居していた作詞家の姉が首を吊って死んでいることが判明する。姉は足を悪くしており車椅子生活をおくっていて、首吊は高い位置で実行されていたので、普通に考えれば単独での実行は不可能である。しかし、出入り口に仕掛けた監視カメラにもそれらしい外部の人間は映っていないし、中には人もほぼ存在していなかった。

生前から、その姉は自死を望んでいたことも周囲の人間から漏れ聞こえてくるし、基本的に自殺なのだろう。では、誰がその自殺を手伝ったのか、また、どのような動機から自殺に走ったのか──といったところが本作で展開していく謎のひとつになる。

終わりをどう迎えるべきなのか

この「終わりをどう迎えるべきなのか」という問いは、ある人物の人生を確定させるまでが描かれる『馬鹿と嘘の弓』から引き続いての問いかけ、話題といえるだろう。ヒトの一般的な終わり方は、生きられるだけ生きて、避けられぬ病気にかかって、というのが多いだろう。だが、人間は自分の行動を変えることができるので、別にある地点で苦しくて仕方がない、病気がつらい、などの理由で、死ぬことはできる。倫理的に広く認められたものではないが可能は可能であるし、安楽死が可能な国もある。

自死は権利である、ということになって飲んだら誰でも楽に死ねる薬が薬局で市販されるようになったら、自死者は増えるだろう。自由な意思決定の末の自死でそれが許可されている社会ならば良いだろうが、何をもって自由な意思決定による決断と証明できるのか、という問題もある。周囲の圧力や強制でない証明、あるいはうつ病などの形で脳の状態が変わっていたり、そうでなかったとしても人はいつだって完全に冷静でいられるものではなく、感情の揺れ、一時の気の迷いがあるわけで、このあたりが難しい。スイスなど自殺ほう助が可能な国でも、安楽死の実施には治る見込みのない病気、耐え難い苦痛や生涯、健全な判断能力を有するなど厳格なルールがある。

と、そんな議論が本作では展開していくわけではあるけれども、おもしろいのはそうした議論よりも、死を目の前にした人々の言葉にならない揺らぎにこそある。表向きは元気そうな人間でもスッと自殺してしまうことがあるように、人間の内面は、シミュレーションすることも、本人が言葉にして語るのも、難しいものだ。

本作においては、加部谷自身自死を何度も考えたことがある人間であるし、作詞家の男が密かに行う行動と、男がインタビューなどで明かす朗らかな外面のギャップを通して、そうした「言葉にすることができない内面」の外堀が埋められていく。

おわりに

森博嗣作品においてはすべてがそうではあるのだけど、とりわけXシリーズから続く小川令子主演作品は、言葉で表現できない人間の感情の描き方が好きだ。『ダマシ×ダマシ』で、ずっと傷ついていた小川が、たしかに立ち直りつつあることがわかる瞬間とか。浮気調査などを時間をかけて行う、リアル目の探偵業という、わりとゆったりとした時間を取り扱っているシリーズ・作品だから、日常の中で少しずつ変わっていく人間関係だったり内面といったものが見えやすくなるのかもしれない。

死を真正面に見据えたこのシリーズ、ライフワークのように続いてほしい。