基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

地上とはまったく異なる常識が支配する海中洞窟の世界で、ダイバーが何を考え、見てきたのか──『イントゥ・ザ・プラネット』

この『イントゥ・ザ・プラネット』は洞窟探検家、水中探検家の女性ダイバーであるジル・ハイナースによる冒険記だ。水中、それも誰も踏み入ったことがないような長大な洞窟の中では、地上とはまったく別種の常識と情景が展開する。一つの判断ミスで人はあまりにもあっさりとなくなるし、そのわりに恩恵が多いようにはみえない。

誰も到達したことがない水中洞窟の奥までいくことで、莫大な金が降ってくるといったことは基本的には存在しない世界である。だがしかし──そこにそこに果敢に挑みかかる人間はいて、本書はそのうちの一人のダイビング人生を追う形で展開していく。著者も幾人もの仲間たちを目のまえで失い、自身も死にかけている。それなのになぜ潜り続けるのか。そして、彼女たち探検家は海中で何を考え、見ているのか。

その筆致はあまりにも苦しく、同時に美しく、まるで自分が実際に海中にいるかのような興奮が湧いてくる。だが、実際の海中と比べ物にならないことは間違いない。

 それに、あまり気にもならなかった。私はダイビングが成功したことへの幸福感に浸っていたのだ。私が目にした場所を訪れた人は、月に行ったことがある人より少なく、それと思うと心は自信と誇りで満たされた。次の努力は、再び私を誰も体験したことのない場所に導いてくれると確信していた。

『宇宙よりも遠い場所』という、少女たちが南極観測隊に混じって南極を目指す青春アニメの傑作があるが、前人未到の水中洞窟の探検もまた、宇宙よりも遠い場所への冒険といってもよいだろう。*1ちなみに、著者らもまた、南極で巨大な氷山の水面下に潜む洞窟の調査を行うテクニカルダイビングにも挑んでいる。

どのようにしてダイビングをはじめたのか。

著者の経歴は洞窟探検を始める前から波乱にとんでいる。大学生の時に一年で二回も在宅中(別の家)に強盗に入られ恐怖と対峙し、グラフィックデザイナーとして活躍、長時間労働と引き換えに誰がみても成功者といえるステータスを手に入れたが、その途中で体験したダイビングにはまり込んで、人生をそこへ全ベットしてしまう。

ダイビングで生きていくとなったらダイビングインストラクターが最初に思いつく職業だが、それは高給な仕事ではない。著者としては共同経営権を持っていた会社からの収入があるとあてにしていたようだが、かつての仲間たちはダイビングに専念するといって辞めていった彼女に怒って無理やり会社を潰し、新しい会社を立ち上げることでその支払を無効化するなど、なかなかに面倒なことに巻き込まれている。

とはいえ、彼女はそれまでのキャリアを捨てダイビングへの道を踏み出したのだ。ただインストラクターとして仕事をするだけではなく、水中洞窟の探検の練習を積み、洞窟の探検家や海中の写真家としての実績を得ようと、仕事を積み重ねていく。

水中洞窟の探検

そもそも水中洞窟の探検とは何のために行われるものなのか? そこのところすらもよくわからずに読み始めたのだが、そこには無数の目的がある。たとえば宇宙で使うような機材の耐久・実用実験目的もあれば、山頂から地球内部にまで繋がる長大な水路を下り、世界で最も深い場所だと宣言するために行われる「縦の旅」。

あるいは、無数の洞窟が繋がりあったルートを開拓していくマッピング作業のような探検もある。それは単純に洞窟の構造が明らかになるだけでなく、地質学的にも価値のある情報となる。『海中洞窟は地球上に残された最後の辺境なのだ。驚くべきことに、我々人類は宇宙空間ほど地球内部構造のことを把握していない。』

著者が最初の本格的な探検に出るのは1995年のこと。メキシコ南部のウアウトラ洞の新ルートを見つけ、入り口から出口までの垂直距離で世界一の距離を目指す旅だ。旅は往復6時間にも及び、一気には行けないので、先に準備として要所にエアタンクを置き、ラインリールをつなぎ、少しずつ前に進む必要がある。道中では、水深約55メートルを潜ることになるが、そこは地上とは常識が異なる世界だ。

その深さでの一回の呼吸は水上で吸い込む7倍ものガスを消費する。一つの判断ミスで死に至るが、呼吸が貴重なので、冷静でいることそのものが難しい。一度パニックになれば方向感覚も失われ、動き回ることで砂煙が上がり視界が悪くなり、助けになってくれるはずの仲間の命さえも危険に晒してしまう。

また、その水深で人間の体は一平方センチあたり約7キロの圧力を受けるから、帰還時に飛び出たら終わりだ。地上の圧力に再び順応するためにも、段階的な遅延時間を設けてゆっくり上っていかなければならない。簡単なように聞こえるが、注意して計画を立てても減圧症になることはある。著者もその後の探検でかかるのだが、一気に浮上するわけにいかないので、死の恐怖に震えながら海中にとどまるしかないのだ。

女性としての苦難

著者が本格的にダイビングを始めた20世紀末はまだまだ女性差別がひどい時期で、しかも女性ダイバーの数は少なく彼女がその代表格だったから、女性であることに起因する様々な嫌がらせや問題点にぶちあたっている。たとえば、彼女は途中で男性ダイバーのポールと結婚し、冒険を共にするようになるのだが、結婚したから冒険のパートナーになれたのだと捉える人たちから、遠慮のない視線や陰口にもさらされる。

世界記録を打ち立てても、女に負けた! など身近な人間からジェンダーを理由にしたあてこすりが止まることはない。ジェンダー差別だけでなく、単純に女性ダイバーとそのデータが少ないがゆえの苦難にもみまわれていく。彼女が深刻な減圧症に襲われ命の危機すらあった時、二度とダイビングはしないようにと医者から忠告を受けるが、それは高気圧酸素治療を行う専門的な医師であっても、テクニカルダイバー、それも女性にどのような影響があるのかは論文もなくわからなかったからである。

 セクシズムとの対峙が私の生涯の使命の一部を形作ったかもしれない。私は「優秀な女性探検家」というよりは、「優秀な探検家」として認められたかった。ジェンダーの壁があったとしても夢を実現する女性たちを応援したかった。困難への挑戦も可能だし、成功は祝う価値があると女性たちには知ってほしい。私自身が、ボートに乗った唯一の女性にはなりたくなかったから。

探検家や写真家として大きな実績を残すというゴールを迎えた後、どうモチベーションを立て直し、次のキャリアを設計するのか。また、結婚後はサポート役であるべきなのか、冒険家としての妻であるべきなのかという悩みもあり、一人の女性がその人生をどう舵取りしてきたのかを描き出す、回顧録として読んでも魅力的。

おわりに

南極の海中洞窟の美しい風景と、ダイブ中に氷壁が崩れて水中に落下してきた時の絶望感など、美しさは本書の中では常に死と隣り合わせ。しかし、だからこそ得られる快感もあるのだろう。『死の罠だと多くの人が捉える場所に、なぜ潜るのだろう? 私にとって洞窟ダイビングとは「子宮に戻る」体験なのだ。先祖から呼び戻されたような、原点回帰の体験だ。』

普通に生きていたら絶対に知ることのない世界を垣間みせてくれる一冊だ。

*1:ちなみに、アニメのタイトル自体は、昭和基地に招待された宇宙飛行士の毛利衛が「宇宙には数分でたどり着けるが、昭和基地には何日もかかる。宇宙よりも遠いですね」と発言したことが元ネタになっている。