基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

1400ページ超えの凄まじい物量で展開するパンデミック終末巨篇──『疫神記』

この『疫神記』は「ワシントン・ポスト」紙の年間ベストにも選出された、パンデミックSFの超大作長篇である。そのページ数は原著約800ページ、この邦訳版は1400ページを超え、並大抵の厚さではない。僕はKindleの合本版で読んだので物理的な厚さこそ感じなかったものの、ページをめくれどもめくれども右下の「%」がミリも動かないのをみて「なんじゃあこりゃあ!!」とビビったものだ。それぐらい厚い。

新型コロナウイルスが猛威を奮い始めてから、2019年頃に書かれた感染症を扱ったSFが「予言的な書!!」といって多数翻訳されてきたが、本作もその流れに連なる一冊で刊行は19年の7月のこと。本作では、現代を舞台に、巨大な彗星が空を通過したあとに一部の人々が呼びかけにも反応せず、夢遊病的に外に出てどこかを目指し始めるという奇怪な状況から世界を襲うパンデミックとの戦いを描き出していく作品だ。

こうしたパンデミックSFは昨年から今年にかけて年7冊ぐらいのペースで刊行され、僕はそのすべてを全部読んできたので、正直パンデミックSFはもうお腹いっぱいだよなあ……と思いながら読み始めたのだが、本書の内容は通常のパンデミックものとは一線を画しており、全体を通して新しい、想像と異なる味を堪能することができた。

何しろ上巻700pを通してほとんどの間(この情報は隠したところで意味がないので明かしてしまうが)、蔓延している病が感染症なのかどうかすらもわからないまま進行していくうえ、感染症だけでなく「未来を予測するAI」も大きなテーマになっていくからだ。それに加えて、トランプ以後のアメリカの分断、人間を管理するAI問題、ナノマシン、親子の確執、さらには時間SF的な要素まで途中からは入ってきて──と、圧倒的な物量こそが可能にした、ごった煮SFエンタメが展開していくのである。

そうはいっても1400ページ超えは長い。巻末解説の大森望さんも『とりわけ、スティーヴン・キングやロバート・マキャモンの愛読者なら必読の部類。パンデミックとSFネタを融合させたエンターテインメント大作としては、古今東西を見渡しても、指折りの傑作のひとつだろう』と書いているが、長さに耐性のある読者ならいけそう、という作品である。正直、キングファンでも上巻のテンポが悪すぎる上にろくに話が進展しないので上巻に関してはある程度飛ばし読みでもいいかもしれん。

あらすじ、世界観など

物語の舞台は現代、日本のアマチュア天文学者が発見したことで「サカモト彗星」と名付けられる彗星が地球を横切った翌朝、アメリカの各地で不可解な行動に出る人々が現れはじめる。15歳の少女ネッシーもそのひとりで、無意識状態でどこかへ向かって一心不乱に歩き続け、姉であるシャナが語りかけても何の反応も返さない。

ようは夢遊病的な状態になって動き続けているのだが、異なるのは彼らが決して目を覚まさず、止まらないし止められないということだ。行く手を阻めば全身から高熱を発し、痙攣する。鎮痛剤を打とうとしても、注射針が折れるほどに皮膚は硬く、一切の針や検査を受け入れない。無論パトカーの中に無理やり詰め込むなどして強制的に止めることはできるわけだが、それをすると夢遊者は突如爆発してしまう。

ネッシーのような症状を出す人はアメリカで徐々に増えていき、みな同じ場所に集まって同じ方角へ向けてあるき始める。彼らは何らかの感染症にかかったのか? しかし、彼らの家族が同じ症状を呈するわけではない。化学物質や水を原因に上げる人もいれば、アルカイーダやイスラム国のせいだと声を上げる人もいる。誰にもその原因はわからぬまま夢遊者たちは歩き続け、またその家族のうちの一部は、夢遊者を見守るために車や徒歩で同行し、その集団はどんどん大きくなっていく。

多数の視点でこの現象を描写していく

物語はこの不可解な現象を中心において様々な人物の目を通して語られていくが、その一つはネッシーとその姉シャナを中心とした不器用な家族の物語。もう一つが、このような未曾有の事態を予見していた、未来を予測するためのAI「ブラックスワン」の名指しによって対策に駆り出された感染症専門医のベンジーを中心とした物語だ。

夢遊者たちは時速4.8kmで歩いていて、寝ることもなく24時間で150キロを踏破する。移動にはエネルギーを消費するはずだから、補給もなしにそれが可能なはずがない。人間に寄生し意図しない行動を引き起こす存在はいないわけではなく、たとえばトキソプラズマは人間に感染すると脳の化学反応に影響を与え無謀ともいえる行動を誘発させる可能性が知られているが、今回のケースはそれにもあてはまらない──と、ベンジーを中心としたパートでは非感染症も含め無数の要因が検討されていく。

夢遊者の年齢構成は15歳未満と60歳以上の高齢者がおらず一定の分布をとり、白人20%、黒人20%、ヒスパニック20%──と奇妙なほどに人種の比率も一定の間で推移している他、シスジェンダーやヘテロセクシャル、ゲイ、両性愛者の観点からもバランスがとれていて──と、不可解な要素が全編を通して散りばめられていくのだが、物語が終結へ向かうにつれその全てに鮮やかな解答が与えられることになる。

感染症にとどまらぬ物語

アメリカ国内を数百人が移動し続けているのは邪魔であり、彼らと共に旅をする身内も含めた集団をどう政治的・警備的に処理すればいいのか──という検討も上巻は多く(こちらを主に描写していくのは、ネッシーら夢遊者とその家族のパートだ)、パンデミックスリラーにとどまらぬおもしろさで序盤は引っ張っていく。

夢遊者は物いわぬまま歩き続けるという点で「ゾンビ」に似ているが、かといって彼らは噛み付いて感染者を増やすわけでもなく、誰かを攻撃するわけでもなく、ゾンビとは明確に似て非なるものとして描かれている。夢遊者の存在はアメリカ国内に不和と数多の陰謀論、終末の宗教論を撒き散らし、一部の過激派は夢遊者らを銃殺しようとする強硬手段にも出るなど、社会の分断の象徴として機能することになる。

本書は作中でたとえばゾンビ系なら映画『ナイト・オブ・ザ・コメット』、感染症&終末系としてはキングの『ザ・スタンド』など、多数の先行フィクションへの言及がみられるが、そうした作品を踏まえつつも、「夢遊者」のようにあえて別の描写・展開へと踏み込むことで、「またパンデミックSFか〜」と思ってしまった僕のような人間も満足させる作品に仕上がっている。特に上巻の終盤で、未来予測AI「ブラック・スワン」が「いったいどの時点からこの破滅を知っていたのか?」が明らかになってからは、本作はAIと人類の物語としてもぐいぐいスピード感を増していくのである。

おわりに

竹書房文庫はその多くが刊行直後からKindleの読み放題に入っていて、本作もその例外ではないので、本書をKindleで読みたいという人には読み放題に入ってから読むのをおすすめしたい(僕もそうした)。かなりの超大作で読み通すには根気を必要とするだろうが、ゆったりと暇つぶししたい時にどうぞ。