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科学とSFの永続的な相互作用について──『こうして絶滅種復活は現実になる:古代DNA研究とジュラシック・パーク効果』

マイケル・クライトンによるSF小説『ジュラシック・パーク』が刊行されたのは1990年のこと。小説の時点で世界的なベストセラーになっていたが、その後スピルバーグ監督によって同名映画として制作さあれ、アメリカで公開されるとその人気は爆発し、2020年代に入ってもなお盛況にシリーズ続編が公開されるほどになっている。

長い間愛されるのにはそれだけの理由がある。たとえば、原作『ジュラシック・パーク』における、琥珀の中にいる蚊に含まれた恐竜の血液から古代の恐竜を現代に蘇らせ、それが惨劇の引き金になる──という根幹設定は抜群に優れている。『ジュラシック・ワールド』として、前作よりも規模感を増し、現代ならではのCGクォリティでシリーズを新しく蘇らせた設定の妙もあるだろう。だが、一番大きな理由は、「失われてしまった地球の覇者が動いているところをこの目でみたい」という根源的な欲求、好奇心が誰しもにあることではなかろうか。いつか、ジュラシックシリーズが途絶えたとしても、別の形で恐竜復活は物語として復活するのではないか。

大まかな構成と内容について

それはわからないが、本作『こうして絶滅種復活は現実になる』は、そうした恐竜復活が現実に可能なのか? を技術の変遷を含めて追いかけながら、『ジュラシック・パーク』の小説版の刊行、およびスピルバーグによる映画の人気が、古代DNA研究にどのような影響を与えてきたのか? を問いかける二つの軸で構成されている。

『ジュラシック・パーク』の人気は、単純に小説の売上や興行収入の枠を超えて大衆の興味関心を呼び起こした。マスコミは古代DNA関連の研究であらたな進展があれば決まって「ジュラシック・パークが現実に!?」と見出しをつけて関心を煽り、時には古代DNAの研究者らも資金獲得、実績獲得のため、そうしたマスコミの戦略に意図的に乗ることで発展を重ねてきた。本書は、単純に古代DNA研究&再現の軌跡だけでなく、そうしたSFや映画と科学の相互発展の歴史をとらえている。

恐竜を復活させることは可能なのか?

タイトルの結論だけ先に書いておくと、現代でもまだ恐竜を再現できるかどうかはわからない。その可能性を簡単には退けない研究者もいれば、酔狂で馬鹿げており、復活に取り組む科学者はクレイジーだと語る研究者もいる。DNAを解析し操作する技術は年々増えており、可能性はあると考える研究者が増えているのは確かなようだ。

技術の流れをざっと紹介すると、『ジュラシック・パーク』では琥珀の中の蚊が吸った恐竜の血液からDNAを採取することが物語の起点となるが、これはペレグレーノという科学者が出した論文を元ネタにしていた。ただ、その論文は当時強い反発にあっている。有機的成分が化石記録に保存されることはありえないし、琥珀の中からDNAを抽出したとしてその配列を決定することも技術的に不可能だと。

だが、そうした思い込みは覆されていく。たとえば、そのすぐ後に、古代の絶滅種の遺骸にはDNAが長期的に保存され、抽出も可能であることを示す論文が出た。そこで抽出できるのは僅かな情報に過ぎないが、次にそれを自動的に増幅できる分子生物学的手法のポリメラーゼ連鎖反応(PCR)技術が生まれ、部分的に解決された。PCRは紛れ込んだ余計な要素が増幅される真正性についての問題を生み出し、科学者の派閥を生むほどの論争を呼んだが、PCRに代わって、数百万ものDNA分子を同時に配列決定可能な基盤技術・次世代シーケンシング(NGS)が生まれ、これも解決に向かった。

「古き良き時代には、『マンモスのクローンなんてできっこない』と都合よく言っていればよかった。それで話は終わったものだ」とある研究者は語る。「でもNGSが出てきて、今では少しばかり面倒になった」

現代には、CRISPR-Cas9と呼ばれる比較的手軽な遺伝子改変技術もあり、『ジュラシック・パーク』が刊行された当時から考えると恐竜の復活は手に届く範囲に近づいている。一方、この話が難しいのは、「再現」が何を意味するのかを定義するのが難しいところにもある。たとえば、少しずつ少しずつ恐竜っぽい要素を持つように、交配を繰り返していっていつか恐竜っぽいものができたら、それは恐竜の再現なのか。

あるいは、遺伝子改変を繰り返し完全に同一の遺伝子の生物を作り出すことができたとして、エピジェネティックな変化も重要であることが今ではわかってきているから、環境まで含め再現しなければ「同じ」とはいえないだろうというものもいる。どこからが「再現」でどこからはただの「模倣」なのか。決めることは難しい。

科学とSFの関係

本書のもう一つの読みどころは、『ジュラシック・パーク』をはじめとした物語と、科学者の相互作用について書かれた部分である。『ジュラシック・パーク』は死んだ生物からDNAを抽出するという学問的な概念を生き生きとしたイメージに生まれ変わらせた偉大な作品だが、それ以後、マスコミは古代DNA研究に飛びつき、このテーマの認知度が高まった結果、一流の科学誌に掲載される可能性も高くなっていく。

一流誌に掲載されれば資金獲得や研究所の箔付けにも繋がるから、これを契機として古代DNAに進出した科学者が多数いたことも不思議ではない。科学者にも無数の立場がある。古代DNA研究と一言でいっても多様であり、恐竜の復活とは関係がないしそんなことは不可能だとはっきり拒絶したものもいれば、資金調達や実績のために意図的に利用した研究者もいる。おもしろいのは、『ジュラシック・パーク』を読んで、古代DNAの研究に手を出し、この分野を前進させた研究者が幾人もいたことだ。

「わたしの記憶では、[同僚が]ある日わたしのオフィスに入ってきて言ったんです。『「ジュラシック・パーク」を読んだかい? 我々もやるべきだよ。琥珀を割って昆虫を取り出し、DNAが手に入るか調べてみよう』」

こんな例がいくつも本書では紹介されている。そうした研究者が成果を出せば、マスコミは嗅ぎつけ「ジュラシック・パークが現実に!?」と記事を出し、それがさらに大衆の興味を引き寄せる。そうした相互作用に功罪があるのは間違いないが、本書のスタンスは「肯定」だ。地味で、本来金など集まりそうもない、古代のDNAを抽出・解析するにあたってそうしたパブリシティの強さは明らかに量と質の向上に繋がっているし、上記引用部のように新規参入者が増えたことも利点といえる。

実際、こんにちに至るまで、古代のウマのものであれ、絶滅したマンモスのものであれ、最古のゲノムに関するマスコミの報道が、進歩の基準として『ジュラシック・パーク』を引き合いに出して行われてきたのは、このような科学とSFの永続的な結びつきを示すさらなる証拠なのである。

古代DNA研究がマスコミおよびSFに影響を与えただけでなく、マスコミおよびSFが古代DNA研究に影響を与えてきた軌跡も、本書ではたっぷりと描き出されている。

おわりに

本書では、大衆の高い関心とメディア露出の影響下で発展する科学についてのテーマを「セレブリティ科学」と呼称して広く分析しており、あまり例をみない「サイエンスコミュニケーション」についての一冊といえるだろう。たいへんおもしろかったので、ぜひ読んでみてね。『ジュラシック・ワールド』の最新作も楽しみだ。