登場人物は誰も彼もワイン産業従事者、評論家で、作中では誰も彼もがワインを飲みまくり、飲めば味や香りを語りまくり、ついでに歴史や産地当てゲームも行われる。異様なまでのワインへの熱量によって書かれた小説であることは読み始めた直後から疑いようもなく、特に終盤はその情熱に唖然とするほどだった。スリラーとして見た時展開が単調に感じられる面もあるにはあるのだが、そんなことがどうでもよくなるぐらいワインSFとして唯一無二の作品である。今年の掘り出し物といえる一冊だ。
あらすじ、世界観など
物語は主にブドウに感染しワイン産業を破滅させかねないウイルスが蔓延しはじめた2040年代と、多国籍企業モンテスキューによってウイルスにたいするワクチンが開発され(ワイン産業が)息を吹き返した2050年代の物語が交互に語られていく。
物語の第一章の舞台は2053年。2043年のウイルスの拡散は《大消滅》として語られ続けているが、この時代、世界中のほぼすべてのワイナリーは、ブドウに感染するGV9ウイルスへの唯一の対抗策であるワクチン(KN100)を提供してもらうため、モンテスキューの《健康管理保護契約》にサインしている。これによって、顧客はモンテスキューからブドウ樹にワクチンを摂取してもらえる他、ワクチンの効果測定など細かなフォローアップを受けることができる。2050年代で中心人物となっていくのは、そんなモンテスキューに買収された会社に所属していた35歳の男性〈私〉だ。
〈私〉は最初、イタリアで高い地位を誇り、ワイン業界で「長老」と呼ばれる経営者のワイナリーに検査へとおもむき、そこで長年ワクチンを打っていないにも関わらずウイルスに感染していない、驚異的なブドウ園の存在を知る。《大消滅》から10年が経っても、ワクチン以外の手段ではウイルスへの抵抗は成し遂げられていない。そのヒントが、この奇跡ともいえるブドウ園には秘められているかもしれない。
〈私〉はその後、モンテスキューの顧問に呼び出され、モンテスキュー以外の「その他の機関」もワクチンを開発している可能性について知らされ、ワクチンとウイルスをめぐる無数の陰謀と権力争いに巻き込まれていくことになる。たとえば、このウイルスは、何者かによって人為的に発生させられたものではないのだろうか。人為的に発生させられたものだとして、ブドウを壊滅させることにどんな意味があるというのか。ウイルスを根絶する方法は本当にワクチン以外には存在しないのか──?
SF✗ワイン
本作の読みどころはなんといっても「近未来」のワインの在り方を無数に描き出していくところにある。2020年代よりもはるかに地球温暖化の影響は大きくなっているから、それによるワインへの打撃と産業の変化も語られていくし(これは主に2043年パートで)、〈私〉が顧問と会った後に会いに行く「先生」と呼ばれる世界で最も影響力のあるワイン評論家は、現代は醸造技術の進歩と味覚分析と統計によってワインは『いいブドウからいいワインができる。』段階へと進んだと語る。
それが達成されたならば、次に飛躍的な品質向上を求めるなら、課題はブドウの種そのものだ。そして、そのために必要なのは「遺伝子操作」なのだ──と語りはとどまることを知らず続いていく。たとえば、遺伝子を書き換えたブドウなら、ブドウが持つ現在の制限の枠を超えてより豊満なワインが作れるはずだ。
「遺伝子操作でアルコール耐性を高めた酵母菌で作られた十年物のアモンティリャードが去年、市場に出ました。このワインの味は伝統的なシェリーをはるかに超えています。想像してみてください、地球温暖化に耐えうる、あるいは熱帯でも栽培できるブドウ品種ができたら、栽培地域はインド南部やメキシコまで拡大されます。ブルゴーニュとボルドーの長所を併せ持ち、一年に二回収穫できる、高品質で育てやすいピノ・ノワール。一体どんな光景が広がるのでしょうね。もっと大げさに言えば、シャブリに生牡蠣、カベルネ・ソーヴィニヨンにビーフステーキの風味を加えたりもできる。なんと不思議で、美しくて、怪しい情景でしょう」
また、50年代であることも手伝って宇宙も舞台になるのだが、登場人物らはそこでもワインを飲む。無重力熟成されたシャトー・ベイシュヴェルの味が語られ(『無重力での浮遊の影響か、ワインと樽との接触が均等になり、かつ共同研究ステーションの温度と湿度が一定に保たれた環境設定によって、非常に効率的に熟成が進んでいました。だから、若いのに熟成している感覚がありましたよ』)、飲み方が語られ(『宇宙でワインを飲む時の最大の難点は、スワリングができないことです。香りを嗅げないので、ワインを直接吸い込み、口の中でワインと空気を混ぜ合わせて飲み込みます。』)──と、全編通してSFならではのワインの話で埋め尽くされている。
とにかく、語りがおもしろい作品だ
で、登場人物はワインを飲んでいるのだが、その語りがまたおもしろい。僕の中の「ワイン好き」のイメージとはとにかくワインにまつわる薀蓄(歴史やら来歴やらワイナリーがどのような人たちなのかとか)を語りまくり、同時にその味についてどれだけ豊かに、長々と語れるか選手権を日々開催しているイメージなのだが、本作ではまさに僕が思い描いていたようなワイン好きの「語り」が展開している。
たとえば、宇宙でワインを飲んだ時、感想を聞かれて〈私〉はまず『宇宙ではどんなふうに時間が流れるか知っていますか?』とワインの感想と思えない語り出しではじめて、『「まるで時間旅行のように、時間が流れ去る感覚を強烈に感じました」』と最初は詩的に、次に科学的に(タンニンが〜とか酸味が〜とかボルドーの構造や味のグラデーションについて)語り、最後は詩的にオチを落としてみせる。
それ以外の場面でも、ワインを飲み始めたら最初に産地、醸造法当てゲームがはじまり、当てたらおお、やりますなあ! では私も一口、と関心しながらぐいっと飲む、そんな光景が繰り広げられている。その語りもそれぞれの人物のワインへの思想が現れていて(〈長老〉はワインを作るのは神だ、といって自然派の観点からワインを語り、〈先生〉は主観による差異をできるかぎり排除し、科学的分析と味覚を関連付けて定型化、定量化してワインを語ろうとする)、単なる薀蓄や描写の羅列にならず、キャラ付けにしっかりと役に立っているのがまたうまい。
「どうだね、うちのワインは?」
私はグラスを揺らし、もうひと口飲んで言った。「濃厚でしっかりした口当たり、草原で強く握りしめた拳のような、少し緊張感のある天然の野性味。こんなに原始的で力のあるネッビオーロの味わいは初めてです」
長老は私をじっと見つめると、自分のグラスにもワインをついでひと口飲み、うなずいた。ワインを愛する者はみんなこうだ。誰かがワインの味を描写すれば、それを聞いた者は無意識にグラスを手に取ってひと口飲み、その味わいを体験してみるのだ。
おわりに
と、僕は大満足だったがワインの語りは相当にくどいのでそれが気に入らないならまったく読み進められないだろう。終盤の宇宙で発される名言など紹介したい部分はまだまだあるのだが、そこはぜひ読んで確かめてもらいたい。