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われわれの行動を光でどこまで制御できるのか──『「こころ」はどうやって壊れるのか~最新「光遺伝学」と人間の脳の物語~』

この『「こころ」はどうやって壊れるのか』は、精神科医として現場に立ちながら、光を用いることで脳の活動を観測や制御を可能にする、「光遺伝学」の第一人者として知られるダイセロス博士による、一般向けのノンフィクションである。

タイトルにも入っているように光遺伝学がどのような分野で、何が解明されつつあるのかについての解説が行われるのはもちろん、博士が実際に関わってきたさまざまな症例の患者たち(大鬱病、躁病や双極性障害、自閉スペクトラム症など)の人生と、それが光遺伝学の観点からどう説明できるのかが語られていく。寄せられている賛辞の中には『妻を帽子とまちがえた男』などで知られるオリヴァー・サックスの名を挙げるものがちらほらあるが、たしかに傾向としては近い本/書き手といえる。

正直オリヴァー・サックスに比肩するほどの語り手かといえばそこまでではないのだが(わかりにくい部類の文章だと思う)、その人間とその精神について語る時の筆致は時に驚くほど美しい瞬間があって、読んでいて楽しませてもらった。また何よりも、光遺伝学が明らかにしてきた数々のことが本当におもしろいのである。

光遺伝学とは何なのか。

遺伝子は、ある細胞にタンパク質を生成するように命令するDNAの断片である。われわれはみなこれを持っているが、光遺伝学では、細菌や単細胞藻類のような異なる微生物から遺伝子を借りて、それをマウスや魚のような動物の脳細胞に届ける。なぜそんなことをするのかといえば、微生物オプシンと呼ばれる特定の遺伝子は、ニューロンに届けられるとすぐに、光を電流に変えるタンパク質の生成を命じるからだ。

このタンパク質は、もともとの持ち主である微生物が太陽光を電気的な情報やエネルギーに変換するのに利用するものである。一方、ほとんどの動物の脳内のニューロンは、真っ暗で光に触れることがないので光に反応しない。光遺伝学では、脳内の特定の部分・脳細胞にこの微生物タンパク質をあたえ、そこに研究者がレーザー光を当てることで、電気信号を変化させることができる。

この手法が優れているのは、脳の特定の細胞をピンポイントで狙い撃ちにし、健康な時でも病気のときでも実験を行えるところにある。しかし、電気信号を変化させると何が起こるのか? それは、本書が一冊まるまるかけて語っていくことだ。

感覚、認知、行動という脳の機能が音楽だとしたら、脳細胞は幅一〇万分の一ミリの音楽家であり、哺乳類では数百万から数十億を数える。光遺伝学とは光を使って神経回路の活動を指揮し、自然界の音楽を引き出すことであり、動物はそのねらいどおりに演奏し、脳内の個々の細胞と細胞タイプから、構造と機能が一緒に現われる。

光遺伝学によって何を引き起こすことができるのか?

たとえば、暴力衝動、社交、セックス、空腹、渇き、眠さ、不安や恐怖などの特定の感情、視覚を、活力を、強めたり弱めたりすることができる。

おもしろかったポイントのが、一言で「不安」といっても、それはいくつもの構成要素に分解でき、脳のそれぞれ違った部位が担当&制御されていることが光遺伝学を使うことでわかるところにある。たとえば、不安の特徴を3つ上げると、まず身体機能の変化(心拍が上昇し、呼吸が速くなる)、次に行為の変化(びくびくし、リスク回避的な行動をとるようになる)、最後に主観的な精神状態(いやな気分)がある。

これらの要素は、全部別々の細胞を光遺伝学で刺激することで引き起こすことができる。まず、呼吸に関与する傍小脳脚核と呼ばれる部分への連絡が活性化されると、呼吸数の変化が起こる。次に、外側視床下部と呼ばれる部分への毛色の細胞を活性化すると、攻撃を受けやすい環境をどれだけマウスが避けるかに変化が起こった。最後の「いやな気分」は判断が難しそうだが、これは二つの空間でどちらを好むか(場所嗜好性)を光遺伝学で制御する実験にて、ドーパミンを放出するニューロンが存在する腹側被蓋領域という場所が関係していることがわかってきた。

不安の光遺伝学的研究でわかったのは、主観的価値(プラスまたはマイナス)や外から測定できるもの(呼吸や泣くこと)を、気味が悪いほどの精度で、脳の状態に加えたり、そこから取り去ったりできることだ。

飢えや渇きの制御

おもしろかった事例のもうひとつが、飢えや渇きの光遺伝学での制御。視床下部細胞は飢えなどの欠乏状態のときに自然に活発になることが知られているが、視床下部内のどこの細胞が飢えや渇きを引き起こすのか、光遺伝学を用いることで判断することができる。脳の深部にある数少ないニューロンを刺激するだけで、満腹のマウスがガツガツと食べ始めたり、食欲を抑えたりといった制御が可能になるのだ。

局所的な細胞集団が、必要のない食べ物をガツガツ食べたり、生きるのに必要な食事がとれなくなったりといった拒食症や過食症を引き起こすことを光遺伝学は証明したといえる。最終的に拒食症や過食症を光遺伝学によって治療できる可能性もあるが、それは同時に自由意志の問題にも関わってくるはずだ。『行為主体性の難しい問題(自由意志は意味をもって存在するのかどうか?)の答えは出ていないが、ここにとくにうまく体系化されている。数個の細胞における電気活動の数個のスパイクが、個人の選択と行動を制御している。このことはいまや否定できない。』

この事例でおもしろいのが、特定のニューロンを刺激することで食欲を増大させられるが、それに騙されない、光遺伝学で強いられた衝動に、わずかにしか影響を受けない脳の領域もあることだ。それは、最近進化した脳領域である「前頭皮質(計画を策定して行路を決める)」と「脳梁膨大後部皮質(ナビゲーションと記憶に関わる部分に密接に関連している)」の二つである。過食症や拒食症の患者であっても「本当の自分はお腹がいっぱいのはず」とか「減っているはず」と、認識自体はできるのだ。

おわりに

本書では他にも、行動の制御だけでなく記憶の想起をどこまで光遺伝学で制御できるのかだったり、魅力的なトピックが並んでいる。

いつか、今よりも光遺伝学の介入の精度が高くなれば、その時社会には難しい問題が立ち上がってくることも考えられる。たとえば、暴力衝動をかんたんに引き起こすことも可能なのだ(少なくともマウスでは可能である)。数個のスパイクで暴力衝動が引き起こされるなら同様に抑制できる可能性もある。

気づけば私たちは驚くべき状況にある。何かを経験しているあいだに自然に活性化する細胞集団を選び出し、そのあと(光と単一細胞の光遺伝学を使って)その活性パターンを経験なしでも再び挿入することができる。

すぐには実践や治療に使えるものではないが、光遺伝学は人類の未来に大きなものをもたらすだろうと、そう実感させてくれる一冊だ。