基本読書

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『皆勤の徒』の著者最新作にして、今年いちばんおもしろかった傑作SF長篇──『奏で手のヌフレツン』

酉島伝法はデビュー作の連作短篇集『皆勤の徒』と第一長篇『宿借りの星』が共に日本SF大賞を獲得と、寡作ながらもその作品は常に高い評価を受けてきた。

そんな酉島伝法による最新作『奏で手のヌフレツン』は2014年にSFアンソロジー『NOVA』に載った同名短篇の長篇版で、これが著者の現時点での最高傑作といっても過言ではないほど素晴らしい出来だ。酉島伝法の作風は造語を駆使しながら人ならざるものたちの世界、視点、文化を細かく描き出していく、一言でいえば「唯一無二」という他ないものだ。本作でもその特徴は引き継ぎながらも、ストーリー、世界観はともに既作よりも壮大さを増し、読みながら「今までこんな感覚、文章を読んで味わったことがないな……」と思うほど特殊な感覚と興奮が呼び起こされた。

たとえば下記は本作の一ページ目の文章で、奏で手と呼ばれる人たちが太陽と月が混合した臨環蝕の膨張を必死に演奏をして食い止めている最中の描写だが、意味が分からずとも(この時点では意味がわからなくても何の問題もない。後に意味がわかる)本作が特異的な文体と世界観を持っていることは一瞬で伝わることだろう。

 大風を縫うように奏でられている鳴り物の数々──骨に響くほどの厚い音で圧する千詠轤ちえいろに荒削りな優雅さを持つ靡音喇びおんら彼方かなたから聞こえるような柔らかい咆流ほおるに軽やかに跳ねまわる往咆詠おうほうえい、表情豊かな人の声を思わせる焙音璃ばいおんり──万洞輪まんどうりん浮流筒ふるとう喇柄筒らへいとう波轟筒はごうとう摩鈴盤まりんばん渾騰盤こうとうばん嘆舞鈴たんぶりん──それらが臨環蝕りんかんしょくの前に立つ響主きょうしゅの指揮により、ひとまとまりの大波となって響かせているのは、阜易学ふいがくの由来でありながら、これまでそう聚落じゅらくでは一度も奏でられたことのなかった〈阜易ふい〉の譜典だった。(p.6)

特に第一部終盤(本作は主人公の異なる二部構成)から第二部の終盤にかけては物語的な盛り上がりが最高潮でページをめくる手が止まらず、今年一番のめり込んで読んだ作品なのは間違いない。先に書いたように「唯一無二」の作家、作品ゆえ合う合わないはどうしてもあるだろうが、以下のより詳細な紹介を読んで気になった人には、ぜひ読んでもらいたい。文字でしか味わえない快楽に溢れた傑作だ。

過酷な世界

かなりな特殊な世界観で、その世界観を少しずつ把握していくのも本作の醍醐味といえるが、それだと何も紹介できないので軽く全体について触れていこう。

まず、物語の舞台になっているのは「落人(おちうど)」という生物が暮らす凹面状の「球地(たまつち)」と呼ばれる世界。この世界には太陽や月などわれわれの社会のよく知るものも存在するが、その実態は大きく異なっている。たとえばこの世界に太陽は4つ存在し、それもなにもないと地面に落ちてしまう。それを聖(ひじり)と呼ばれる選ばれる落人たちが担いで道に沿って日夜移動させており、太陽の後を月が追ってくる──というように、太陽と月の在り方がぜんぜん違うのだ。

この球地は一言でいえば過酷な世界である。太陽は4つしかないがわれわれのよく知る太陽と同じように時が経つといずれ出力が落ちてくる。しかも、太陽を追う月は太陽にぶつかると蝕(しょく)を巻き起こし、太陽は変質してエネルギー源として使えなくなるので、周辺の人々は移住する必要が出てくる。太陽は海から新しく生まれることもあるがその条件はわからず、太陽の数が減ると球地全体の気温が下がるなど大きな影響があるので、いずれ球地は崩壊に向かうのではないかという人もいる。

実際、物語はひとつの集落(本作では聚落(じゅらく)と呼ばれる)が蝕によって崩壊する場面から幕をあける。他にも太陽はあるのでその聚落に住んでいた落人たちはみな別の聚落に散らばっていくのだが、移住した先で彼らは縁起が悪いとか蝕を防げなかったバカどもみたいな感じで激しい差別にあう。資源が乏しくやせ細っていく途上にあるので、足手まといに厳しい世界なのだが、そもそもひとびとは痛みに耐えて苦徳(くどく)を積むほど裁定主と呼ばれる神的な存在に認められ、太陽の衰えも食い止められるという宗教観を持っていて、積極的に苦しみを受けようとする文化的背景がある。そのため、鎮痛薬などを使うとバカにされたり批判されるのだ。

ただでさえ過酷なのに、文化がそれに拍車をかけている世界なのである(最初は苦痛を和らげる薬などなかったのでそれを受け入れるために産まれた宗教観なのではないかという可能性も示唆されるが)。

お仕事小説としての側面

太陽は時折痙攣するように揺れて光の塊をはじきだし、落人たちのエネルギー源となる「陽だまり」を飛ばすが、それを落人たちの中でも「陽採り手」と呼ばれる人たちが回収しエネルギー源にする──というように、落人たちはみな何らかの仕事についていて、それが各落人のアイデンティティと深く結びついている。月が太陽によってこないようにするなど様々な効果を持つ音楽を奏でる「奏で手」。落人たちの重要な食糧&資材である煩悩蟹を解体する「解き手」、薬を調合する「薬手」など──。

で、本作は二部構成で第一部は「解き手」のジラァンゼ、第二部は「奏で手」のヌフレツンが主人公になっているわけだが、どちらも職業的な探求、成長が一つのテーマになっている。たとえばジラァンゼがつく解き手は蟹を解体する職業と紹介したが、これは職人の世界だ。煩悩蟹は惨斬(ざんぎり)と呼ばれる鋭利な部分がついていたりと解き手の作業には危険が伴い、多くの作業者が指を落とす。煩悩蟹の構造も一匹ずつ異なり、機械的に解体することもできない。しかも、茹で上がったものを解体するので最初は熱くて触ることもできなくて──と、何もかも難しいところから少しずつうまくなっていく過程、職場での人間関係などが事細かく描きこまれていくのだ。

たとえば下記は、ジラァンゼが解体に挑むシーンであるが、描写の密度が高い。

 焦っちゃだめだ、と自分に言い聞かせながら、曖昧な窪みの感触を頼りに解虫串を滑らせる。ここだ、という直感に歯を噛み締めて解虫串を突き刺したが、あっさり狙いから逸れてしまう。まだ歯の生え方が不揃いで力が入りにくいのだ。いちからやり直してまた試すが、滑ってしまう。くそっ、とやけになって狙わずに突いたら手応えがあった。えっ? と疑いつつも、そのまま大きく三角を描くと、快活な音がして咬ませが外れたのがわかった。ほっと息を吐く。次の尾部でも、さっきの解虫串の動きを再現してみる。何度かすべったものの煩悩窪を捉え、咬ませを外すことができた。続けて左右の側面の咬ませも外すと、甲殻が上下に分かれる明確な感触が手に伝わった。p.123

ジラァンゼが自分より少し先輩とどちらが先に一人前になれるのかを競って争う過程。出産や子育てなどの変遷の中で、仕事にたいする距離感が変わっていくシーンなど、お仕事小説としてぐっとくるシーンがいくつもある。もちろん奏で手には奏で手の苦労と技術がある。この世界の奏で手は太陽や月の動きをコントロールする役割を担っていて、球地の危機に対抗しうる、重要な存在だ。だからこそ第二部「奏で手のヌフレツン」では凄まじい情景が展開するのだが──、そこの紹介はやめておこう。

人生と世界の探求

ここまで特に触れてこなかったが、落人たちの体とその性質は人間とは大きく異なっている。たとえばそもそもが単性生殖でひとりで妊娠し子どもを産むし、幼少期のうちは凄まじい再生力があり首が落ちなければ再生可能で、歯も何度も生え変わる(激痛が走る)。太陽を背負う聖人に選ばれたら(勝手に選ばれる)体はまるで太陽を支えるためかのように巨大化しものを喋ることも次第にできなくなる──と。

その身体の性質上、仕事に邁進するパートがあったかと思えば、ロマンスなど何もなく突然出産パートや子育てパートが始まる。再生力が高いとはいえ子どもは危険なことをするもので、命の危険にハラハラする日々。ジラァンゼは子どもには解き手についてもらいたいと願うが(ジラァンゼの一族は今の聚落に移民してきた落人の子孫なのでまだ差別が残っているが、解き手はその差別が少ない)、子どもは別の仕事を切望し──、と親子の葛藤が、この世界ならではの情感と筆致で描きこまれていく。

そうしたジラァンゼとヌフレツンの仕事、出産を伴う人生とともに描かれていくのが、この世界それ自体への探求だ。そもそも「太陽」と「月」とは何なのか? なぜ落人らは今のような存在となったのか? 世界が始まる前には何があったのか? この世界の歴史を語るを語るものも現れる──彼らの住む球地は無間地獄であり、彼らの現状がこれほど苦しいのは、何らかの刑罰に課されているからだなど──が、日々を生きるのに精一杯の世界であり、それが正しいのかどうか判断するのは難しい。

本作は最初はお仕事ものや子育てものとして牽引していくのだが、途中からは太陽が衰え、蝕が迫り、世界の崩壊が近づいていき、どうすれば球地を救えるのか? という大きなテーマが浮かび上がって物語は加速していく。煩悩蟹解体の空想的な描写には、異質な世界が立ち上がっていく感覚がしてゾクゾクさせられたものだが、その後にやってくる太陽と月がもたらす破壊とそれに抗う者たちの物語、その興奮と見たこともない情景と音楽はそれを遥かに超えるもので、読んでもらわねばわからない。

最初は造語だらけで読むのが大変なんだけど、途中から最初からその言葉を生まれた解きから全部知っていたかのようにスラスラと読めるようになるんだよね。

おわりに

こうした設定や紹介を読むとこれはほぼファンタジイなのでは? と思うかもしれないが、そのへんにもいろいろ仕掛けがあることが背景を読むことでわかってくるところもあるので(ぺらぺらぺらとその背景設定がすべてわかりやすい形で開示される作品ではないが)そのへんも含めて楽しんでもらいたいところだ。今年ベスト1といっていい長篇、年の瀬に読むのにぴったりである。