基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

時間から猫テーマまで中華SFの粋が集められた、今年ベスト級のSFアンソロジー──『宇宙の果ての本屋』

この『宇宙の果ての本屋』は、日本における中華SF翻訳・紹介の立役者立原透耶編集による中華SF傑作選になる。2020年にも同じ新紀元社から『時のきざはし』という中華SF傑作選が出ていて、本書はその続篇というか第二巻にあたる。

『時のきざはし』のレベルは高く、今なお中国の才能を知るためのSFアンソロジーとしてはトップクラスにおすすめしたいしたい傑作だが(文庫化してないから値段的にはあれだけど)、作品全体のレベルでいえば『宇宙の果ての本屋』に軍配があがる。それぐらい全15篇すべてのレベルが高く、時間や猫など様々なテーマ・題材がある中で、どれもが一生記憶に残るような鮮烈な印象を遺してくれる一冊だ。
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編者による序文によれば、前集は入門篇を意識し、こちらは少し進んでSF色が強目のものを多めにいれたつもりとのことだから、そのへんも関係しているのかもしれない。以下、特に記憶に残ったものを紹介していこう。

特に記憶に残ったものを中心に紹介していく──韓松「仏性」

最初に紹介したいのは韓松に「日本人に読んでもらいたい小説を教えてください」と聞いて返ってきた短篇「仏性」。タイトルの通りに仏教をテーマにした一篇。ある時、ヒトに造られたロボットが同胞が解体され死んでいくのを目にして苦悩し、無常を感じるようになり、ロボットの禅宗ブームが起こった状況を描き出していく。

ロボットなのだから感じ方も動作もプログラムされている。煩悩を断ち切りたいなら工場にいってプログラミングしてもらえばいいじゃないか、と当然のことをいっても、プログラムで煩悩を断ち切るのは表象にすぎず、鏡に映る花、水に映る月なのです──とロボットが語りだす。寺院の住職の方丈はそれを聞き驚くが、はたしてロボットに輪廻からの離脱は可能なのか。すべての生き物が生まれながらにもつ、仏となることのできる性質、仏性はロボットにも宿っているようにもみえるが、それは電子の運動過程にすぎないのではないか。一見バカバカしい導入・状況を設定しながら、真面目に仏教☓ロボットテーマを追求していく、韓松らしさに溢れた一篇だ。

宝樹「円環少女」

続く「円環少女」は長谷敏司の長篇作品──ではなく(長谷敏司には『円環少女』という傑作シリーズがある)、三体のスピンオフ長篇『三体X 観想之宙』などで知られる宝樹による、不思議な少女の一生を描いた一篇だ。少女は凌柔柔(リン・ロウロウ)といい、7歳の誕生日に書き始めた日記の体裁で物語が進行していく。母親は亡く、父親と仲睦まじく暮らす日々が綴られているが、次第に違和感がつのっていく。

たとえば、4〜5歳以降の写真は家にたくさんあるのに、それ以前の写真がないこと。新しくやってきた中学の先生が、凌柔柔にそっくりな友達が昔いたと話していたこと。大病をわずらってすぐによくなったのに学校にいかせてくれなくなったこと──。SF短篇集なのでそこには無論SF的な事象が関わってくるわけだが、予想は次々と外れ、ジャンル的にはSFホラーかと思いきや……と次々と作品のモードが切り替わっていく。宝樹の技巧がこれでもかというほど詰め込まれた作品で、大好き。

陸秋槎「杞憂」

日本の金沢在住の中国作家陸秋槎による新作「杞憂」は、20年もの歳月をかけて構築した兵法を他国に広めるために杞国(古代中国の殷代から戦国時代にかけて存在した国)から出国した渠丘考(きょきゅうこう)についての物語。彼は杞国を出る前は自信にあふれていたが、各国を渡り歩くうちに比べ物にならないほどの進歩を目の当たりにし、すっかり自信を消失していく様が描き出されていく。

たとえば斉の軍隊では約半分の兵士が木を彫ってできた人形で──と、この後も特殊な技術・兵器が続々と細かな部分までその理屈・原理が描きこまれていて、精緻なほら話の魅力に満ち溢れている。その驚きの過程が、鎖国をやめ他国の技術を吸収しはじめた日本人の感覚にも繋がるのも意図してか偶然なのかおもしろい。

王晋康「水星播種」

中国SF四大天王の一人といわれ、本邦でも多数の短篇が翻訳されている王晋康からは「水星播種」が収録。舞台は2032年、真っ当に仕事をしていた陳義哲(チュン・イージョー)のもとに、昔関わりのあった父の客人の女性から遺産相続人に指定されたという連絡が届く。その遺産とは科学者だった女性の生命についての研究に関わるもので、なんでもボトムアップ式に自らの体を構築し、増殖していくことができるSiSnNa(ケイ素・スズ・ナトリウム)生命体のテンプレートを作ったのだという。

それは人為的に造られたナノロボットでありながら生命の様式も備えた、複合的な存在だ。問題は、そうした新しい、自動的に増え、変化していく生命体を野放しにはできないことだ。遺産の相続にあたっての便箋には筆記体で『真の生命体は囲いの中では飼育できない、太陽系で養殖に最適な場所は──水星だ』(p181)と書かれており、新たな生命体のテンプレートに魅せられた陳義哲は、なんとかしてこいつを水星に連れていき、数千年、数万年をかけて繁殖させる計画を練ることになる。

資金はどうするのか、倫理的な議論、はたしてそこで生まれた生命は創造主たる地球人にたいして何を思うのか──本書随一の壮大なスケールを感じさせる一篇だ。僕はこの手の”ヒトが作り出した生命とヒトの関係”を描く作品が大好きなんだけど(たとえば『時の子供たち』とか)本作もその流れに連なる作品といえる。

程婧波「猫嫌いの小松さん」

程婧波「猫嫌いの小松さん」は、チュンマイを舞台にした猫SF。物語はチェンマイに語り手が引っ越してくる場面から幕をあけるが、近所に住んでいる日本人の小松さんは猫が嫌いなのだという。家の裏庭にある工具小屋には、うずたかく毒餌が積んであると噂される。人付き合いも苦手なようで、誰が話しかけても反応はあまりない。

それなのに語り手は蛇対策にうっかり猫を飼ってしまい──と、小松さんがなぜ猫嫌いと言われるのか、その謎に迫っていくことになる。SFで動物といえばなぜか猫の登場回数が多い。神林長平の作品にはやたらと猫が出てくるしレイ・ブラッドベリもフィリップ・K・ディックも猫好きだ。はたして猫が嫌いな人間なんているのだろうか? という疑問が、終盤に鮮やかに収束していく。日本人が出てくるからという理由もあるが、後半のとある理由から日本人は特に受け入れやすい一篇だと思う。

ちなみに、この”小松さん”の本名は小松実で、小松左京の本名である。

万象峰年「時の点灯人」

本書の中で個人的に一番好きだったのが時間SFの「時の点灯人」。著者の万象峰年はこれが日本初登場作となるらしい。物語の舞台は、突如として”時間”と”物理量”がはがれて、時間が宇宙から失われてしまった世界。時間が失われたら何が起こるのかといえば、何もかもが動かなくなる。そしたら物語もクソもないわけだが、事前にその未来を予測していた人類は、一つだけ”時間発生器”の試作機を作っていた。

時間発生器は万能の存在ではなく、その狭い周辺にしか時間を発生させない。つまり、時間を与えられるのは多くて数人程度である。時間の消失は突如として起こったのでこの試作機のデバッグをやっていた人間だけが時間を得て、提灯守としてこの時間発生器のコピーを作れる人物を求めてさまよい歩くことになる。もちろん時間発生器は複雑な機械なので、天才にひとり時間を与えたところでつくることはできない。近くにいないと時間が動かないので、全員に同時にやってもらうのも不可能だ。

しかも、たくさんの人間に接触すれば、時間発生器を奪われる可能性も高まる。では、時間を取り戻すためにどう動くべきか──? といった提灯守の思考錯誤もさることながら、最終的には極上のロマンス(時間SFとロマンスは最高に相性がいい)にも繋がっていき、とにかくすべてのレベルが高い大好きな作品だ。

おわりに

最後の二篇も素晴らしい。昼温「人生を盗んだ少女」は言語、脳科学、遺伝子など無数のテーマが混交した二人の女性の物語。人間の一生はあらかじめ遺伝子や環境にある程度縛られている。大人になってから言語をネイティブレベルで話すのは難しいし、資産のない過程で育つと文化資本が遅れてしまう。そうした縛られた自分の人生の葛藤に悩む二人の女性が、脳のミラーニューロンに関わるあらたな発見によって、その差を乗り越える方法を模索していく──美しく、同時に残酷でもある短篇だ。

最後に収録されているのは、表題作でもある江波「宇宙の果ての本屋」。現代よりもはるか未来、太陽の出力が落ち地球人類は太陽系を脱出しつつあり、知識なんかいくらでも脳にインストールできる時代にあくまでも紙の本から得る知識にこだわって、本屋を開いている頑固な人物についての物語だ。果たして、本屋はいつまで残ることができるのか? 太陽系の終わりまで? それとも銀河系の終わりまで? そして、その終焉の時に、本の冊数と重量はどれほどのものになっているのか? 読書の喜びに満ちたこのアンソロジーを締めくくるにふさわしい一篇であった。

紹介したい作品が多くてちと書きすぎてしまったが、それだけおもしろい本ということで。中華SFに興味があるかどうかに関わらず、SF好きなら満足できるはずだ。