基本読書

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気候変動から地球空洞説まで、巨大な「地球」をテーマにしたことで作家の味が色濃く滲み出た極上のSFアンソロジー──『地球へのSF』

この『地球へのSF』は、日本SF作家クラブ(SFやファンタジイに関係する人々が集まっている業界団体)編による書き下ろしアンソロジーの第四弾。第一弾は感染症をテーマにした『ポストコロナのSF』、第二弾は近未来テーマの『2084年のSF』。第三弾は『AIとSF』ときてこの第四弾のテーマは「地球」とかなり大きく出ている。

これまでのテーマがトピックスとしては絞られていた一方、本作は「地球」だけデデドン! と出ていてそれ以外の縛りがないので抽象的になりすぎやしないか、と読み始める前は心配していたが、これがおもしろい! 総勢22名の作家──小川一水もいれば新城カズマも、上田早夕里も円城塔もいる──が思い思いの方法でこの巨大な地球と四つにくみあって、みなが独自のやり方でこの地球を調理している。

多様なテーマ・描き方が揃ったアンソロジー

たとえば2024年に「地球」と「SF」と聞いて真っ先にサブテーマとして思いつくのは「気候変動」だろう。実際、本邦では本作以前にも海外からの翻訳でたくさんの気候変動関連SFが刊行されてきたし(今月ちょうど創元SF文庫から『シリコンバレーのドローン海賊』という人新世SF傑作選も出た)、もちろん本作にもたくさんの気候変動関連SF短篇が収録されている。しかし、その調理の仕方は様々だ。

気候変動の結果その数を減らした鮭とその密猟をテーマに描き出す作家もいれば(吉上亮「鮭はどこへ消えた?」)、ヒトクマのような動物たちとの境界が解き放たれた世界での結婚式を描く作家もいる(琴柱遥「フラワーガール北極へ行く」)。より壮大なスケールで地球の気候変動含む地球の危機に関する圧倒的な情景を描く作家もいれば(春暮康一「竜は災いに棲みつく」)、砂、砂漠に注目して取り上げる作家もいて(矢野アロウ「砂を渡る男」)──と、気候変動と一言でいっても描き方は多様である。

気候変動テーマ以外の形で地球を描き出している作家も大勢いて(円城塔の「独我地理学」はぱっと見地球とは異なる世界の話でありながら、シンプルにして美しく、近年の円城短篇ではもっとも好きな一篇)どれも違った形で楽しませてくれた。僕はこれまでのテーマアンソロジーはすべて読んでいるが、今回の第四弾がいちばんテーマとしてそそられたし、作品も粒ぞろいだ。もっとも、国外が舞台の物語が好きだとか、全地球規模の課題に取り組む物語が好きだという僕の好みの影響も大きいが。

というわけで、いくつか具体的に作品を紹介していこう。

新城カズマ「Rose Malade, Perle Malade」

トップバッターは新城カズマによる、紀元前140年前頃の中国・武帝の時代を舞台に、劉安と彼が編纂した著作『淮南子』*1をテーマにした「Rose Malade, Perle Malade」。劉安は自身の食客の一人から、『正しい統治は正しいおこないに基づき、正しいおこないは正しい智慧にもとづきます。即ちこの宇と宙』を知らねばなりません』と進言され、若年の新帝へと正しい統治、正しい秩序について書いた本をへと捧げるために、この大地と宇宙について調べ始める。

まずはこの大地の大きさと形を求める必要があり、夏至の日に陽光がそのそこまで達するという珍しい井戸や日蝕の観察を繰り返し、大地の大きさとそれが球体であること、月もまた球体であること、両者が太陽をめぐっていることなどを突き止めていく。その果てに彼らは天下は有限であり、どのような統治政策が今後の未来にとって最善なのかを数千年先まで見通してみせるのだが──と、ありえたかもしれない知性のきらめきを、見事に中国史SFとして(全然違和感ない)描き出した一篇だ。

関元聡「ワタリガラスの墓標」

続いて紹介したいのは、星新一賞受賞者の関元聡による気候変動とそれに伴った生態系の変化がテーマになった「ワタリガラスの墓標」。物語の舞台はおそらく100年ほど未来の南極の国連基地、そこで働くエンジニアの女性が語り手だ。

彼女の他には生物系研究者のリンがいるが、この二人の会話とその素性の開示から、未来がどのように変化したのかが断片的に明かされていく。南極の氷は100年前に比べて40%以上が融解し、荒れ地が出現。そこには草木も蝿始め、その葉を食む虫や動物、果てにはかつて赤道近くの温暖な海に生息していたが絶滅したとされるウミイグアナもいて──と、変質してしまった未来の生態系と、そこに人間はどのような介入ができるのか(はたまた、できないのか)といったテーマが描き出されていく。

地球の気温が変わると生物は住んでいた場所を追われるわけだが、彼らもただ消えるわけではない。新しい環境に移動し、あるいは身体が短期間に進化することで、適応する可能性もある。そうした自然生物の秩序が描き出される、雄大な一篇だ。

津久井五月「クレオータ 時間軸上に拡張された保存則」

SFコンテスト出身の津久井五月「クレオータ 時間軸上に拡張された保存則」は本アンソロジーの中では珍しいアイデア一本物の時間SF。2078年、世界人口は94億人になり気候変動も止まらない未来に、物理学者と気候学者のコンビが世界を救う一手を打つ。その一手で重要なのが、時間軸上に拡張された保存則(Conservation Law Extended Onto the Time Axis)で──と、これは本作の核心でもあるからネタはバラさないが、未来の気候変動危機と過去の気候変動危機がエレガントに接続されている。

春暮康一「竜は災いに棲みつく」

本書収録作で最も度肝を抜かれたのは、新人作家としては珍しいハードSFの書き手である春暮康一による「竜は災いに棲みつく」。宇宙に何らかの荷物を運ぶために出た人物の視点と、謎の生物の描写で交互に進行していく一篇で、とにかくこの謎の生物再度の描写が凄い。最初に描写される巨獣は、液相岩石の海を潜行し、音響ビームの咆哮を繰り出している。巨獣がいるのはどうもマグマの中か、その近くのようだ。

 腸管表面の多孔質柔毛は触媒活性を持ち、通り抜ける液体から揮発成分子を選択的にこそぎ取り、高密度に吸蔵した。その行動は摂食欲求を起源とし、事実この過程は正味として発熱反応だったが、巨獣の活動のエネルギー源とするにはささやかすぎたし、より大局的な視野で観れば吸熱的過程の一部だった。実際には巨獣の筋肉、神経系、そして脳を駆動するエネルギーは、巨体の全長が浸るマグマの局所的な温度勾配からもたらされた。p.373

この短篇は終始このレベルの情報密度で進行していくことになる。はたしてこの生物らはいったいなんなのか? そして、宇宙には何が運ばれているのか? まさに地球をまるごとテーマにした、凄まじいスケールのハードSFだ。

他、軽く触れておきたい作品。

22篇もあるせいで触れたい作品にまったく触れられてないからダイジェストで触れていこう。前回のSFコンテストで大賞を受賞した矢野アロウの短篇「砂を渡る男」は、みんなが生態系やら気候そのものをテーマにしている中で”砂”に注目した一篇。砂はそこらへんにありふれているようでコンクリートやモルタルの材料でもあり、土地の埋め立てにも使うしでとにかく重要な資源なのだが、本作はそこに注目して砂資源を売買する砂マフィアや砂が持つ神秘性、その力を見事にとらえている。

日高トモキチ「壺中天」は地球空洞説を未来に大真面目に検討してみた一篇で、バカバカしいのだが圧倒される理屈があっておもしろい。こういうのも(アンソロジーには)欲しいわな。ハリウッド版ゴジラも熱いし、地球空洞説がなぜかホットな時代である。空木春宵「バルトアンデルスの音楽」は地下深く(最初は地下15km地点)までマイクを下ろしてみたら、そこからは”地球の音”が聞こえてきて──と、人類がみな地球の音、その鼓動、ビートに影響を受け変化していく様が描かれていく。タイトルにも入っているように、音楽にどこまでできるかを問うような、壮大な音楽SFだ。

最後に収録されている円城塔「独我地理学」の舞台は魔術やら飛竜やらが存在するらしい、地球ではなさそうな世界。春になると大気をどこから来たのかもわからない蜘蛛の白い糸が飛び、哲学者のような二人(サザとスタン)は大地は平面なのか球体なのかと議論を深めていく──。はたして地面が平面だとして、どこまでも歩くことによってその事実を確かめられるのか。あるいは、高く登ることによって。議論すればするほど世界観は拡散し、与太話が増えていく。それでもなんとか最後まで行き着くと、蜘蛛の糸と世界は見事に絡みつき、ただの白い糸が持つ重要な意味が──その可能性が──明らかとなる。最後を締めくくるにふさわしい、美しい一篇だ。

おわりに

ベテランだけでなく新人作家の作品もどれもおもしろく、しかも個性的で、日本のSF作家の層も厚くなってきたな、と嬉しくなるようなアンソロジーだった。SF作家には兼業作家が多くそれぞれの専門がよく活きたのかなと思う作品も多い。たとえば「ワタリガラスの墓標」の関元聡は自然環境系のコンサルタントなのだという。

また、ハヤカワのアンソロジーだからSFコンテスト出身者が多いし、創元SF短編賞出身者も、ゲンロンSF新人賞も星新一賞出身者もおり、賞が長続きすることの意味を感じたな。特に何も賞をとってないがデビューし活躍してる勢(吉上亮とか)もいて、デビューの道が多様なのも良いことだ。『地球へのSF』の名にふさわしく、このまま世界に翻訳しても評価されるであろうと、そう思わせてくれる良アンソロジーだった。

いま活きの良い日本のSF作家を知りたいなら、一読をおすすめしたい一冊だ。

*1:『淮南子』は内二十一篇、外三十三篇の内容があったらしいが、伝わっているのは内二十一篇のみであり、本作ではこの失われた外篇の内容を空想している