基本読書

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精霊による魔法と科学が融合し発展した都市カイロを舞台に、伝説の魔術師との戦いを描く四冠達成のサイエンスファンタジー──『精霊を統べる者』

この『精霊を統べる者』は、ネビュラ賞、ローカス賞、イグナイト賞、コンプトン・クルック賞と4冠に輝いた、アメリカの作家P・ジェリ・クラークの第一長篇&サイエンス・ファンタジーだ。物語の時代はまだ人種差別も女性差別も色濃く残る20世紀初頭。魔法と科学が融合した都市カイロを舞台に、伝説の大魔術師を名乗る何者かによって引き起こされた、魔術世界を揺るがす大事件を描き出していく。

僕はもともとこうした「科学と魔法が融合」したような世界観が大好物だから読む前からそうとうに期待していたのだけど、これが高まったハードルをやすやすと超えていくような作品だ。良い点はいくつもあるが、なんといっても舞台をジンが存在することによってヨーロッパ列強と肩を並べるに至ったという架空のエジプトに設定しているのが良い。著者は現在コネチカット大学で歴史学の助教授を勤めているが*1、そうした専門性もあってか、エジプトの文化、周辺諸国との歴史を的確に物語りに絡めつつ、さらには衣服や食事、建造物といった部分の描写がしっかりとしていて、町並みや場面ごとに変わる服の描写を読んでいるだけでもかなりおもしろい。

まだ女性の社会進出が始まったばかりのこの20世紀初頭の世界で主役を張るのは、若くして圧倒的な実力を示し活躍する特別調査官の女性ファトマと、新しくその相棒になった女性ハディアで──と、女性同士の関係性&女性の権利、実力を社会に認めさせていく話でもある。格闘戦や白兵戦の書き込みも多く、相手がどのような魔法を用いているのかを探っていく過程には能力バトル的な要素もあり、ある集団殺人事件の犯人を追う過程はミステリー要素でもあり──と、とにかく無数の文脈・要素が交錯し、それが一切の破綻なくまとまっている長篇である。年間ベスト級の一冊であることは間違いないので、こういうのが好きな人にはぜひおすすめしたい。

あらすじ、世界観など

ここから先は、もう少し詳細に内容を紹介していこう。物語は先にも書いたようにジン(精霊)が普通に存在し、人々の社会で生息しているような社会。ジンとは具体的に何なのかと言えば、たとえば幻覚を得意とするものもいるし、FFなどでおなじみの火を扱うイフリートもいる。ジンは人間に混じって働き、価値観や考え方こそ異なるものの人間と同じように話をして、時には人間とつがうものさえもいるという。

しかし、そもそもなぜそんなジンが普通に存在する世界になったのかといえば、物語開始(20世紀初頭)から約40年前にその姿を消した、伝説の魔術師アル=ジャーヒズがこの現実世界からジンの棲む異世界に通じる穴をあけたからだ。そこから先、ジンの世界と人間の世界は混交し、人間は魔術を使い始め、世界は変質した。蒸気駆動宦官や自動馬車が生まれ世界は便利になったが、同時に魔術絡みの混乱も多い。

主人公のファトマは「錬金術・魔術・超自然的存在省」、略して魔術省に属するエージェントで、日々カイロを駆け回りながら魔術絡みの事件解決にあたっている人物だ。物語の冒頭、ファトマはある邸宅で多数の死傷者が出たので、超自然的要因の有無を確認せよとの指令を受け向かうのだが、そこにはなんと20体以上の死体、しかもすべて、服以外の身体のみが焼けていて──と、謎めいた事件に挑むことになる。

何しろ色んな魔法がある世界だから、何が行われたのかの特定はすぐには難しい。たとえば死霊魔術師も屍食鬼も存在するから、死霊魔術師が屍食鬼を作ろうとして失敗したのではないかとか。しかし、屍食鬼を作るために死体を燃やすことはない。はたして、なぜ20人以上もの人間が焼き殺されなければならなかったのか。また、殺したのは誰なのか──捜査が進むにつれ、捜査線上には40年前に失踪した伝説の魔術師アル=ジャーヒズを名乗る人物も現れるが、はたしてこれは本物なのか、本物だとして、その帰還の意図はなんなのか──が問われていくことになる。

女性同士のバディもの

本作のキャラクター面での魅力の第一は、女性同士のバディものという点にあるだろう。20世紀初頭、女性の権利はまだまだ制約されていて、ぶしつけな差別や言動にあうことも多い。ファトマも若くして登用されているがゆえに、いろいろな事件現場に顔を出すたびに戸惑いをうみ、壁にぶつかっていく。

エジプトは近代性を誇りとしている。女も教育を受け、急成長を遂げつつある工場で働いている。教師や弁護士になった女もいる。数ヶ月前には参政権まで手に入れた。いずれは行政官になるだろうともいわれている。それでもおおやけの場に女が出てくると、いまも多くの人がとまどいをおぼえる。彼女のような存在を前にすると、完全に意表をつかれて呆然としてしまう。(p.36)

ファトマはそうした事情もあり単独行動を好むが、この難事件の調査にあたって魔術省から新たな女性エージェントハディアがパートナーとして派遣されてくる。ファトマには単独で成果を出してきたという自負があるし、そもそも新たなパートナーの実力を疑っている部分もあり、なんとかして遠ざけようとする。しかしハディアも先発の女性エリートとして活躍しているファトマを好んでおり、彼女なりの覚悟を持ってこの地にやってきており──と、ぎくしゃくした関係からはじまった二人が、次第に本物のパートナーへと変質していく様をじっくりと本作は描き出している。

ファトマには実はシティという謎めいた経歴を持つ女性の恋人がいることから、ひょっとしてこれは三角関係になっちゃうんじゃ……みたいなロマンスの危うさを感じさせる面もあり、これがねー、良いんだな。それについては読んでのお楽しみだ。

そそる文化の描写の数々

キャラクターに続いてとにかく本書を読んでいて楽しいものにしているのは、随所に挟まれるこの世界ならではの文化の描写だ。たとえば下記は主人公ファトマの最初の登場シーンだが、いきなり香料入りの煙草のマーセルをふかしているのである。

 ファトマは水煙管をふかしながら身をのりだした。マーセルは、蜂蜜や糖蜜に浸したうえに、ハーブやナッツや果物の香りを加えた刺激的な煙草である。舌がむずむずするような、気分が悪くなりそうな、甘ったるい風味もある。魔法だ。うなじの細い毛がうずく。

これは魔法のマーセルで、ファトマの口から離れた煙はすぐには四散せず、水面を走る小型帆船の形をとり、観衆の度肝を抜く──というように、このように文化が魔法や錬金術と入り混じった、独特な光景を主軸にして物語は進行していく。

衣装の描写も細かく(『伝統的な衣装を選んだ者もいる。緑の長衣に、革命共和国の三色旗のようなスカーフを巻いたスーダン人苦行僧は、ひときわ人目をひいている』p218)、食事の描写もどれもうまそうだ(『酢漬けのタマネギといっしょに香料入りドレッシングにつけこんだ駱駝の生レバーに舌鼓を打っている。タウフィークは、ヌビア料理の栄養価の高さについて講釈している』p.404)。

おわりに

物語は中盤をすぎると世界の在り方に関わる魔法が出現したりしてそのスケールはより大規模になっていくので、お楽しみに。歴史など無数の文脈を埋め込んでいるので物語は重厚なのだが、一方で登場人物らは基本的にポジティブで明るく、読み心地は全体的にポップだ。本作はどうも他にも同世界観(《デッド・ジン・ユニバース》)で短篇や中篇が存在するようなので、いつか読んでみたいな。

*1:専門は大西洋における奴隷制、抵抗、自由の歴史などだという