- 作者: ソフィア・サマター,影山徹,市田泉
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2017/11/30
- メディア: 単行本
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物語の主な舞台となるのは複数の国々からなるオロンドリア帝国と、「紅茶諸島」と呼称される島々。語り手であるジェヴィックは紅茶諸島の中でも裕福な農園の跡継ぎ息子だ。紅茶諸島に住まう民が使う言語であるキデティ語は文字を持たないが、ジェヴィックはオロンドリア人の家庭教師に導かれ文字の──書物についての魅力を知り、父の死をきっかけとしてオロンドリアを訪れた後、書き記された〈文字〉の信仰者たちと、語り伝える〈声〉の信仰者たちの戦いに巻き込まれていくことになる。
語りと、言葉、書物を読むことと書くについての物語
本書はファンタジィに分類してもよいだろうが、わかりやすい形での魔法は出てこないし、ドラゴンなどがいるわけでもない。ジェヴィックが巻き込まれることになる二つの団体間での争いにしても、それ自体が物語のメインというわけでもなく、絵面としては凄く地味だ。何しろ語りと、言葉。そして書物を読むことと書くことについての物語なのだから。だが、本に耽溺してきた人間が読むとその破壊力は絶大だ。何しろ、本書の中で最初に出てくる"魔法"とは、書かれた文字そのものなのだから。
先生は手のひらをこちらへ向けて両手を上げ、そっと前に出して、怒っていないと伝えた。それから辛抱強く屈み込んだ。「シ」と言いながら、ペンでページの上の最初のしるしを示す。次いでペンを二つ目のしるしに移し、はっきりと言った。「エ」先生がわたしの名前をくり返しながら、すべてのしるしを数回ずつ示したとき、ようやくわたしは衝撃とともに理解した。目の前で魔法が行われているのだと。このしるしは数字などではなく、ティオムの単弦の竪琴のように話すことができるのだ。その竪琴は人間の声を真似することができ、"風の味"と呼ばれている。
オロンドリアからやってきた師からこうして書物の魅力を教えられたジェヴィックは、書き文字のない紅茶諸島にいるためにオロンドリアへの憧憬を募らせるが、チャンスはすぐにやってくる。商人である父親が亡くなり、自身がオロンドリアへと赴くチャンスを得るのだ。その道中の船の中で、彼は不治の病であるキトナ患者の少女ジサヴェトと出会い、書物と言葉についての会話を交わす。『「言葉なんて息みたいなものじゃない」』『「違う」わたしは身を乗り出した。シャツの背中が汗で皮膚に張りついている。「それは違うよ。言葉はすべてなんだ。すべてになり得るんだ。」』
わたしは本の背を握って差し出した。「言葉がこの中で生きている。オロンドリアの言葉が。この本の中には、千年前に生きていた人たちの詩が収められているんだ! 記憶にはそんなことはできない──数世代のあいだ、いくつかの詩を残しておけるだけだ。永遠にとどめておくことはできない。本と同じことはできない」
〈文字〉と〈声〉
その後オロンドリアにたどり着いたジェヴィックは、そこで過ごすうちにジサヴェトの幽霊/幻想と頻繁に遭遇するようになるが、それが波乱の幕開けであった。何しろ死者の声を聞くことを罪とし、書かれた文字こそが真実だとする〈石〉の教団と、死者の魂を天使と呼び、文字ではなく〈声〉を信仰し、ジサヴェトを交霊者、聖人として崇めたてまつるアヴァレイ教団の戦いに巻き込まれていくことになるのだから。
果たして真実は書き言葉と話し言葉、どちらに宿るのか──!? そして最初は幽霊をひたすら拒絶していたジェヴィックだが、彼女にひたすら自分についての本を書いて欲しいと訴えられる。『あたしにヴァロンを書いて。あたしの声をその中に入れて。あたしを生かして』これは言ってみれば、死者の世界と生者の世界の狭間での交流の物語であり、それはそのまま、「書物が読まれること」についての物語なのだ。
凄まじい描写の魔力
とまあそんな感じの本作だけど、とにかく僕が心奪われたのは一つ一つの描写そのもの。街の、国の、部屋の描写のすべてが素晴らしく、なんでもないシーンであっても強く心奪われる。先生とジェヴィックの別れのシーン、ジェヴィックがはじめてオロンドリアの街を訪れ、紅茶諸島には存在しない本屋に入った時の途方もない興奮。架空の言語の豊かなディティール、何よりも本を"書く"ことの描写──。
だから来い、わたしにキエムのことを歌え、川のことを語れ。きみの思い出をわたしのペンに注ぎ込め。きみのアナドネデト、きみの人生、きみの死の物語を語れ。今なお死にかけており、いまだ死んではいない者のように。神々に愛され、島でゆっくりと死んでいく者のためにわたしたちが行うことを、きみのために行わせてくれ。火明かりの中できみの敷布団の傍らに座り、きみが語りがっている物語に耳を傾けさせてくれ。長い歳月の果てに、最初からずっと死の物語であったとわかる生命の物語に。人がいかに生き、生き続けるのか、ハゲワシの、ネデトの、灰の女神のまなざしを浴びて、いかに死を迎えるのか──その物語に。
おわりに
久しぶりにただただ描写に(もちろんそれは優れた物語あってこそのものだが)耽溺できた物語であった。幻想文学/ファンタジィ好きにはもちろん、何よりも書物を愛してやまない人たちにオススメしたいこの一冊。本邦初紹介となる著者なので、ソフィア・サマターという名前は覚えておかないと損だ。