基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

砂漠 伊坂幸太郎

不覚にも泣いた・・・。なんだこれ・・・。

自分の中では、そんなに伊坂幸太郎読んでいるわけではないから、かなり不定だけど、一番良かったかな・・・・。


あらすじ

「大学の一年間なんてあっという間だ」
入学、一人暮らし、新しい友人、麻雀、合コン・・・・・。
学生生活を楽しむ五人の大学生が、
社会という”砂漠”に囲まれた”オアシス”で
超能力に遭遇し、不遇な犯罪者に翻弄され、
まばたきする間に過ぎゆく日々を送っていく。

感想 ネタバレ無

いつも思うんだが、あらすじって壮絶なネタバレだよなぁと思う。何で誰も文句言わないんだろう?まぁこの感想 ネタバレ無ってのも大概だけど・・・。ネタバレしまくりというような感じですよ。

まぁ、どうでもいいけど。 これもいつも思うけど、帯って凄い邪魔だよ・・・。

せっかくの表紙がわけわからん紹介文のために隠れちゃってるじゃないか。アホか。

と、全く本を関係無いことを書いてみる。

本の感想を書こう。
こんな大学生活を、すごせたら良かった・・・。 と初めて思った。 どんな物を読んでも、見ても、自分の過ごした日常が最適の物だと信じてきた自分にとって衝撃だったかもしれん。

もちろん、フィクションであるから可能な話ではある。 こんな話が現実には無いこともわかる。 でもそれでも、この五人の中に混ざりたいという気持ちは抑えられない。

傑作だよ。伊坂幸太郎の長編をいくつか読んでわかったのは、俺が伊坂幸太郎のいつものパターン。最後の最後で今までの伏線がスパっと回収されていくのを読むときに必ず泣くという事だ。

多分声には出してないけれど、心の中でウギャーヤラレターと言っていると思う。(自分が)

それぐらい見事にやってくれる。本当に、大学の一年間なんてあっという間だ。 気付いたら一年たっている。楽しい時間はあっという間理論が適用されているんだろうか。 楽しくない大学生活を送っている人は大学の一年間も長く感じるのだろうか。本当に、過ぎるのもあっという間だし、読むのもあっという間だった。


ネタバレ有

南さんかわいすぎる。 南さんかわいすぎて、主人公と南さんがくっつけばいいのにとずっと思っていた・・・。 鳥井なんかにゃ勿体無い・・・事も無いけど。

そして主人公は一人さっさと、鳩麦さんとくっついてしまうし、なんだそれはこの野郎。 青春小説なのに、一人称の語り部が真っ先に、何の恋愛描写もなしに、くっついてしまうとは何事だ!

南さん超能力も使えるし、無敵じゃないか。果たして、超能力は萌えポイントとなるのか否か。 さっぱりわからない。 メイドとかと同列に扱っていいものなのだろうか。好きな萌えポイントはメイドです。 好きな萌えポイントは超能力です。 とかいってもわけがわからないな。 やっぱり無しですね。

南さんがドつぼすぎて他はどうでもいいのかと思いきや、他のキャラもみんな平等に好きだった。 うれしい。

西嶋も好きです。
世界平和を願って、麻雀でピンフを狙い続けたりする西嶋がすきなんだ・・・。

「アメリカがまた、石油の国を攻撃するじゃないですか。表向きは、テロリストの撲滅とか、世界平和の実現とか言ってるけど、ようするに、利権が欲しいとしか思えないですよ。なのに、俺たち日本の若者は、関心を持たなくてね、というよりも、他人事で、傍観者ですよ。俺の人生に関係ねえし、なんて思っていて、それが納得いかないんですよ。だから、せめて俺くらいはね、世界のことを考えて、平和を築きたいじゃないですか。こうやって俺が、この、学生には贅沢すぎるマンション一室で」


伊坂幸太郎作品によく出てくる、こういう明らかに無駄な事でも、やり続けてればいつか何かが起こるんじゃないかという考え方が好きだ。

笑ったシーン

一人で学食で昼食を終えた僕は、掲示板に張られた「休講」の文字を見て、またか、と思った。民事訴訟法はついこの間も休講だったし、わざわざやってきた僕の苦労をどうしてくれる、と思わず、教授を訴えたい気持ちになる。ただ、民事訴訟法の専門家相手に闘えるわけもない。


たくさん、こういったウィットに富んだジョーク(意味をわかって使っているわけではない。ウィットって、何? ただ、なんとなくここで使うのは正しい気がしたから使った。ウィット)が作品にあるのだが、その中でも特に気に入ったものだった。
確かに、民事訴訟法の専門家相手に闘えるわけもない。 不真面目な大学生だった自分は、休講を見ると歓喜し、遊びに出かけたものだが。

しかし、西嶋はいいなぁ。 現実に居たら困るけどな・・・。
西嶋が言っていた、この理論が気に入った。 もっとも長いから勝手に短縮させよう。

もし、あなたが医者だとして、抗生物質を持っていたとして、何故か唐突に過去にタイムスリップして、あなたの目の前にその抗生物質を呑めば助かる人間が居たとしたら、ここでこの時代に存在しない抗生物質を投与したら、歴史が変わってしまうとかそんな事考えずに、救っちゃえばいいじゃないですか。という話だ。

歴史なんて糞食らえですよ
目の前の機器を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ。

そうだ、そうだ!救っちゃえばいいじゃないか。歴史が変わったって、しらんがな。 もう一個同じようなので、全くもって同感だと思ったものがあった。

「たとえば、手負いの鹿が目の前にいるとしますよね。脚折れてるんですよ。で、腹を空かせたチーターが現れますよね。教われそうですよね。実際、この間観たテレビ番組でやってましたけどね、その時にその場にいた女性アナウンサーが、涙を浮かべてこう言ったんですよ。『これが野生の厳しさですね。助けたいけれど、それは野生のルールを破ることになっちゃいますから』なんてね」

「助けりゃいいんですよ、そんなの。何様ですか、野生の何を知ってるんですか。言い訳ですよ言い訳。自分が襲われたら、拳銃使ってでも、チーターを殺すくせに、鹿は見殺しですよ」

俺がいつも思ってたことを、直接言ってくれた感じだ。スカっとした、という表現が一番近いかもしれない。 同じ事を考えている、同志を見つけた、という感覚でもある。 こんな事、普通現実で人に話したりしないから、同志を見つけるのは、小説の中でしかない。 あるいは、小説を通して、伊坂幸太郎の中に同志を見出しているのかもしれない。 が、それは間違いだろう。作者と、作品は別物だ。


南が、超能力で重いものを動かすのは、無理みたいと言っているけど、それはそれで面白い話だな、と思った。超能力っていうぐらいだから、そういうのは関係ないのかと思っていた。 関係あるのは、重力と同じように、物体の面積だけじゃないかと勝手に想像していたのだ。

超能力のイメージにもよるかな、と思う。 物体を超能力で持ち上げる時に、その物体の下に超能力で使った手のようなものが出現して、それで持ち上げるといったイメージをもっていたら(要はスタンドか?)、物体の重さも重要になるように感じるかもしれない。

反対に、何も出てこないで、物体そのものを持ち上げるというようにイメージしていたら、あまり重さは関係ないのではないかと考えていたのだ。

ああ、わかりにくいな。別にどうでもいいことだし。

名セリフ。

「タクシーの運転手は、結構、ノリのいいおじさんで、前の車を追ってくれって言ったら、『いつかこういう日が来ると思ってた』と目を輝かせて、張り切ってくれて」


タクシーの運転手格好よすぎるだろ・・・。いつかこういう日が来ると思ってたって・・・。俺もタクシー運転手だったらそりゃ心待ちにするだろうけど、あいにく俺はタクシー運転手ではない。

「思い出は作るものじゃなくて、勝手に、なるものなんだよ。いつの間にか気づいたら思い出になってる、そういうものだよ」

「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係の贅沢である」


どっちも、いいセリフだ。