やばいやばい。 もう読んでから一週間以上たってる。 読んでからすぐに感想を書かないってのが一番いけない事だよ。 読んだ時の感想なんて、一瞬のものであって、読むタイミングとか全てが重なってその感想になったというのに、その時に書かなかったら何の意味もなくなってしまうわけで。
大体、人の感想なんてのも当てにならないよね。 読んだその時その瞬間に感じたことなのに。 多分自分が読んだ感想でも、違うタイミングで読んだら全く同意できないと思う事もあるかもしれない。
だけど、一応自分のために一週間たった化石化した記録をつけよう。
化石化って、どっちから読んでも化石化だな(漢字限定) いいねぇ。Kasekikaローマ字にしても無理だ。
あらすじ
美形の男、春と細胞の会社で働くその兄。 人を結ぶのは、DNAかそれとも絆か。超絶特大スペクタクル!(投げた!)
感想 ネタバレ無
そういえば、伊坂幸太郎の作品は微妙にクロスオーバーしているな。 この本には、オーデュポンの祈りに出てきた主人公が出てくるし、この本の春についても、伊坂幸太郎の短編集、死神の精度に出てくる。特に意味のある行動をとっていくわけではないけれど、うれしくもないし、別にいらだたしくもないな。
こうして、伊坂幸太郎の長編はほとんど読んだわけだが、驚かされるのは伏線を張り巡らして、それを回収していく手並みというべきものか。
特に伏線に詳しいわけではなくて、むしろ伏線って何?というぐらいの知識しかないけれど、恐らく伏線を張る、回収する。 という行為はそれほど難しい事ではないと思う。 もちろんやったことないからしらないけど。
伊坂幸太郎でハっとさせられるところは、それを絶妙のタイミングで仕掛けてくるところか。 最後の最後、いいところで、期待通りの展開を持ってきてくれるといっていいかもしれない。
また、主人公が細胞会社に勤めている事もあって、主にDNAとか、血の繋がりであるとか、そういう方面の話だったな。これでもかっていうほど、爽快に話にケリをつけてくれた。
ネタバレ有
この家族いいなぁーと思う。 家族というものがあるとしたら、その理想形態を取っているとしか思えない。 いつも、出てくるキャラの事が気に入るのだが、恐らくそれはどのキャラも、『覚悟』を明確に示しているからだと思う。
たとえ人を殺すとしても、それなりの覚悟を持って実行しているのだと実感できる。
春はごうかんされた女に産み落とされるわけだが、家族全員がそれを受け入れている。『覚悟』ですね。
産むべきか、おろすべきかなんていうのは、本当にあれだよね、川で恋人と母親が溺れています、あなたはそのどちらか一方しか助けられません さて、どうしますか? というような選択肢と一緒だよ。
産んでも後悔するかもしれないし、おろしても後悔するんだよね、その逆もまたしかり、適当に決めてしまえばいいんだよ。 悩んで悩んで出した結論じゃないと納得できないなら悩めばいいし、別に悩まないで決断できるなら、サイコロでもなんでもふって決めりゃいいんだよ。
こういう、どうしても答えの出ない問いかけっていうのは、意外と多そうです。
本文に、本当に深刻な事は陽気に伝えるべきなんだよ、という台詞があるが、まあこれも色んなところで言われてる事ではある。 ついでにいうなら、それは小説の中でも同じだと思う。 変に気取って今から名言を言うぞ言うぞ、と盛り上げて行くのも状況次第では、鳥肌ものになるときもあるが文中でさらっと大事な事が書いてあったりするほうが、自分はいいと思う。
笑った所。
「子供の頃、春のことを『金魚のフン』と呼ぶと異様に怒ったよ」
「呼び捨てだからだよ。『フンを馬鹿にするな』と怒ってたんだ。『金魚のフンさん』と呼んでやれば怒らなかったんだよ」
そんなわけないだろうが・・・!
ほーなるほどーと感心したところ。
『造形芸術は進化しない』
「十年前に比べてパソコンも電話も遥かに便利になった。進化したと言ってもいい。でも、百年前の芸術に比べて、今の芸術が素晴らしくなってるかと言えば、そうじゃない。科学みたいに業績を積み上げて行くのとは違ってさ、芸術はそのたびに全力疾走をしなくてはいけないんだ」
確かに、芸術は進化しないなぁー。 何百年も前の、ホモ・サピエンスと今の芸術家は、同じぐらいの想像力を働かせて、同じ技術を使って芸術を作っているという事ですか。
マジで鳥肌がたった場面。 春がごうかんして逃げた、一応DNA上の父親を殺すシーン。
───父親を殺すのか、お前。
さらにこう言った。
───知らねえなら、教えてやるけど、俺のおかげでおまえは今ここにいるんだよ。違うかよ?
まさにそれは、私がいつも夢でうなされる命題と同じだった。母を取るのか、春を取るのか。
───俺があの女をやらなければ、お前は生まれてないんだよ。分かってんのかよ。俺はおまえの父親ってわけだ。血が繋がってるんだよ。父親を殺してどうしようっていうんだ。
───俺の父親は今、病院で癌と戦っているあの人だよ。
─── それはお前を育てただけだろうが? 血も繋がっちゃいないっての。おまえの本当の父親は俺だよ。父親を殺すのは、生き物として許されるのか? しかも、俺は虐待をする親父ってわけでもない。無害な父親を殺して見ろ、おまえのこの後の人生はぐちゃぐちゃだぞ。後味が悪くて、まともに生きられるわけがねえんだ。生き物ってのは、そういうふうにできてんだよ。
葛城の顔にはきっと知的な色すら浮かんでいただろう。学術的には誤っていても、父親としては正しい理屈だったかもしれない。
春の答えは簡単だった。最初に少しだけ息を吐いた。微笑んだのかもしれない。それからこう言った。
───赤の他人が父親面するんじゃねえよ。
ごん。
これの素晴らしいところは、物語の最初の方で、テレビに映っていた春と同じような境遇(とはいえないけれどそういうことにしておく)の女の子のセリフがあって、映えてくるところである。
そのテレビに出てきた女の子は、血の繋がった父親と会って、その次に会った、今まで育ててくれた父親に、赤の他人が父親面するんじゃねえよ といったのだった。 春は、それがトラウマになっていた。
赤の他人が父親面するんじゃねえよ のところで、ここでそれを使ってくるかぁぁぁぁと言う感じだった。
「俺はずっと覚悟を決めてきていたんだ。倒産からあの男のことを知らされてから、十年以上、俺はずっとあいつを殺すことを考えていた。十年も言い聞かせてきたんだ。それこそ、毎日だよ。だから、さすがに慌てない。心も揺れない。人を殺したって言うのに、ちっとも文学的じゃない」
武士は、朝起きた時に自分がもっとも残酷な死に方で死ぬところをイメージする。という話をどこかで聞いたことがある。 毎日毎日、残酷な死に方で死ぬ自分を想像していると、いざ死を賭けた本気の殺し合いが起こっても慌てたりしなくなるそうだ。 これもそれと同じ事だろうと思う。 毎日毎日殺す事を考えていたから、何の動揺も起こさないのだ。
ここいらで終わりにしようか。 もっと感動的なシーン。 春と育ててくれた父親の遺伝子の関係無い絆を披露するところがあるが、まぁそこはいいだろう。 結果は、万事解決ということだ。