基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

明日泥棒/小松左京

あらすじ
世界から音が消える。その時世界はどうなってしまうのか。

感想 ネタバレ無

予想外の展開に陥る事筒井康隆のごとく。と思ったがこれはこれで、小松左京節か。正直いって、ドストライクすぎてピンが100本ぐらい同時に倒れたような衝撃。

そして、ラスト。こういう終わり方はほとんどの作品では、あまり胸糞のいいものではないのだが(使い方おかしいっす!)この作品においては、なるほど、これがやりたかったのですな、はははとオープンマイマインド、超許容の体制でありますゆえ。

崩壊した文体が自分の地でありますゆえこれでいくでありおり侍り。

と思ったけどどう考えても、この作品に影響を受けまくっているだけです。読んだ人は、大阪人と少しの間話したあとのように、あれ・・・・!?俺の言語に大阪弁混じってね・・・!?という現象が今の自分にはおこっているのです。

特異でインパクトの強いものは意図しない感染を人に移すのであります。

それだけゴエモンという存在のインパクトが強かったので候。

前半部から後半部にかけて、どこでこうなってしまったのか?というぐらいの展開の推移であるが、その主人公はいわんが、世間一般の社会に毒を吐きながらも普通に生活している、普通人、一サラリーマンであるわけで、その重要な理由が最後につながってくるわけで。読んでいる最中不思議でありました、何故こんな特に特徴のないやつが主人公なのだろうと、まぁそれは読んでいけばわかるの。

ネタバレ有


ありおり侍り?ふむ、音が無くなる、というのは全く考えた事が無かったな。そんな事になったら読書熱が沸騰してしまいそうだ。
テレビがなくなるかもしれぬね、ラヂオなんか完全に沈黙だし、パチンコ屋もゲーセンもうるさくないね。ただ、やはり本編に書いてあるとおり、情報伝達の速度が物凄い勢いで落ちるというのは、やはり見過ごせない問題か。さらに音によって伝えるというのは、3次元生物が2,5次元生物に落ちてしまうぐらいの重大な損失だろう。考えによっては音というのも一つの「空間」であるゆえ。

最後、火薬その他のたぐいのものが完全に使えなくなるが、昔それと似たような小説を読んだ事がある。千里眼のなんとかというタイトルだったように記憶しているが、あれは衛星兵器によって、地球上の人間の殺意に反応してレーザーを一個人に発射して、殺意を持った人間をこの世から末梢するという、物凄い恐ろしい超絶兵器だったが、火薬その他が使えなくなるというのはまだかわいいものであるに違いない。

だが、それによって死者数がどうなるか、というのはちょっとわからないところでもあるな。実際の戦争では、思ったより人が死なない、というのを戦争もののノンフィクションで読んだ事がある。訓練しないことには、人に向かって銃を心理的に撃つ事が出来ないというのだ。もちろんアメリカなどの先進国ではそういった心のたがをはずすような訓練もするようなのだが、これが鈍器などで戦わないといけないとなると、はてさてどうなるかな?

銃でそういう人殺しからの逃避、が出来るのは狙っていても狙っていなくても、他人にはわからない、という事からだろうが鈍器で殴り合うとなるとわざとあてないとなると、その間自分は相手に狙われてしまうわけだから、もちろん相手もはずしたいと思っていても、両者とも、相手は自分を殺そうとしていると思い込んでいる以上、やらねばやられる、と自己を正当化して、やっちまうだろう。

しかし大量殺人兵器である、水爆と核が使えなくなるというのならば、断然そちらのほうがいいのだろう。戦場が今までよりよっぽどグロものになるとしても、自然に対してはそっちのほうがいいだろうし。水爆なんて理論上いくらでも爆発力のあるものにできるのだから、ないにこしたことはない。

そもそも水爆も核兵器のうちのひとつなのだが、まぁスルー

まぁでも核がなくなってしまったらゴジラも生まれないんですが、って不謹慎ですなまったく。

文明の発達した現代において、弓矢と斧で戦うとしたら、戦う人たちはまじめでも傍からみたら、あいつらはいったい何を遊んでいるんだ?という気分にはなるであろうな。
そういうシュールさを作品内で存分に行くまで感じた。

文明批判として、まず核が出てくるのは、実際に核が日本に落とされた世代である小松左京としては当然であるが、果たして現在の作家の中で核を落とされた世代なんていうものは、もうほとんど残っていないという事実に気がつくと、少し愕然とする次第である。(もちろん自分だって経験していない)こうして核の生の恐怖というのは忘れられていくのかと、思うと小学校の頃先生がよくいっていた、核の体験者の話を聞きなさい、語り継がれていかないといけない事もある 話が急に実感をもって感じられてくるから不思議である。他人に言われても全く実感というのはわからないものであるが、自分でそこにたどり着くというただそれだけで危機感というのは全く違ってくる。

意識は蒸発する・・・ではないが、こうして核としての恐怖心も蒸発していくのはしょうがない事なのだろうとは思うが・・・。

武器が使えなくなったことで、各地の民族紛争で、火力によって大国に抑えつけられていた民族が一斉に武装蜂起した、という事を書いた場面があるが、その数ある民族紛争の中でチベットの一斉蜂起が書かれている事が、今現在チベット問題が激化している現在、妙にリアリティのある事実として受け入れられるのである。

話は変わるが、まさか音が消える──という一つの面白話を使ったパニックSFかと思いきや、途中からそれを兵器に利用するちう話になって、最終的に国防をアメリカにほとんど任せきりにしているのはバカだろ?今こそアメリカから独立すべきだ!という痛烈な日本外交への批判と、いきすぎた科学は自己を滅ぼすという科学批判とも文明批判ともいえぬものになっていくというのは、まったく予想外であった。

 もし君に──ぼくと同じような、一介の若いサラリーマンである君に、全世界の未来がゆだねられたとしたら、君はいったいどうするか?──君の判断、君の一言が、世界史の運命を、大きくかえるとしたら・・・・・・。

つまるところ、本当にいいたかったのはこういうことだったのだろう。日本という国を支えている若いサラリーマンを平均的な人間として、世界の運命を決める決定権をまかされたら君はどうするのだ?と。読者に問いかけているのだ。

だから主人公は何の変哲もないサラリーマンであったのだ。

「土地たがやして、食うて寝て、産児制限やって──この星にしがみついてのんびりとやっとりゃ、のんびり生きてけるがな。宇宙になんかとび打算でも、どうちゅうことおまへんが。超音速でとんだり、高速道路走らんでも、馬にのっでポクポクいきはったら、細う長う生きてけるやないか。あんたらに、明日をどうこうちゅうのは、ゼイタクやで。──もうちょっと、オトナになるか、それとも、あんたらよりもっとオトナの種族が出てきたら、その時はまた、明日をかえしてあげてもよろしいがな」

この部分には恐れ入る。地球温暖化やなんやかや言うけれども、実際それを制御できるほどの実力を備えていない。能力がない。技術力がまだ足りない。地球をどうにかできるほどに、まだ進化しているわけではないのに、出来ない事を、なんとかしろと叫んでいるだけで何の解決にもならない。地球温暖化だって、最近CO2のせいじゃない!という意味の話がたくさん出てきたじゃないか。1500万年周期の気候変動のせいだ!とか1万年前にも同様の気候変動が見られた!とか。

ほとんどの人は木が二酸化炭素を全部吸い取っていると思っているかもしれないが、今この地球にあるCO2を吸い取っているのは海だ。木は、成長するときにCO2を排出するので、最終的にCO2を吸い込んだとしてもプラスマイナス0ではないかという話もある。



「自分で自分の明日を泥棒してるのは、かえって人間自身やないか──ほな、行きまっさ。さいなら」

古代エジプト文明では、明日出来る事を今日やるというのは、罪になるという。つまり時間の先取りは罪になるのだ。
何が言いたいのかというと、科学の先取りをしてしまったのだ。身分不相応の兵器を手に入れて、それを平和利用に使う前にそんなものを手に入れてはいけなかったと。それを手に入れていいのは、戦争根絶が完了した後でなくてはならぬ。

まぁ、てにいれちまったもんはしょうがないわな。あれば、撃ってみたくなるさ。だって、気になるもんな。クローンだって、作れる作れるいってるけど、倫理的に出来ないとかいってるけど、もう作っちゃってるやつだっていそうなもんだけどね。だって、気になるじゃない。できる出来るいってるけど、ほんとにできんのかな?やってみよう、っていう気になるじゃない。

火器と石油が使えなくなった状況を目の前にして、お前の言うとおりに解除するのもいいし、解除しなくてもいいと言われた時の状況

 ぼくは、脂汗を流しながら、立ちすくんでいた。──ぼくの一言が・・・・・・・イエスかノーかの一言が──これから先の''人類の明日を大きくかえてしまうのだ。
「さあよ」ゴエモンはいった。「早よ言わっせい──どっちにしやす?」
──ぼくは、まだつったったまま、汗を流し続けていた。
もし君だったら──どう答えるか?


ここで、本書は終わる。さて、どうこたえようか?これに答えたら、やっと読了、という事になる。
そうだな、火器はともかくとして、石油が使えないのは困るな。車がなくなったら、いったいどうすればいいのやら。だいたい、日本はほとんどを他国からの輸入で頼っているのだ、船も飛行機もこれないとなったら、日本は終わりだ。

日本のためを思うのならば、当然解除してもらわないと困る。ただ、地球全体で考えた時、文明を揺り戻すのは当然、良い方向につながるだろう。ある意味、自分本位で考えるか、もっと大きなもののために考えるか、の問題でもあると、いえるのではないだろうか。

だが、ここはやはり解除すべきだろう。地球のためだといっても、まだ死にたくない。現状維持だ。そう簡単に変わる事は選択できない。しかも悪い方向に行くと分かっているのに、そちらにむけて変わる事は出来ない。

これにて読了。明日泥棒/小松左京