基本読書

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決断力/羽生善治

あらすじ
決断力

感想 ネタバレ有

聖の青春を読んでいてもたってもいられなくなり、決断力を読んでみる。

読んでいる最中は面白くて、久しぶりに集中して本を読んだ。といっても羽生程の集中力があるはずもなく、まわりの音が聞こえなくなるほど集中して本を読むことなど出来ないのだが。訓練すれば出来るようになるというものでもないのだろうか。

だが擬似的にそういう状態に持っていくためによく、風呂に入り耳までお湯につけて本を読む。そうするとまわりの音が聞こえない状態になって集中出来る。

そうでもしないと集中して本が読めない。やたら本の中で、加藤一二三を絶賛していたが、そんなに凄かったのか・・・いや、もちろん凄い事は知っていたのだがそれにしても奇行ばかり目についてその実力というかそういったものを知らなかったなぁ。

相当面白かった。なんというか、本で読んだ事を書いているというか、人の話を流用しているという感じが全くしない。全部自分がその棋士としての人生の中で、「経験」としてたくわえてきた中から、感じ取ってきたことなのだろうと思う。なにしろ内容がなんというかあやふやで、自分でも説明出来ない事を必死に文章にしようとしている印象を受けた。ただの直感だが。だが羽生善治によると直感の7割は正しいらしいし、って同じ土俵で語っても仕方がないことだが。

加藤一二三は直観の95は正しいといっていたが加藤一二三のいうことなので全く信用できない。

面白かったので友人に
「そういえば決断力って本を読んでさ」
「あ、俺もそれ読んだ」
「あれ最高に面白い!」「あれ最高につまらなかったな」
「・・・・」「・・・・」

確かに言っている事は当たり前というかなんというか、下手したらつまらないといわれてもしょうがない事なのかもしれないと冷静になって考えたみたがやっぱり面白いものは面白い。というか、羽生善治の事を神格視しすぎて本の内容を全肯定しかねない勢いなので、あくまで冷静な読み方をしたか、というと全く自信がないのだが。

羽生善治は凄い人だ!→書く本が面白くないはずがない!→面白い!の単純な構造になっている可能性も否定できない。だがやっぱり面白いな。

何が面白いって、将棋界最強と言われている人間が、いったいどういう決断のプロセスを持って将棋をさしているのかっていうのがまず面白いし、というか書く事一つ一つが格好いい。

また、自分で考えて自分で出した結論というか、理論みたいなものを惜しげもなく書いてくれているのがいい。本で読んだ知識などではなく、自分自身で気づいたことというのが、その出来事を理解する時に一番の近道なのだという事がよく分かる。

例えば本などで、成程確かにそう思う、というような真理や名言などを読んだとしても、それを自分で、自分の経験から導き出した人と、ただ読んだ人の間には多大な壁がある。羽生善治が、自分の経験から導き出した結論がたくさん入っている。

よくよく内容を吟味してみると、もしくは吟味するまでもなく、当たり前の事を言っているだけなのだ。それをああ、当たり前の事を言っているな、といってスルーしてしまうと全く楽しめないと思う。何が楽しめるのかというと、その当たり前の結論に行きつくまでの「過程」だと思う。それがここにはある。

棋士で驚くのは、若い頃から恐ろしいほどブレていない。早くから勝負の世界に入ることで、普通よりも早く大人になっているのだろうか。


 将棋は自分との孤独な戦いである。追い込まれた状況からいかに抜け出すか。
 追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということもわかった。逆にいうと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。


追い詰められた経験をしなければダメだということも「わかった」
やはり全てを経験から導き出していると感じる。そうでなかったら、断定口調で追い詰められた経験をしなければダメだ。で終わるのではないか。

いまだ自分はその意味はわからない。本当に追い詰められた事がないから。追い詰められるという事はどういうことなのだろうか。仕事がなくなったら?金がなくなったら?周りの人がみんないなくなってしまったら? ただ、将棋の世界なら単純にそれは追い詰められた状況というのは想像しやすいように思う。


 現状に満足してしまうと、進歩はない。
 物事を進めようとする時に、「まだその時期じゃない」「環境が整っていない」とリスクばかりを強調する人がいるが、環境が整っていない事は、逆説的にいえば非常にいい環境だといえる。リスクを強調すると、新しい事に挑戦することに尻込みをしてしまう。リスクの大きさはその価値を表しているのだと思えば、それだけやりがいが大きい。


 積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。


現状に満足してしまうと、進歩はないというのは全くその通りで、自分の仕事に誇りを持つのはいいが、それで完璧だ、と思ってしまうのはほとんど死んだのと同じ事だ。物事は基本的に劣化していくのだから、それを維持するためには必然的に進歩し続けなければならない。 ただ環境が整っていない事は非常にいい環境だといえるというのには、全面的に同意は出来ない気がする。根が臆病者だからだろうか。そんなにリスクの高いものに挑戦する気がおきないのは。恐らく決断力という意味では自分はかなり低いだろうなとこれを読んでいて思った。リスクばかり気になって先に進むことができない。

話はそれるが今の将棋は、本当に昔とは全く別物になってしまったな。そして古い世代の棋士が勝つためにも、今流のやり方を取り入れなければいけない。ってことは今も闘っている50代ぐらいの棋士は、みんな昔のやり方を捨てて今風にやり方に変えたのだろう。良く簡単に今までのやり方を捨てられたという感想。ただ良く考えたら、やり方を変えられた人間だけが残り、変えられなかった大多数の人間はやめていったのかもしれない。人数の把握なんてしているはずもないから、どれぐらいの人間がやめたのかはわからないが、それにしても今残っている人間は、みんな変えたのだ、というのは凄いことに感じる。


 基本は、自分の力で一から考え、自分で結論を出す。それが必要不可欠であり、前に進力もそこからしか生まれないと、私は考えている。


本ばっかり読んで他人の意見をさも自分が考えたかのように言っている自分には全く頭が痛い話だ。確かにいざというときに、というのもせっぱつまった時に出てくるのは本で語られている内容などではなく、本質的な自分の言葉だけだ。それは常日頃から考えていないと、出せない。