基本読書

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餓狼伝1 虚空死闘記/夢枕獏

あらすじ
ひたすら格闘。

感想 ネタバレ無

非常にシンプルな話である。男が強さとは何なのかと考えながら敵と戦い続ける話である。内容なんてほとんど無いと言っていい。闘いの描写と、そこに至る過程が繰り返し繰り返し描写され続けるだけだ。非常にシンプルである。

闘いを手段として使う小説は多々あれどただ単に戦いたいがために闘う、という話は確かに読んだ事が無かった。それにしてもこれが書かれていた当時、まだ夢枕獏は新人と書かれていたのだ。時の流れを感じさせる物の、文章に劣化した印象はない。

本当に内容が無いと言ってもいいので正直書かなくてもいいぐらいなのだが、それでも面白かった、ならば書かないわけにはいくまい。せめてどこがどう面白かったかぐらいは書かなくては、忘れてしまっては何の意味もない。

シンプルな話だからこそ深いともいえる。考えてみれば世の中単純なものほど複雑だということが多々ある。考えてみれば結構あるはず。考えるのがめんどうくさいので一個も具体例を挙げる事は出来ない。ただなんとなくそんな感じはする。

あぁ、そういえばサザエさんとか、ちびまる子ちゃんアンパンマン、ドラエもんなどの国民的アニメでいいか。あれも、シンプルながら深い、といえないだろうか。だからこそ、あれだけ長く続いているともいえる。変に方向性が定まっていないからこそどこにでもいける。餓狼伝でいえば単純に強い敵と戦う、というか相手と闘う、というそれだけを求めているのだから、闘い続けれいれば多分サザエさん並に続く事が出来るはずなのである。その証拠に一巻の時点で、三巻で完結といっているのに、実際に2008年現在すでに10巻を超える巻数を出している。終わる気配がない。いや、ひょっとしたら終わっているのかもしれないが、新・餓狼伝などというものを出しているから違うのだろう。いやひょっとしたらこの新・餓狼伝がただの新装版という可能性もなきにしもあらずなのだが。

面白い点の一つとして、描写が物凄く想像しやすいのだ。格闘といってまず一番に思い浮かぶ問題点が、描写がわかりやすいか否かだった。わかりにくい描写、想像しにくい描写で延々と格闘描写を書かれても困るのである。その点驚くほど想像しやすい。何の苦労もなく研ぎたての包丁で大根を切るみたいにスラっと頭の中に切り込んでくる。関節技までもがわかりやすく書かれているというのは凄い事だ。関節技というのは現実に見ているとあまりに地味で、プライドなどを見ていても、正直素人目にはあまり面白くない(あくまで個人的に)だがそれが小説や漫画になると魅力的な動作に見える。エアマスターの関節技はどれをとっても面白いし、何しろ自分、エアマスターの中で一番好きなキャラクターは関節技使いの小西なのだ。関節技が面白いのはこの小説の中でも同じだ。何故だろうか。純粋に痛みとか、どれだけきいているのか、というのがわかりやすいからではないだろうか。描写すればいいだけなのだから。テレビでみているだけだと関節技が決まっているのか決まっていないのか、今は痛いのか痛くないのか見ているだけじゃわからないというところはあると思う。

過去に板垣版餓狼伝は読んでいたのだが、内容をほとんど覚えていない。というか、つい最近まで餓狼伝は板垣氏が原作だと思っていたぐらいだ。

それから面白いのは、この時点ですでに異種格闘技という視点で書き始めていた点である。確かこのころはまだ、一般的に異種格闘技という目線では格闘技は行われていなかったのではないかと思う。最近になってプライドやK-1の人気の甲斐もあって、異種格闘技が盛り上がってきた、喧嘩商売なんていうまさに現代版餓狼伝みたいなものもはじまっているし。はじまっているっていうか結構前からだが、それにプライドもK-1も、もうかなり下火に入っている感がある。プライドがテレビ放映されていた頃はまだ話題だったように思うのだが

ネタバレ有

丹波いったいどうやって金稼いでるんだ? まさかスリじゃあるまい。しかしいい感じにエロとバイオレンスである。このまま何も変わらずに延々と続けばいいのに、と思わせるような心地よい文章である。

せめてグレート巽松尾象山と闘う場面ぐらいまでは読もう。

プロレスは実際には強いんだよ! という主張が強い。最近になってはもうプロレスが実際に強いとか弱いとかいう以前に、プロレスなんて一回も見た事が無い、という人の方が多くなってきたように思う。まだこのころは、プロレスにもまだ注目は残っていて、それでこその強い弱い論争があったのじゃないかと勝手に想像している。強い弱い論争さえなくなってしまった今のプロレスは本当に存在が怪しい。

こうして考えてみると弱いと言われようがまだ注目されているうちはよかったなぁという感じである。誰からもわすられてしまったら弱いとか強いとかも何もなくなってしまう。まるで死んでしまったかのようにプロレスは消えていくのだろうか。ワンピースのドクターヒルルクの言葉が思い出される。人は──いつ死ぬと思う? 人に忘れられた時さ! プロレスはいつ死ぬと思う? ひとに忘れられた時さ! ふむ。

まだ本当に書き始められたばかりだからかもしれないが、格闘描写は新・餓狼伝の方が面白かったように思う。新・餓狼伝もほんの20ページほど読んだに過ぎないのだがそれでもわかるぐらいには進歩しているという事か。あるいはいつもの思い違いかもしれない。

梶原と丹波の戦いは尋常じゃないな。風景はほっとんどイメージできないのだが二人の立会だけは明確にイメージできる。もはやアニメ化不要というレベルである。プロレスバカにしちゃあかんなぁ。はっとするような文章でもないのだが、それでも確実に読ませる文章である。