基本読書

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殺戮にいたる病/我孫子武丸

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

 ああ、それに、わたしの考えるところでは、あらゆるもののうち最もおそるべきこの病と悲惨をさらにおそるべきものたらしめる表現は、それが隠されているということである。それは単に、この病にかかっているものが病を隠そうと思うことができるし、また事実隠すこともできるとか、この病はだれひとり、だれひとり発見するものがないようなふうに、ひそかに人間のうちに住むことができるとか、ということではない。そうでなくて、この病がそれにかかっている当人自身でさえ知らないようなふうに人間のうちに隠れていることができる、ということなのである。  
                        ──セーレン・キルケゴール

 傑作だなぁ。サイコ・キラーを捜査する側の視点、サイコキラー本人の視点、さらにサイコキラーの家族の視点からそれぞれ書いていて、そのどれもが違った楽しみ方を提示してくれる。捜査する側の視点はもちろん従来の探偵小説のように足を使い、情報を集めていくオーソドックスなもので普通に面白いし家族の視点では東野圭吾の手紙でも書かれていたような、加害者側の家族は、身内に犯罪者が出た場合どんな心理状態におちいって、世間からの非難に対してどれほどのプレッシャーを感じるのかなどの細かい心理描写が魅せる。サイコキラー本人の視点はいかにして殺すかかという要素を与えてくれる。すべてが高水準でトリックはその中でも異彩を放っている。叙述トリックという情報を知っていた事と、この系統の叙述トリックを何作か読んでいたのでなんとなくはわかっていたが。

 加害者の家族側の視点、モンスターペアレントのようなねじ曲がった母親。誰が読んでも嫌悪感を抱くようなキャラクターだが、そのキャラクターが信じている息子が実は犯罪者だと読者は知っているわけだからざまあみろという感情でもってスカっとするのかもしれない。わざと嫌なキャラクターを配置してそいつがひどい状況になるように物語が展開していくのはありがちでしらけてしまうことがあるけれど、この場合は息子の異常性と母親が嫌な奴ということに関連性があるのでより説得力がある。また最近フロイトを読んだばかりだったので特に印象に残ったのだが、フロイト理論との関連付が面白い。死体性愛をタナトス・コンプレックス(人は誰しも死を願っているというのはフロイトの理論だけれど、それが行きついた先が死体を愛する、死体と一緒にいたいという死体性愛になったという)

 いやあしかしこれは本当に凄い。笠井さんの解説が初めて読む気になれた。どうせまたわけのわからん理論を長々と展開し続けるのだろうと思ったら、まっとうな解説だった。ひょっとしたら他の本に書いている解説もまっとうなのかもしれないが、理解できないので不明。しかしフロイトかー。キャラクターがエディプスコンプレックスをビンビンに発揮していて、これぐらいやってもらったらフロイトも嬉しいだろうなって言うレベル。いつか読み返したいなあ。それにしても最初に引用したキルケゴールの文はなんか錯乱したようなとりとめのない文章で書くのが大変だったな。