- 作者: 押井守
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2006/03/04
- メディア: 単行本
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「自分にとっての”戦いに勝つ”ということの本質、それを理解することが一番大事なんだよ。じゃないとその場限りの勝った負けたで一喜一憂して、世間的な価値の尺度に振り回されて、消耗するだけです、永遠に。それは自分にとっての本当の勝利、本当の成功からは遠くなるだけです。逆にそういう、”勝敗論”が自分の中に確立されていれば、世間様や自分の奥さんが何と言おうと、自分自身の勝負は出来ます。」
この部分に尽きるのである。たとえば野球の試合なんかをみて一試合一試合勝ったー負けたーなんて言っているやつは勝敗論というやつが全くわかっていないということになる。監督の狙いがここは負けても得る得るものがあれば勝利ならばいいのである。映画監督にしたって同じ事で、普通ならば興行的に成功したかどうかが問題になるとみんなおもっている。興行的に成功したかどうか? というのは実はプロデューサーにとっては勝敗条件たり得るけれども、中で働いている人たち一人一人の勝利条件はもちろん違う。能力を認められたら勝ちだったり、自分の仕事を完璧にこなしたら勝ちだったり、監督にしても当たらないとしてもこれをやるんだ! というテーマをやり通せば勝利となる。これがほとんどどのテーマにも面白いほど当てはまる。たとえばニートの話題になった時も、ニートが自分自身でニートで居られる状況を勝ちと設定しているのなら何の問題もないじゃないか、むしろうらやましいぐらいだという話をしている。サッカーでも同じことだ、といってFWの釜本の言葉を押井守も語っていた。
自分が活躍しないで勝ってもうれしくない、自分が活躍して負けてもそれは仕方がない、自分が活躍して勝つのが理想だって。でも自分が活躍して負けた試合と活躍できなくて勝った試合とどっちが自分にとって意味があるかって言ったら、それは活躍試合ですと。TVではっきり言ってたからね。
こうして釜本を持ち上げる一方で柳沢のことをめたくそに非難していた。非常に面白い。↑の釜本の話も、FWはエゴイストでなければならないという意味での発言で取り上げている。映画監督も同様というようなことも言っていたな。小説家も性格の悪いやつばっかりという話はよく聞くところだし、やはり勝つためにはエゴイズムに徹しなければならないのだろう。チームのために、とか言っているようじゃ全然ダメで、俺が俺が、という人間だからこそやっていけるのだろう。この勝敗論が繰り返し言っている事は、他人の勝敗論に惑わされずに自分自身の勝敗論を持てということなのだ。それが何よりも重要で、また難しいことなのだろう。
そもそも勝敗を純然たる娯楽として考えられるのはある種の人間だけで、バクチなんて時間の無駄だと思っているお利口は大勢いるわけ。彼らにとっての勝負というのは実人生のことなんだけど、でも僕にいわせりゃそういう人間は実人生の勝敗に必ず負ける。自分自身がいわばその勝負に張る元手になって、自分の人生を張りこんでるんだよ。そういう勝負に余裕があるわけないじゃん。
ドラクエのカジノについて語っている時の話である。何もバクチに限った話ではなくて、ゲームなんて時間の無駄だと思っているお利口に変えても何の違和感もなく通じる話である。問題なのは余裕なのである。