- 作者: 谷沢永一,渡部昇一
- 出版社/メーカー: 致知出版社
- 発売日: 2002/01
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
三国志は面白い。人間一人一人がとても生き生きとしていて、出てくるキャラクターは個性に富んでいる。いわゆる『キャラ萌え』なんといってもそれが三国志の最大の魅力であろう。そしてその魅力を牽引するのが三国のそれぞれの将、劉備曹操孫権の三人である。どいつもこいつも強烈な個性を放ち、彼らが命をかけて散っていく様を見て僕らは感激し、時に策謀に陥るのを見て憤慨し、興奮するのである。三国志には全てが詰まっていると、今でも色々な三国志モノを読むたびに思う。面白さは当然キャラ萌えだけにとどまらなく、読むたびに思い入れのあるキャラクターが変わっていくのも特徴的だ。たとえば自分の初三国志といえば、吉川栄治三国志である。司馬遼太郎にハマりきっていた小学生時代に手を伸ばしたはずである。当時は何も考えずにただ孔明かっこいい! 張飛かっこいい! 関羽かっこいい! おのれぇー! 曹操・・・! と単純娯楽スペクタクルとして読んでいたのだが、最近になってまた別の三国志に触れるとこの認識はかなり改められることになる。まず小学生の頃一番好きだった孔明。こいつがとにかく負ける。小学生の時は単純に演出やら風評やらに騙されて、凄いやつだ! なにがなんだかわからんがとにかく凄いやつだ! とうのみにしていたのだがこいつは負ける。それもこいつ自身のミスによってである。吉川栄治三国志などでは、孔明は凄い! ダメなのは孔明の指示に従えなかった部下どもだ! という書き方をされているが、出来ないことを部下にやらせる時点で孔明に将としての才能がないのが大きくなってから三国志を読むとわかるのである。
それと同時に変わってくるのは劉備軍の印象である。関羽と張飛と劉備、三人の桃園の誓いが有名で、この三人は最後まで物語の中で光り輝いている。だがこれが劉備軍最大の美点でもあり、欠点でもある。どれだけ有能な才能が集まってきても関羽と張飛の二人を超えていく事は不可能だ。情に流され、男を見せるのは読者としては心地よく、ついつい感情移入したくなってしまう。なぜなら我々は常にそうやって生きていきたいものであり、人に良く思われたいという思いが尽きないからである。だが実際問題戦いにおいて情に流されるという事は死を意味して、「泣いて馬謖を斬る」などといった名言を生み出す孔明でさえも情に動かされている。その反面曹操軍といえば完全実力主義であって、ころころと内部の勢力が入れ替わり立ち替わりしていく。曹操事態、悪の化身かのように表現されているがその実、成果主義の権化という見方もできるのである。この二人の対立だけでもう面白いのだが、なんだかパっとしない孫権もいたりして、物語は複雑にからみあっていく。何回も三国志を読むたびに孔明のダメさがわかってきて、曹操の圧倒的カリスマにひれ伏していく。有名な曹操のセリフがある。
「われ人に背くとも、人のわれ負くことなからしめん」
要するに俺は裏切ったり卑怯なことするけど、お前らが俺のことを裏切ったら殺すよ? という非情なるジャイアニズムなのだがそれを裏打ちしているのは圧倒的なまでの実力なのだ。力があって、発言を裏付けできるのならばそれは正義なのである。まあこんなこといっていたら本当の意味での仲間なんて作れそうにないのだが、それでも曹操の大ファンであるキョチョがいたりでなんとも恵まれている。ジャイアニズムははたしてどこまで有効なのかどうか検証してみるのもまた面白いかもしれない。時間がないのでまたあとで追記するかも。