- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/05/29
- メディア: 単行本
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エピグラフ
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる
力の入り具合は一番では?
どこから、というか何から書いていいのか分からないけれども、力の入り具合でいったら、今までの村上春樹作品の中ではピカイチではなかろうか。短編も含めて村上春樹の作品は9割近く読破しているはずだが、その多くは中学生あるいは高校生のころに読んだので内容の把握は全く充分ではない。しかしその上で力の入り具合はピカイチといった根拠としては、主人公の二人が村上春樹の直接的な投影であることがまず一つ。この二人は視点を1章ごとに交換しながら全48章の物語を作り上げている。一人は村上春樹自身の作家性を投影したような男性で、もう一人は村上春樹の身体を使う面を投影したような女性。その直接さがまず意外であったし、今まで語られていない、父との対決が語られているところ。そして村上春樹にしては珍しい三人称で語られていることも、その根拠の一つである。自分の中でこの作品がどの位置に来るのかはよくわからない。これほどまでに熱中して読んだのは、初めてかもしれない。そして読み終わった時に感じた充足感はとても多かったが、今のところ余韻がどの程度続くのかまだわからない。
村上春樹作品を読むと安心するのは
作中に重要なキイとして、『シンフォニエッタ』という曲が繰り返しかかることになる。それと同時に日本では『シンフォニエッタ』のCDが凄い勢いで売れているそうだ。ニコニコ動画で検索してもYOUTUBEで検索しても出てくるので、興味がある人は聞いてみるといいと思う。この物語はエピグラフにもあるように、物語と現実をテーマの一つとしている。物語が現実に干渉するケースが、『シンフォニエッタ』が売れるという現象でよくわかる。けいおんを見て楽器が売れるのと同じように、物語は現実に干渉することができる。
村上春樹作品を読むと安心するのは、その没入度が他の作品とは段違いだからだ。読んでいる間は自分の場合、本当に現実にいるという感覚を忘れかけることができる。それは物語の構築密度が高いこともあるし、文章に無駄がなく、他のことを考えている余裕がないということもある。また安心する理由の一つとしてそこに書かれている登場人物とか物事のあり方というのは現状の自己の肯定につながって、だからこそ安心するのだと思う。春樹作品の主人公たちはみな孤独で、クールで、喪失感を抱えている。彼らはそれなりに満足した日常を送っているが、決してリア充ではない。たとえば耳をすませばやら時をかける少女、あるいはペルソナ4のリア充っぷりを観た後に、冗談だか本気だかわからないが現状の自分と比較して『死にたい』という人たちは、村上春樹を読んでも同じ事は絶対に言わないだろう。主人公たちは常に運命に従うように粛々と行動し、その結果物事は進展していき、物事に翻弄されていく。それは現実にはあり得ないどころかよーく考えてみると非常に気持ちが悪い、気色が悪いことなのであるが、そこまでは考えない。また内田樹氏は自身のブログで、
現代中国で村上春樹は圧倒的な人気を誇っているが、それを「現代中国の若者の孤独感や喪失感と共鳴するから」というふうに説明するのは、ほんとうは本末転倒なのである。
そうではなくて、現代中国の読者たちは、村上春樹を読むことで、彼らの固有の「孤独感や喪失感」を作り出したのである。
「それまで名前がなかった経験」が物語を読んだことを通じて名前を獲得したのではない。
物語を読んだことを通じて、「『それまで名前がなかった経験』が私にはあった」という記憶そのものが作り上げられたのである。1Q84読書中(内田樹の研究室)
と書いているがまさにその通りだと思う。彼の小説を読んで、自分の中のもやもやした物に、名前が付けられたような気がしているだけで、実際にはそれは作り上げられただけなのだ。それは記憶を改変して、無かったことをあったことにしてしまう。それが物語の力なのだと、そう書いている。物語は単なる逃避の手段、現実から逃げるためのものだけではなくて、ちゃんとこうやって現実を改変し、CDを買いに行かせ、とにかく人間を変えている。
今までとちょっと違う
BOOK1の途中までは、自分も凄まじい違和感を覚えていた。とにかくセリフ回しがいつものようではない。まるで伊坂幸太郎か? とでもいうかのように映画的で、これは不思議の国のアリスか? とでもいうような、ファンタジックさ、文章、展開の違和感があった。また描写は過多といってもいいぐらい長々とされている。とても不思議だ。そしてその部分に関して言えば、安心とは程遠かった。
物語の中にはエホバの商人としか思えない宗教団体が出てきたり、オウム真理教を彷彿とさせ、さらにはNHKの受信料取り立てにまで触れられている。よりエンターテイメントに近くなったと言えるかもしれない。今までの作品がアニメだったとしたらそれが実写になった、というような違和感。だがそれも本書の中では効果的に機能していただろう。明らかにそこだけ違和感を感じさせるように書いており、そしてそれには必ず意図があるのだ。
ネタバレ有 雑感