基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

クリスタルの反乱―グイン・サーガ(13)

ナリス教徒たち

 醜い表紙だった12巻から一転、表紙がエロく、ナリスさまが格好良すぎるグイン・サーガ13巻へ。ナリス様はタイミングが良すぎて、ここぞという時に現れる特殊能力を持っているかのようだ。これはパロの民がナリスに熱中する理由もわかろうというものである。とにかく今のところ欠点が見当たらない。しかも、『死んだと思っていたら民のピンチに復活した』何を言っているのかわからねーとおもうが以下略。これ、読者からすればナリス様ほんと意地きたねーなーという感想しか持たないのだが、実際に民の視点から見るとイエス・キリストより偉大に見えるんじゃないの?

 民1「あぁっ・・・こんな時にナリス様がいてくれたら…」
 民2「本当にな…クソッなんでナリス様はやられてしまったんだ…」
 ナリス「民のピンチに駆けつける! 計算づくしのスーパーヒーロー! ナリス様が死の淵からおでましだぁ!」
 愚民「うおおおおおお! ナリスさまああああああ!」
 民2349「ナリス様が来てくれたぞ! 死んだかとおもったのはブラフだったんだな!」
 民2203「はあ? お前何言ってんだよ、ナリス様のことだから一回死んで生き返ったに決まってんだろ常識的に考えて…」
 民2349「なにそれこわい」

 なんというか、大勢の人間が一人を崇拝する、あるいはたった一つのやり方を崇拝するっていうことに、ほとんど生理的な嫌悪感を感じてしまうのです。たとえばそれが恵まれない子供たちに衣服を分け与えるために募金を募る、みたいな一見慈善事業で人々に称賛されるような行為であったとしても、国のためなら死ねる、みたいな自己犠牲的な美しい精神であろうと、『みんなが一丸となって』みたいな思想が大嫌いなんですな。イジメと合唱祭がほとんど同列のもののようにさえ感じ取れます。グイン・サーガでいえば、ナリスは確かに凄いかっこいいけどパロの内部にナリス肯定派しかいないのが凄く気持ち悪い。

 それはそれとして、今回もイシュトヴァーン、グインなどは全く書かれずにずっとパロのターン。リギアは市民の暴動にもぐりこみ、市民を扇動し、ナリスはかっちょよく登場しカースロンはそう悪いやつじゃないのに無残にも殺されてしまうのであります。これは割と呆気ない上に、ナリスに利用されて殺されてしまうのは読者からすれば最初から予定調和のうちなのだけれどもうーん…そこはかとなく悲しい。リギアも言っていたけれど、カースロンは本当にそんなに悪い奴じゃないんですよね。凄く小物っぽく書かれていたけれど、逆にそこが愛すべき点であったと死んでしまった後思います。本当に一生懸命自分の幸せのために頑張ってたんですけどね。