基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ぼくたちの洗脳社会

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

 これは預言書だ。1995年に書かれたにも関わらず、現代の混乱を的確に捉えている。『自由経済競争』が終わり、『自由洗脳競争』が始まる。そう著者が考えた通りになっているではないか。政治家は有名人立候補者が多くなり、日本のアニメ文化が海外を洗脳し、政治家は「誰がなっても同じ」状態になり、テレビ、マスコミは衰退し個人がコンテンツになる時代がきている。それらを総括している自由洗脳競争が何なのかは後述しよう。自分も今だからこそ読んで、肌で実感し、驚愕出来ているがこれを発売された時に読んでも理解できるとは思えない。パラダイムシフト、価値観が変わる瞬間はそのうずの中にいる人間にはよくわからないものである。大抵、変わりきった後にそうだったのか! と気がつき、そして誰もが、『だから最初から言っていただろうが!』といってホラを吹き出すのである。だが岡田斗司夫は本物だ。

第一章「パラダイム・シフトの時代」
* 百年前の未来
* 西暦二〇〇一年のオフィス
* 技術の進歩は社会常識を変える
* 「科学は死んだ」
* トフラーの予言
* 堺屋の反論
* 経済的視点の限界
* パラダイム・シフト
* 若者の価値観を見る
* オカルト
* コンピューターネットの中のオカルティスト
* 隠れたベストセラー「トンデモ本
* 我々の内なるオカルト
* 最も大事なもの「今の自分の気持ち」
* もう「豊かになることによる幸福」が信じられない
* 正しい未来
* 科学主義者
* 再び「科学は死んだ」
* 価値観変化の中心
* 何が科学を殺したのか?
* マスメディアの親殺し
* 理系離れの「エコロジー問題」
* 社会自身の「理系離れ」
* では経済は死んでないのか?
* 経済が輝いていた時代
* 『洗脳社会』
第二章「マルチメディア中世」
* 消えた古代都市
* パラダイム・シフトの時代
* 人間のやさしい情知
* 農業以前の精神文明
* 農業革命と社会変化
* 封建社会の価値観
* 引き返せない楔
* 古代科学帝国の限界
* 「モノ不足、時間余り」の中世
* 高度抽象文明
* 産業革命前夜の風景
* 「科学」はキリスト教から生まれた
* 中世社会の崩壊
* 民主主義・経済を生む「科学」
* 近代のパラダイム
* 近代人の生き甲斐
* 「国民教育」の正体
* 近代人の苦悩
* マルチメディア中世
* 人類の「悩み相談所」
* 新しいパラダイム
* 「資源不足・情報余り」の時代
* 唯一無二の自分
* 求められる「生涯教育産業」
第三章「洗脳社会とは何か」
* 油まみれの海鳥
* 「洗脳」とは何か?
* マスメディアの洗脳
* 「高度情報社会」の正体
* ポスト軍事力としての洗脳
* メディアの本質
* 「報道主義」というイデオロギー
* 兵器としての映画
* 「自由洗脳競争社会」
* 経済から洗脳へのバトンタッチ
* 独占されていた「洗脳装置」
* 市民に開放された「洗脳」
* 実例1・「パソコン通信の世界」
* 実例2・「コミックマーケット
* 洗脳社会の勝者
* 「洗脳力」のある企業
* 架空企業「S.D.L」
* 未来企業を左右する「イメージキャピタル」
* イメージキャピタルに恵まれたSONY、APPLE
* イメージキャピタルの投資と回収
* 洗脳社会での消費行動
* 望まれる企業像
* 洗脳社会での政治
* 有名人であるデメリット
* 「政治の意味」の減少
* 洗脳国境
第四章「価値観を選択する社会」
* 洗脳社会のキーワード
* 人を「中身で判断する」とは
* 価値観で判断される個人
* 価値観共有グループ
* ネチケット
* 2次文化集団
* 価値観並立の訓練
* 非就職型社会
* TPOで使い分ける価値観
* 分割される個人
* 洗脳社会での「自分」
* 狂っている「パパラギ」
* 「近代的自我」という呪縛からの解放
* 「自分の気持ち」至上主義
* 求められる「洗脳商品」
* 洗脳消費者たち
* 「結婚」の解体
* 「家族」の解体
* 自由の代償
第五章「新世界への勇気」
* 今、起きつつある「変化」
* 失楽園
* 新世界への勇気
 あとがき  ──僕たちの洗脳社会-目次より

 この詳細な目次を読めば大体中に何が書いてあるのかわかろうというものですが少々解説を。未来へ進歩して、科学が発展した後どうなるか、そう言った問題に対して生活がよくなるだろうとか、車は空を飛ぶだろうとか、それだけを考えるのは片手落ちだといえます。何故かといえば技術の進歩とは、社会常識を変えるからです。たとえば近頃の若い者は…という常套句がありますが、近頃の若い者は…といっている人たちと対比して、若者の社会常識が変わっているというただそれだけのことです。それがいいとか悪いとかはまた全く別物ないのです。

 たとえば今は若者の間に『ニート』が増えているといってよく話題になっています(もうあんまりなってないけど)。一昔前の人々からしてみれば、大学を卒業した後に働くのは当然のことで、それをしない奴らは落ちこぼれという世界観の中で育ってきたのですから、現状に文句を言いたくなるのも当然かもしれません。ただ現代の若者にはもう「ちゃんと就職すること」や「きちんと働いて稼ぐこと」が大事だという世界観が存在しない。何故ならちゃんと就職しても限界が見えているからです。一生懸命働いても、会社が倒産したり給料が上がらなかったり物価が上昇したりと、就職して働くことが自分自身の幸福につながらなくなっているからです。

 一昔前は違いました。働けば確実に出世でき、お給料も増える──そういう常識でしたが、今はもうそんな常識はありません。だからこそ自分が生きていられればいいとか、必要最低限のお金さえあればいい、なんていう若者が増えているんですね。がむしゃらに働く理由が無ければ人は働いたりしませんから。

 自由経済競争社会とは、社会の構成員が、その最大の経済的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』である。それと同じく、
 自由洗脳競争社会とは、社会の構成員が、その最大の洗脳的利益に向かって邁進することによって安定する『動的安定社会』である

 これを詳しく説明しているのが本書です。たとえば最近ひろゆき氏が自身の…なんだあれ、ブログ? みたいなもので『ニコニコ動画は実際には失敗なのだがみんなが成功していると勘違いしているから成功していることになった』というようなことを言っています。これが洗脳のいい例でしょう。実際には違うとしても、多くの人にそうだと思いこませたら勝ちなのです。アメリカがイラクに戦争を仕掛けた時に、イラクを悪者として扱って、実際にほとんどの人がアメリカが正義でテロを仕掛けたイラクが悪だと洗脳したように。

 今まではみんながテレビを見て、『みんな一緒』の価値観を共有してきました。たとえば犯罪者が出たら、ニュースはこぞって取り上げて生い立ちや周りの人間環境を持ち上げて、こういうやつが犯罪をおかす! と人々を洗脳してきたわけです。しかし今はネットを通じてかなり自由に情報をやりとりできますから、マスコミの洗脳をもはや受け付けません。マスコミの洗脳が今なお健在なのはネットに触れない世代の人たちだけでしょう。しかしもうそんな時代は終わりを告げ、氾濫する情報を自分なりのフィルターを通してみて、自分の常識で世の中を動かそうとする社会になってきています。ネットを使えばだれもが情報の発信者になれるのです。そして、他者に対して自分の洗脳を行うことができる。より多くの相手を洗脳した人間が、洗脳競争社会での勝者となりえます。