基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

15×24 link one せめて明日まで、と彼女は言った

 これは凄い。物語は一人の少年が自殺をしようとすることから始まります。その途中、彼は遺書のメールをなんか色々あって、色んな人に送ってしまう。そしたらその色んな人がまた色んな人にメールで送って、少年の死を止めようとする──そのタイミリミットが、24時間なのですね。明らかにアメリカのドラマ「24」を意識している。ぼくがメチャクチャすげえ、と思ったのはそれを個人の小説家である新城カズマ氏がやってしまえるのか!! ということです。15人という登場人物は、言うまでもないですが非常に多いです。それぐらい出てくる小説はいっぱいあるではないか! という意見もあるかと思いますけれど、この小説ではその15人はばらばらに、個別に、同時に動いている。それぞれの行動は他の相手に影響を与え、一分単位で刻々と状況は変わっていく。15人分の行動を考え、タイムテーブルを整え、その行動すべてが矛盾なく通るようにするのは正直いってかなり手間がかかる作業です。

 これは一つの、「物語工学論」における到達点のような気がします。「物語工学論」とはつまり、物語を工学的に語れるようにしようという試みですから、つまりは設計図を書いて、車を作るようにして物語を作るということです。小説家にも色々なタイプがいると思いますけれども、プロットをガチガチに固めるタイプの作家が行き着く先はやっぱり、「プロットをガチガチに固めない作品」にはできないところにある。そういうわけでプロットをガチガチに固めることの利点といえばやっぱり、「物語をいくらでも複雑にできる」ことであると思います。そしてそれは脚本術が体系化して教えられているアメリカのドラマ(24とか)や映画であったり、事前に綿密なチェックが入れられるサウンドノベル形式(428とか)では割と顕著に表れていたと思うのですが、小説という媒体でここまで時系列が複雑なものを、それも個人で書ききれたのはやっぱり凄い。漫画なんかで複数人バトルがないのは、あれ、何人もの人間が同時に動くっていうのを描写するのがえらい困難なのだからですよ。ナルトが棒立ちバトル何て言われているのは、別に岸本先生の能力が著しく低いわけではなくて、シンプルに難しいからなのです。そして当然ながらその困難さは同時に動く人間が多くなれば多くなるほど難しくなっていく、それを15人! 

 基本的に全員の一人称が刻々と移り変わり、描写されていきます。疾走感がある、とよく評されているようですけれども、たぶん一人につき1ページか2ページぐらいで次の人間に主観がうつるので、それが疾走感を生みだしているのではないか、と想像できます。まだ一巻、全六巻のうちの一巻です。なので、まだまだ謎だらけ、冒頭に示された「この世界には三つだけほんとうのことがあるんだよ。」の三つとは何か。そもそもこれを言っているのは誰なのか。<17>とはだれなのか。誰だったかの妹がわざとらしく怪しかったですけれども、どう絡んでくるのか。背後には大きな事件が隠されているのか、などなど非常に気になります。『死についての物語』、その本領が発揮されるのも、これから先でしょう。