基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

われら銀河をググるべきや―テキスト化される世界の読み方

小説家の新城カズマ著。タイトルから内容がまったく想像できなかったのでどうなることかと思いきや、面白かったです。グーグル論、というよりかはグーグルによるグーグルブックサーチ、世界中の本をネットに収納してアクセスできるようにしてやるぜぐははという事件がつい一年ぐらい前に起こりましたが、そこから始まる情報化世界を考察した一冊です。

真面目に学者が行うような分析なんてものでは全然なく、SF作家新城カズマのネタ帳といった方がよろしいかと。口を開けば達成する為には底知れない努力が必要であろう妄言・妄想が飛びだし、基本姿勢は「こうなったら面白いんじゃないか」しかないので大したリアリティもない。しかしその一方でずばりと鋭い事をいったりして、そのあたりのさじ加減が絶妙な感じ。

つーか僕は書物×ネットあたりの話に恐ろしいぐらいに無知だったんだな、と本書を読んで改めて思い知らされました。

簡単にグーグル情報化革命の流れを説明すると、まずグーグルブックサーチ、以下GBSはグーグルの使命である「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできるようにする」はネット上の情報だけではなく、物として流通している書物までもが含まれるのですね。

そしてぶっちゃけ書物どころじゃなくて、ストリートビューに代表されるような道の情報、グーグルアースからみた地球の各地の情報、そういった「地球どころか銀河の情報」までもを、グーグルはアクセスし、検索できるようにしている。そういった大きな流れの中で本書の『われら銀河をググるべきや』というタイトルに繋がってくるのですね。

で、情報化されることによって何が変わるかってーと、検索できるのはもちろんのこと複製があまりにも容易になることによって、希少性が大幅に下落するのですね。いくらでも複製できるものに価値が生まれないように、現在起きているのはGBSに始まる世界の情報化の流れは、希少性・検索性における革命であるといえます。

それらについて面白い部分があったのでちょっと引用します。

S「ですね。実質的無限の書棚をもった書店が電子的に誕生したのならそもそも複製・頒布という手法を経由しなくても情報の最適アロケーションは可能である、という意味において」
M「ん? あそうか、なるほど。絶版の定義が今回の和解で焦点になったのは、ある意味、必然だったんだ……有限書棚時代には必須だった機能でも、無限書棚時代には無用の長物になりかねない……」
S「逆に、新たな機能が必要になってくる。たとえば部分価格
M「ぶぶん?」
S「とでも呼べばいいのか……つまりgooglizationの前提である無限書棚は、同時に超小型の携帯書棚という側面もあるんだ。ケータイで電子書籍が読めるんだから」
M「あ。そうか」
S「無限の書棚から検索できる部分的な書物、断片的な読書、その結果としての引用・流用・混合・変容──これまでの書物が整数だったとすれば今後のショモツは有理数のように(さらにはもしかしたら実数のように)ふるまうし、そのように扱えなくちゃいけない──つまりショモツの価格は部分的・断片的・混合的・変容的・実数的になってくれないと、かえって面倒なことになる。と同時にショモツに対する権利や義務も」*1

未だに電子書籍というと現実に存在する一冊の本をそのまんま全部電子化して売っている例が多いですけど(梅田なんとかさんのIphone版の本は確か時が過ぎるごとにアップデートされて内容が出ていくとかいう実験的な内容でしたけど)ネットという状況に適応しているとはとてもいえないですよね。物質という制限がある状況を、そのままネットに持ち込んでいる訳ですから、ネットの利点をまったく生かしきれてない。

たとえば雑誌をそのまま電子書籍で売るとなった時に、雑誌の内容をそのまま電子で売ったってしょうがないじゃないですか。雑誌は紙で、それゆえ物質的制限があって、だからこそ載せる作品数も厳選される必要があるわけで、でもネットにはその制限がない。いくらでも載せればその分質が下がるでしょうけど──

まあそこには何らかの制限を課すとしても、雑誌をそのまま電子書籍に載せるだけってんじゃあお粗末なもんですよな、とここで書かれているようなことを読むと思いますね。あとは著作権周りの話なんかも面白かったですけど、やっぱり答えを見いだそうという分析ではないのでほどほどに。でも色々と勉強になりました。大変面白かったです。

*1:124,125 太字は本書でも太字になっています